雨の匂い












京の郊外にある男娼廓の太夫、越前リョーマが凄腕の若手貿易商、手塚国光に身請けされて、ふた月の時間が流れた。


凄腕とは称されてもまだまだ駆け出しの手塚は事務所や自宅を空けることは多かった。

その留守を、事務所は社員筆頭の大石秀一郎が、そして自宅はリョーマが預かっていた。

自宅をリョーマが預かるとは言っても、手塚はメイドを雇っていたから、部屋の手入れなどの管理は専ら彼女らが行っていた。
リョーマはただ、広大な邸宅で一人手塚の帰りを待ち呆けていた。

そんなある日。
手塚が2週間に渡る海外への出張から帰ってきた日の事。


自宅の門の前で止まった車のエンジン音を聞き付けて、リョーマは居間から玄関へと駆けた。
長い着物の裾が床を這って衣擦れの音を鳴らす。

「おかえり」
「ああ、今戻った」

玄関の門戸を従者が開ける中、疲労の色を顔にうっすらと浮かべた手塚がそこを潜ると従者は静かにドアを閉めて帰って行った。

従者の姿が見えなくなると、リョーマは手塚の首に飛び上がってその腕を絡めた。

「越前、くっつかれると靴が脱げんだろう。離せ」
「やだね。こっちは2週間もアンタなしで耐えてきたんだから、これぐらい許してよ」

そう言って手塚の首に巻き付けた腕に力を込めるリョーマにほとほと呆れ乍ら手塚は緩慢にリョーマの腕を解いた。
なんだよ、ケチ。
リョーマは口を尖らせて批難めいた声を上げるが、手塚が玄関を上がり、廊下を歩き出すとその後に跳ねる様にして付いて行った。

「それにしても…」
「なに?」

居間に辿り着くと、気づいたメイドが二人分の茶を支度した。
真向かい同士に椅子に腰掛け、茶を啜る。

「随分と花町言葉が抜けてきたんじゃないのか?」
「いややわあ、あれは飽く迄商売用の話し方どす」

途端、リョーマがシナを作ってホホホを笑う。

「それに、アンタかて、この話方お嫌いですやろ?」
「まあな。  ところで、留守の間何もなかったか?」
「へえ、何もあらへんたえ。ねえ、恭子はん」

恭子と呼ばれた、茶を出したメイドを笑顔で振り返る。
それに、彼女も笑顔でええ、とだけ返した。

「そうか、ならいい。というか、其の言葉はいいから」
「はいはい。わかりましたよー」

いつもの不敵な笑みに戻って、ずずず、と音を立ててリョーマは湯呑みを空にした。

「ねえ、ミツ」

空になった湯呑みを机に置き、リョーマは頬杖をつく。

「お土産、買って来てよ、次どっか行く時」
「土産?」

基本的に手塚は土産など買ってこない。
仕事で海外に行っているのであって、旅行の様な気楽な物でないこともあったが、それ以上に駆け回っていることが多くて土産など買う時間がない事が大きな原因だ。

「そう、お土産」
「土産を欲しがるなんて初めてだな。どうした、唐突に」
「だって、アンタだけ待ってるより、お土産も楽しみにできる方がいいでしょ。楽しみ2倍って感じだしさ」

手塚も湯呑みを空にしたのを見計らって、恭子が新しく淹れ直した茶の入った急須を居間の机に置くと、では、私は本日はこれで、と恭しく頭を下げて部屋を出て行った。

「ご苦労様、恭子さん」

リョーマが玄関へ向けて声をなげた。それとほぼ時を同じくして、玄関の閉じられた音がする。

「それにしても、土産か…」
「ダメ?」
「別に買うのは構わないんだが、時間がとれたら、だな」

リョーマが考えている以上に現地での手塚は忙しい。
食事に於いても3食きちんと食べられるという事はまずないほどだ。

「ううーん、そりゃアンタは仕事で行ってるからね、忙しいんだろうけど。
  でもさ、こっちに居てもそれはあまり変わらないじゃない?二人で出かけることもあんまりできないし」

確かに、リョーマの言う通りなのだ。
国内に居ても、手塚の忙しさはあまり変わらない。
自営業とも言えるこの仕事は定休などない。
それは、まだコネクション作り中である現状も関わっているのだが。
手塚はまだ駆け出しだ。
周囲からのある程度の評価は受けているが、その位置を安定させるまではまだまだ先が長い。
現在を怠ると、将来にまで影響が出るのは明白だ。

それ故に、手塚は毎日を忙しく過ごしている。
体が完全に空くのは自宅に戻ってくる晩ぐらいなもので。

「だから、土産っていうかね、なんていうのかな、恋人の証みたいなのが欲しいんだよ。
  ホントなら二人で買いに行きたいんだけど、それは今のとこ叶わないからさ」

ねえ、いいでしょ?
更に駄目押しする様にリョーマが机を挟んで顔を近付けてくる。

「………」
「帰りを待ってる間、アンタを思い出せるものが欲しいだけなんだけど」

黙りこくる手塚にリョーマは項垂れた。
そんな様子を見て、手塚の口元から微笑とも苦笑ともとれる笑いが漏れる。

「仕様がないな。時間がとれたら、だが、考えておこう」
「ホントに!?」

項垂れていた顔がパッと華やいだ様な表情で表を向く。

「ああ。何か、希望はあるのか?」
「えっとね、雨の匂いのするもの」
「雨の匂い?」

そう。と頷きながら、頬杖を付いた掌の上でリョーマはにこにこと笑う。
余程、手塚が了承してくれたことが嬉しいらしい。

「あるか?そんなもの」
「あるんじゃない?広いお外の国ならさ」

大体、何故、そうなるのか。
そう思って、リョーマにそのまま尋ねてみれば、朗らかな表情そのままにリョーマは答えた。

「だって、アンタって雨って感じがする」
「俺が雨?」
「そ。雨。台風の時みたいな荒々しい雨じゃなくて、大地の渇きを潤すような、優しい雨」

リョーマはそう断言するが、手塚は産まれて此の方、そんな表現をされたことはない。
むしろ、いつも無表情で手厳しい一面の方がよく見られたので、優しいという表現とは縁遠かった。
どちらかといえば、そう、氷の様な冷淡な人物と評されることばかりだ。

「雨の匂いのするものか…」
「そう。どんな物でもいいよ。アンタがそう感じたものをオレに頂戴」

笑って言い乍ら、顔を更に手塚に近付けて、瞬間手塚の唇をそっと奪った。

「また、お前は…」
「油断してるアンタがいけないんだよ。それに、こういうのもご無沙汰だったんだから、今晩はいいでしょ?」

机に置かれた手塚の左手を握り乍ら、是否を問う様に下唇を下方から舐め上げてまた唇に触れた。
手塚は、帰国したばかりで疲れてはいたが、その実、港から自宅へ直帰しており、本音ではリョーマに逢いたくて仕様がなかった。

何だかんだ言い乍ら、この二人の想いは通じ合い過ぎている程に通じ合っていた。




手塚が帰ってきてから、1週間後、手塚はまた旅立っていった。
玄関先でいってらっしゃいのキスを交わして出て行く手塚の背を見乍ら、ホントに忙しい人だと今更乍らにリョーマは軽く溜息をついた。

「行ってしまわれましたね」

声に振り返れば、ここ2、3日通い詰めてくれているメイドが立っている。
その顔は、二人の熱に当てられたように苦笑している。

「やだなあ、弥生さん、見てたの?」
「見られてるの判っていらしたくせに」

ふふふ、と微笑んで彼女は自分の仕事に戻るべく踵を返した。

次、手塚が帰ってくるのは3週間後だ。
手塚と、彼が買ってくるであろう土産の帰宅を待ち乍ら、リョーマの長い日々が始まる。


手塚がいない間のリョーマは本当に退屈な日々を過ごす。
娯楽は精々、メイドらと会話する程度だ。
やってくるメイドも5日くらいで来る面子が変わるので、持ってくる話題もころころと変わり、飽きる事はまずない。

メイドとの会話のみが娯楽だというのは、リョーマは外出をしないからだ。
妓楼があった場所とこの屋敷は同じ京内ではあったから土地勘が無い訳ではないが、一人で街を彷徨しても楽しくはない。
元より外を迂路付く様な性分でもないし、どうせなら、手塚と一緒に歩きたかったから、リョーマはいつも屋敷でごろごろしていた。



そうして退屈な日々が3週間続き、リョーマの待ちわびた人が屋敷の門戸を潜った。

いつもの様に出迎えに玄関に立ったリョーマの眼前に手塚は小さな匣を突き付けた。

「?」

訳も判らない侭、それを両掌で受け取る。
その匣は縦に長くて、少し上等な素材で出来ていた。
華美な包装などは一切されていなかったが、その簡素さが上品さを醸し出していた。

「土産だ」

そう呟いて玄関を上がるとリョーマの目が喜色で溢れる。

「買って来てくれたんだ」

喜色満面。そんな表情で居間へ向かう手塚の後をリョーマは追った。
手塚から受け取った匣を大事そうに抱え乍ら。

メイドは今日はもう帰ったのか、居間には誰も居ない。
自分で茶を淹れるのも疲れている躯では億劫だったので、そのまま扉続きの寝室でベッドへと倒れ込んだ。

自分のいない間も毎日シーツが取り替えられ、布団も天日に干されていたのか、馨しい太陽の匂いがする。
疲れた躯が癒される様な気がして手塚は少し弛緩した。

手塚の後を駆けて来たリョーマが布団に埋もれている手塚の傍らに腰掛けた。

「お疲れさま」
「…ああ」

手塚の髪を梳いて、リョーマは埋もれた布団の端から覗く手塚の顳かみに唇を落とす。

「ね、コレ、開けてもいい?」

嬉々とした声のリョーマに布団から少し顔を上げてそちらを見遣ると、先刻渡した匣がリョーマの小さい掌に乗っかっている。

「ああ、構わんぞ」

答えつつ、気怠いながらもその体を起こした。

相変わらず喜色のリョーマが肩を弾ませて匣の蓋をそっと開けた。

中には、水色よりは少し濃度が高い透明さを持つ小石が散りばめられた鎖の輪。

「?  手首につけるやつ?」

輪の一部を持ち上げてリョーマは自分の目の前に掲げる。

掲げたそれは少しばかりゆらゆらと揺れて、暗い室内の微かな光を吸収するように輝きを放つ。

「手首にも嵌るんだろうが、一応、足首に嵌めるものだそうだ」
「へえ」

きらきらと輝くそれは本当に綺麗で、リョーマは少し見蕩れた。

「なんて石?これ」
「トルマリンという石だ」

いいね、これ。
リョーマなりの賛辞を述べて、早速足首に嵌めてみる。

「似合う?」
「ああ、似合う」

褒められて、立ち上がって見せると着物の裾がそれを隠した。
リョーマは妓楼に居た時と服装は変わらない。
手塚は洋装ばかりだったが、リョーマは和装しか持っていなかった。
自分には似合っていると思っていたし、時代柄、流行り出している洋装にそれほど興味もなかった。

「隠れちゃうね、これ」
「構わんだろ、お前と俺にその存在が判ってれば」

立ち上がったついでにベッドの周りを歩いてみれば、鎖同士が擦れ合って、小雨のような音を立てた。

「うわ、最高、これ。ありがと」
「そんなに気に入ってもらえるとは思わなかったな」

手塚の口元から無邪気に喜ぶリョーマを見て小さな笑いが漏れる。

「正に、希望通り」
「匂いはしないがな」
「充分するよ、アンタみたいな優しい雨の匂い」

言葉以上に礼を言いたくて、手塚にキスを仕掛ける。

「大切にするよ」
「ああ、そうしてやってくれ」

リョーマは微笑む手塚をゆっくりとベッドに沈めた。














雨の匂い。
でした。
トルマリンは様々に色がある様なのですが、ここではブルーの色味でご想像くださいませ。
アクアマリンとかよりも、トルマリンが出て来たので、トルマリンで。
しかし、このパラレルでやると、どうしてもリョ塚リョ風味になってしまいますな。
ううむ。
このパラレルは99題目の物の続きっぽくなってますので、未読の方はそちらもどうぞご一読くださいませ。

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