禁欲主義
塞いだ唇から吐息が漏れる。
吐息と共に甘い甘い蕩かせてくる嬌声も。
荒くなり始めた手塚の息がリョーマを煽る。
追い立てられたリョーマが手塚を追い立ててそしてまた手塚の無意識の行動でリョ―マが追い立てられる。
お互い、徐々に限界へと上って行く。
繋がった唇の角度が変わる。
リョーマが手塚の襟足に左手を掛ける。
火照り始め、そして敏感になり出した躯に突然背後から触れられて、手塚の肩がピクリと小さく反応した。
それをキスをしながらも薄目を開いていたリョーマは見逃す事なく眺めて、一人悦に入った。
(かわいい…)
また角度を変える。
絡めた舌を離した瞬間にくちゅりと卑らしく音がした。
貪り尽くす、という表現がこの時のリョーマには的確だ。
手塚の全てをその口内に取り込むように果敢に責め立てる。
緩く手塚の上唇を噛んでキスを一度終えた。
そのまま半ば覆い被さる様に体を押し当てて手塚を臥せさせ、また唇に触れる。
しかし。
そこで、手塚に肩を押し返された。
「なに」
「今日はキスだけだと言ったのはお前だろう」
与えられた快楽に目を潤ませながらも手塚は眦をきりりと上げて睨んだ。
その強いながらも艶を帯びた眼差しにリョーマはぞくりと何かが背中を駆け抜けるのを一人感じた。
腰の辺りにじんわりとした甘い痺れが起こり始めていた。
「そうだけど…」
「なら、この続きはなしだ。ほら、退け」
更に力を加えて手塚はリョーマを押し返す。
けれど、リョーマだとてここで引き下がる訳にはいかない。
土曜日、珍しく昼を少し過ぎたところで部活がお開きになって、他の部員は休日に久々に与えられた時間を満喫するべく皆帰宅していて、今ここには二人きりで、しかも手塚の鎖骨の根元には昨晩自分がつけた赭い痕がまだ生々しく色鮮やかに点っていて。
見事に、据え膳食わぬはナントカ、という状況なのだ。
ぐいぐいと手塚はリョーマの肩を押しやり続けるが、一向にリョーマは身を退かない。
「どかないか」
「…本気でいってんの?部長だって感じてきてるのに?」
リョーマのその明から様過ぎる物言いに手塚の顔色は一気に紅潮した。
「TPOを考えろ。今何時だ?」
「3時」
「場所は何処だ」
「学校。しかも部室」
「状況は」
「昨日やり過ぎたせいで部長の腰が痛い」
「判ってるんじゃないか」
「わかってるからこそじゃん」
手塚が苛立たし気に眉根を寄せ、リョーマも眉を吊り上げた。
「いいか、今は昼なんだぞ?」
「喘ぐ部長がしっかり見えていいじゃん」
「…場所は部室なんだぞ?」
「スリルがあって最高だよね」
「……昨日のせいで俺の腰は痛いんだが。腹も下り気味だ」
「でも、ほら、ココ。痕残ってるじゃない?こういうの見ると燃えてくるよね」
「………」
「…………」
両者、只管睨合って牽制。
沈黙。
苛立ち。
また沈黙。
どちらも譲らなくてまたお互いに苛立ち。
そしてまた沈黙。
「……どうしても退かないつもりか?」
「部長こそどうしてもやらせてくれないつもり?」
ぎりりともう何度目になるかわからない暫間の睨合いの後、手塚が大きく大きく溜息を吐いた。
手塚がやっと折れた、とリョーマの口角が上がり、力が抜けた瞬間を狙い済まして、手塚はリョーマの腹部を蹴り飛ばした。
その衝撃でリョーマの体がぐらりと揺れて、その隙をついて手塚は押しやっていた腕に一際強く力をかけてリョーマの下からの脱出に成功した。
腹部に靴の後を付け乍ら、鈍く呻くリョーマを尻目に颯々と立ち上がった手塚は侮蔑の色を含んで見下ろした。
「お前は盛り過ぎだ」
「暴力、はんたーい」
「正当防衛だ」
「へらず口」
「どっちがだ。どっちが」
「部長」
「それこそへらず口だ。馬鹿者め」
今度は重く呆れた溜息をリョーマに浴びせる。
「越前、お前にいい言葉を教えてやろう」
そう言い乍ら手塚はリョーマの手によって膚蹴られた襟元を整えた。
「なに?」
興味深そうに、しかしどうせ碌な言葉ではないのだろうと訝し気にリョーマが手塚を見上げる。
その目許には涙が薄く滲んでいる。
蹴られた痛みか、拒まれた切なさか。
「禁欲、だ。その万年発情期の脳に叩き込んでおけ」
「なんて失礼なことを!!」
がばり、とリョーマは身を起こすがその半瞬後、腹部を押さえて項垂れた。体が小刻みに震えた。
「…った………」
「おい、大丈夫か?」
流石に痛みを訴えるリョーマが心配になって手塚は跪いてリョーマの肩に手をやり、顔を覗き込んだ。
その瞬間に、
もうお決まりに、
手塚は唇を攫われた。
「…ーっ!」
腹部を押さえたままの姿勢でリョーマが何ともない顔をしてペロリと舌を出してみせるのを認めて、流石の手塚も顳かみに青筋が一本走る。
「…帰る」
すっくと手塚は立ち上がり、自分の荷物を担ぐと大股でしかも早足で部室のドアを潜った。
「それじゃあな」
勢い良くドアを閉められて、思わずリョーマは肩を竦めた。
がちゃり。
そこへ無慈悲にも鍵を掛ける音がして、リョーマは我が耳を疑った。
「え!?ちょっ!部長!?」
慌ててドアへ駆け寄り、ノブを右に左にと回して手前に引くがしっかりと施錠されてしまったそれは1ミリとして開く気配を見せなかった。
「……冗談…」
体の中の血の気が引いていくのが自分でもわかった。
「……それで、今朝来たらここで寝てたって訳なのかい?越前」
「そうっすよ、大石先輩」
「…それを、俺に信じろと?」
キリキリキリキリキリキリ。
大石の胃が奇妙な音を立てて鳴った。
部活の長である手塚が部員を部室に閉じ込めて帰ったなどと、顧問以下、教師陣にばれたらどうなると彼は思っているのか。
「昨日に限って見回りの先生も来ないし、他の部活の奴らも通らないし、携帯の電池は切れてるし。オレ、本気で死ぬかと思いましたよ」
「ははは…」
「あ、大石先輩、電話借りていいっすか?家に無事を伝えとかないと」
「あ、ああ、いいよ」
「なんだかんだ言って過保護なんすよね、うちの親」
いや、余程の放任主義じゃないと中1の息子が1日帰ってこなかったら心配すると思うんだけど…。
自分の携帯から自宅のナンバーを押して連絡する後輩の後ろ姿を見乍ら大石はぼんやりと思った。
「うん、そう、大丈夫だから。ワケ?ワケは帰ったら話すよ。うん。そう。だから母さんにも大丈夫って伝えといて。あ、オヤジには別に言わなくていいから。うん。じゃあね。部活してから帰るから」
通話終了のボタンを押して、リョーマは大石に携帯電話を返した。
「どもっす」
「ああ、いや。構わないよ」
殊勝に頭まで下げて礼を述べるリョーマに大石は苦笑しながらそれを受け取った。
「さすがに、今回は手塚といえども一言言っておかないといけないかな…」
あの手塚が感情に任せて動くだなんて珍しい以外の何物でもないが、自分の立場をもう少し考えてもらわなければいけない。
下手をすれば部活動停止や大会出場停止にすらなりかねないのだ。
もしも今回ばれていたら、と思うと大石の胃がまたきりきりと痛み出した。
何とも形容し難い表情をしながら脂汗を流す大石を傍目にリョーマはけろりと言い放った。
「言わなくてもいいッスよ。役得しちゃったから」
「は?役得?」
疑問符を浮かべ乍ら大石がリョーマを見遣ると、リョーマは質の宜しくない何とも中学1年生らしからぬ笑みを浮かべた。
「本気で怒った時の部長の顔とか声とか、もうすんごい堪らなかったんで。それ見れただけでも役得っすよ」
にやり。
リョーマが笑い、
びくり。
大石がその何とも見なれぬリョーマの笑いに身を竦めた。
「越前…」
「何スか?」
「…禁欲の漢字の書き方から始めようか」
禁欲主義。
リョマさんには激しく縁遠いもの。
でもね、リョマさん、せめて和姦でね…合意でね…。
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