涙がこぼれそう














「ねえ、そろそろ切り上げない?」

リョーマがコートの向かいに立つ手塚に声をかける。
ある土曜日、部活後にリョーマが誘い始めてから手塚が越前家の裏手にあるテニスコートに毎週来る様になった。
そこにはリョーマが誘うことが多かったが手塚自ら向かう事を希望したことも度々あった。

「そうだな、日も暮れてきてボールが見えずらい」

リョーマと手塚はコートを出て、テニスバッグを肩に越前家へ共に歩みを進めた。

「もうちょっとしたらアンタを倒せるようになるかもね」
「言ってろ」

今日の手合いを思い返して、不敵に微笑み、見上げるリョーマに対して手塚は真っ直ぐ前を向いた視線を変えることなく返した。

リョーマのまだ幼いその輪郭を幾筋もの汗がなぞって落ちて行く。
隣を歩く手塚の顔にも汗が滲んでいる。

今日は一際、暑く、お互い常時以上に発汗していた。

「今日は暑かったよね」
「そうだな。真夏日だと言っていたかな」

手塚はふと、昨晩見た天気予報を思い出した。

「部長、今日もシャワー使って行ってよ」
「すまんな、そうさせてもらう」

そうして越前家の門を潜る。

「もう、場所は知ってるよね?後でタオル持っていくから先に使ってて」

靴を脱いで上がるとリョーマは別室へと駆けて行った。
もう何度も越前家の浴場を借りている手塚は自然にそこへと足を運んだ。

そういえば、と手塚はいつもは居る越前家の人々がいないことに浴場の扉を開けながら今さらの様に気付いた。

扉を閉めて間もなくしない内に脱衣所の扉が開いた音がした。
リョーマが入って来たのだな、と気付いた。

「越前」
「なに?部長」
「今日、家の方は?」

手塚の声が浴場独特の反りかえる響きを帯びていた。
それに比べ、リョーマの声は響く事なく乾いた音で空気を伝う。

「ああ、外に食べに行ったみたい。帰ってくるのが遅かったから俺だけ置いてったんだよ。ねえ、今、何時だと思う?」

時間等気にせずにテニスに打ち込んでいた手塚には皆目見当が付かなかった。
加えて季節柄、空の色では正確な時刻は判りにくい。

判らんな、と素直に手塚が答えると、細く笑いながらリョーマが告げた時間は思いの殊、遅い時刻だった。

部活が終わったのは正午を遥かに過ぎ、
そこから越前家に到着したのがおよそ30分後。
間に何度か休憩は入れたが、可成りの時間はテニスに没頭していたと思われた。

「それがさ、聞いて?メモが残してあったんだけど、和食料亭に行ったみたいなんだよね」

そう言うリョーマの口振りは酷く悔しそうだった。

「食べてからもちょっと遊んでくるからって書いてあった。帰ってくるの少し遅くなるみたい」
「そうか」

流水の音が浴場を包む。

その音を外で聞きながらリョーマは、その水音にすら微かな嫉妬を覚えた。

手塚の承諾を得て付き合い出した二人ではあったが、リョーマはまだ手塚の肌に触れてはいなかった。
自分ですら触れていないのに彼の熱さを引かせる為とはいえ、手塚の肌に触れていると思うと、水如きが、と悪態の一つでもつきたくなる。

そんな自分の許容の狭さに半ば溜息を吐きつつ、リョーマは脱衣場から出た。

「タオル、ここに置いとくね」




手塚が持って来た自らの着替え――と言っても学生服であったが――を済ませ脱衣所を出てくる。
そして入れ替わりにリョーマが入り、鴉の行水程度ですぐに上がってくる。

リョーマが上がってくると縁側に程近い和室で、普段その身持ちの堅さからか家庭での躾の良さからか、常に行儀の良い手塚がその長身の体を畳の上に投げ出していた。
外から侵入ってくる蜩の声の間に弱い寝息が聞こえる。
手塚は、浅い眠りに落ちていた。

そんな手塚を見つけたリョーマはというと自分の中から込み上げる男の本能を感じて、自制しながらも手塚に近付く。
知らぬうちに跫を立てない様に注意していた。
――手塚を起こしたくなかった。

眠るその人の枕元まで接近に成功すると、静かに腰を下ろす。
いつもは上に在る恋人の顔が今は眼下にある。

(この人、オレが男で、しかもアンタが好きだってホントにわかってんのかな)

現状から伺い知れる自分の現在地に情けなさを感じて今日2度目になる溜息が口をついて出てくる。

手塚と一緒に居たり、手塚の事を考えていると、溜息が自然と多くなった。
焦る気持ちと待たされている彼であっても好きだという気持ちと綯い交ぜになって出てくる溜息に自分が人並みに思春期に辿り着いていることを知る。

リョーマがまだ微かな湿り気を残す手塚の髪を梳くと閉じていた瞼が震えて薄く開く。

「Good-morning,honey」

そう流暢な英語で話しかけると手塚が身を起こして頭を2、3度振る。

「すまんな、寝ていたか」
「いいっすよ。アレだけ長い事やってたからね。疲れて眠りこけちゃっても仕様がないでしょ」

それでも人様の家の床に寝ていたというのはな、と手塚が漏らす。

「仮眠程度に、オレの部屋ででも寝て行く?」
「いや……いい。流石に、それは…」

断りながらも手塚の瞼が緩慢に下りようとしたり急激に開かれたりする。
そんな様子をリョーマは楽しそうに眺めた。

「いいよ、無理しなくても。どうせ、親父達も帰ってくるの遅いみたいだし。さ、行こっか」

言うや否や手塚の手を取って立ち上がらせ、2階の自分の部屋へと導く。

部屋に着いて、手塚を自分のベッドに寝かせると手塚の瞳が次第に閉じていく。

眼鏡を外してやろうと手を伸ばすと思いがけず、リョーマの指先が手塚の頬に触れた。
瞬間的に指が頬に触れたまま止まっていたリョーマだったが、そのまま片手だけ滑らせて手塚の片頬に掌を添えた。
身動ぎした手塚が細い声を漏らす。
その漏らした口元から覗く口腔に引き寄せられる様にリョーマは手塚を組み敷くような形でベッドに手足を付いた。

もう抑えきれないと、自分で判った。
それでも手塚に無理に行為に及びたくはなかった。

「ね、部長」

呼ばれて手塚が微弱に覚醒する。
寝ている自分の目の前にリョーマの顔がある事に本来の手塚なら事態をすぐに読んだだろうが、今は夢と現の間にいるせいかどうやら自分が今どういう状況になっているのか気付いてはいないようだった。

「アンタに触りたい」
「…?  ………。……構わんが」

暫く逡巡した手塚の意外な言葉を受けてリョーマは二の句が次げなかった
幾ら寝惚けているからと言っても、まだ拒絶されると思っていた。

「…お前は俺の恋人で、俺はお前の恋人なんだろう」
「そうだけど。…部長、意味わかってる?触るって、」

言い様、リョーマが手塚の首の根元に口づける。手塚の肌は甘いようにリョーマは感じた。
そして、手塚の首から唇を離した時にリョーマは自分が震えている事に気が付いた。

「越前?」

手塚もリョーマの震えに気付いて怪訝な顔付きになる。

「こういう事…」

リョーマの顔がみるみる紅潮していく。
そしてそれを隠す様にリョーマが顎を引いて俯く。

「うわ、だめ、泣きそう。   アンタに漸く触ったんだと思うと泣けてくる」

今まで、リョーマにそう言った経験がない訳ではなかった。
ほんの前まで住んでいた米国では、テニスも上手く、貌も整った方だったので、誘われた事は少なくはなく、それに対して何度か気軽に応えたこともあった。
大らかな人種のせいもあったのか、皆、リョーマの年齢を気にかけた感じはしなかった。
これが日本なら、まずこの年齢の少年を誘ったりする者はいなかったであろうが。

今まで、何人かにこうして触れたが、こんな思いは初めてだった。

「ホント、オレ、重症も重症みたい。アンタに惚れてる」

一層、俯くリョーマの頭を2、3度軽く手塚は叩くと、お前も寝ろ、と言い付けた。
リョーマが目を見張って手塚を見詰めると、今度は自分の傍らのシーツを軽く叩いて、リョーマにここで寝ろとばかりに場所を示した。

その様をリョーマは目を細めて実に嬉しそうに眺めた後、組み敷いていた体勢を解いて、手塚の隣に潜り込んだ。


間を置かず、二つの寝息が外で鳴く蜩の声に溶けた。








涙がこぼれそう。
別名、初期ペッティング。(せめて字を伏せろ)
良かったね、リョマ、部長に触れて。
しかし、リョーマ、そんなんで泣いてたら先に進めないぞう。
っていうか、アンタらは何時間テニスやってるですか!!バケモンめ!ヒィ
手塚がリョーマに対して無防備なのは、相手にしていない、眼中に入っていない、恋人として意識していないのではなく、完全に信頼してるからなんです。
信用ではなく、信頼です。ここポイント(黙れ
お前になら触れられたい、と寧ろ手塚は思っていることでしょう。
うちのブチョは若干、女王様含んでますから。


アハハ、判ってますよ、夢見がちってことは。(泣
ありがとうございました〜
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