くすり
















放課後、茜色に染まる図書館で今日の当番に充てられたリョーマはどうしようもない退屈を持て余していた。
図書館の現在の利用者は片手で優に数えられる程だ。
しかも、各自ただ備え付けの机で本を読んでいるだけで、貸し出しも返却も誰もしない、本棚に返却された本を返す作業も終えた。

実に、暇なことこの上ない。

いっそ、今ここに居る誰かに鍵を託して自分は部活に行ってしまおうか。
こんな本棚の森に佇んでいるよりも、レモンイエローを追う方が楽しい。
そして、愛しい恋人と逢える方がいい。

半ば本気で誰かに鍵を託そうと腰を浮かしたその時、図書館の扉が開いた。
そこには、本来なら今頃テニスコートにいる筈の、逆光眼鏡で頭髪がつんつんと立っている、部内イチののっぽの先輩。

「…らっしゃい」
「はて、いつからうちの学校の図書館は有料になったのかな、越前」

口元が綻んでいるから、笑っているんだろう。
その眼鏡の奥の目が見えないものだから、いつも無表情な自分の恋人と同じくらいに表情が分かりにくいことこの上ない。

「言葉のアヤってやつですよ」
「まだ、日本語が操れ切れてないな。微妙に違う」
「あー、そーッスか。で、何用ですか?」
「何って、返却しに」

そう言って、乾はカウンターに一冊の本を差し出した。
本のタイトルは――

『くすりの色々』

そのタイトルをちらりと見つつ、リョーマは返却の手続きをこなす。

「これ、どういうのが載ってるんすか?」

ちょっとした好奇心だ。
他意は…多分、ない。

「どういうのって………くすり」

いや、それはタイトルから否が応でも判るのだけれど。

「くすりの、何が載ってるんすか。っていうか、何用で借りたんスか?」
「古今東西のくすりの事が書いてあるだけだよ。今度の試作品に使えることが載ってるかな、と思ってね」

では、いつか自分達がこの本に書かれている薬配合の汁を飲む日がくるのだろうか。
ふと、想像してみて何だか口の中が苦くなった。

「ああ。でも、使えそうなのは無かったから」

表情を変えぬまま、乾はそう言った。
リョーマは独り、安堵の溜息を内心で吐く。

「そういえば、乾先輩って家で試作品作ってるんすよね?」
「ん?ああ、そうだな」

この退屈を紛らわしてくれるなら、この先輩が何故テニスコートではなく此所にいるのかなどどうでもいい。
他愛無い会話で一向に構わない。
…本音を言えば、相手は恋人のあの男の方がいいのだけれど。

「うっかり、何か間違えて怪しい薬とか作ったこととかないんスか?」
「うーん。どうだろう。間違えたと思っても取り敢えず成分は調べるけどね」
「例えば、惚れ薬とか、作れないんすか?」

ちょっとした、子供の閃きだ。
この世に本当にあるのかどうなのかは知らないけれど、名前はよく聞くその如何わしい薬。
目の前のこの男なら実は作った事がある、と言われてもそこまで驚きはない。むしろ、納得してしまうかもしれない。

「そんな、俺は科学者じゃないからね。作ってるのは薬というよりは栄養剤だから」
「そーッスか」

残念そうに肩を落とすリョーマを見て、乾の眼鏡がキラリと光る。

「誰か、惚れさせたい人でもいるのかい?君は確か思いは通じ合っていた筈だろう」
「そうなんだけど、もっと惚れさせたいって言うんですかね?」

にやり、といつもの質の宜しくない笑み。
そんなリョーマにほとほと呆れた様子で乾は軽く溜息を吐く。

「どこまでも、貪欲だね、君は…」
「いつでも上を目指してますから、オレは」
「じゃあー…惚れ薬とは言わないけれど………催淫剤程度なら、できないことはないかもしれないな」

乾のその言葉に、ぴくり、とリョーマは反応した。
そして、怖ず怖ずと乾をその大きな眸で見上げた。
そこには……溢れんばかりに期待に満ちた色。

「正直だね、越前は…」

くすり。
乾は細く笑った。

「で、愚問かもしれないが、仮に俺がそれを作ったら誰に使うんだい?」
「まさしく愚問だね。そんなの使う相手なんて、一人に決まってるじゃん」
「ほぅ。それは、是非とも俺も聞かせてほしいものだな、越前?」

聞き覚えのあるその声に、輝々としていたリョーマの眸が恐怖に引き吊る。

くるり、と後ろを振り返れば、図書館の入口には待望していた愛しい恋人―――――手塚国光その人の姿が。

「部長!?今日、部活は?」
「ここのところ、土日も一日練習だったし、終了時間が過ぎても暫くやっているのが続いていたからな。今日は早々に切り上げた」
「へ、へえー、そうー」

目の笑っていない手塚にリョーマの声は思わず上擦る。
ちらり、と乾を見ればどこから出したのかいつものノートに何かを書き綴っている。酷く、愉しそうに。
手塚が来ている事に気が付いていた上で、先の質問をしたのだろう。非常に憎らしい。

ぎり、と乾を睨んでみるが相手はノートを書くのに熱中しているのか怯んだ様子はない。

「越 前」

リョーマの視線が乾に逸れたことを目敏く悟った手塚からぴしゃりと声が飛ぶ。
それに身を竦ませる様にしてリョーマは手塚に向き直った。

「さっきの話だが、誰に使うんだ?」
「えー、さっきの話って何の事?」

実に空々しい。
引き攣っている頬が恍けているのを如実に現している。

「ほお、では、俺の空耳だったかな」
「あー、うん、そう。そうだよきっと。部長も寄る年波には勝てないんだねー」
「俺はまだ14だ」
「知ってる」
「あ、越前、さっきの会話、ICレコーダーに録ってあるけど聞く?」
「アンタはなんでそう要らない事にだけ気が回るんだよ!」
「乾、でかした。早速聞かせろ」
「すいませんでしたっ!!」

平身低頭。
リョーマは図書館のカウンターに額を擦り付けた。




騒がしいその様に、図書館利用者達は静かに席を立った。
















くすり。
薬、DRUG。
ちなみに手塚はわざわざリョーマと一緒に帰るべく迎えに来たのでした。
うふふ、越前さん、災☆難☆
久々に乾を書いたような…
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