イロチガイノスレチガイ
















財布とパスポートだけを掴んで、手塚は玄関の扉を潜った。








家のチャイムが鳴らされて、菊丸はスリッパの音を弾ませながら居間を出た。

「はいはーい。どちら様?」

ガチャリ、と扉を開ければ、そこには手塚が一人ぽつんと立っていて。
思わず菊丸は首を傾げた。

「手塚?あれ?今、たしかフランスじゃなかった?オチビ全仏参加してたよね?」
「菊丸…今、大石は…」

頭の上に疑問符を飛び交わす菊丸に対し、やや遠慮がちに手塚は口を開いた。

「うちの旦那はご出勤中ですー。昼だよ?当たり前じゃん」

学生の頃とあまり変わらぬくるくるとよく動く瞳で菊丸がそう答えた。
一度、手塚は自分の腕時計に目を落として、今更ながらに時刻に気が付いた。

「…すまなかった。出直す」

踵を返そうと振り向きかかった手塚の腕を菊丸は捕らえた。

「ね、折角来たんだし、あがってってよ。俺も今ちょーど暇してるし」

ね?
にこにこと笑う菊丸に手塚は躊躇するが、そんな手塚などお構いなし、とばかりに菊丸は強引に扉の中に引きずり込んだ。

手塚が玄関で所在なく立っているその脇を菊丸は擦り抜けて、リビングへとぱたぱたと走っていった。

「手塚ー、コーヒーでいいー?」

ひょっこりとリビングの扉から菊丸が顔を出す。
手塚はまだ靴箱の前で立ち尽くしていたが、苦笑しながら、漸く靴を脱いだ。

「ああ、構わん」
「手塚ってたしか、ブラックだったよねー?」
「ああ」

玄関口の左脇に靴を揃えつつ菊丸にそう返すが、ふと自分の心境を振り返って、手塚はそれに付け足した。

「すまん、ミルクだけ入れてくれるか?」
「りょーかいいー。あ、スリッパ勝手に使ってねん」

そしてリビングの奥に菊丸は消えた。

ここは都内の某所のマンション。
手塚達が結婚を決めたすぐ後に、菊丸にせがまれて大石が購入したものだ。
いわゆる、菊丸と大石の愛の巣、と云ったところだろうか。

『手塚達のおかげで俺も決心がついた』

と、当時の大石は手塚に語った。

玄関には『大石』の文字のみ。
大石は菊丸の文字も入れようとしたと言っていたが、逆に菊丸の方が夫婦は全てを分かち合うものだから、と大石の文字だけでいいと言ったとか。

ならば、菊丸、と呼ぶのは失礼なのだろうか、とその呼び方に慣れていた手塚は思ったものだが、名前で呼ぶのは躊躇われるし、大石、と呼ぶと二人して振り向くのでやむなく学生の頃のままの呼び方で通していた。




「ミルクご希望ってことは、なに、ストレス?手塚」

目の前には二人分のコーヒーカップと茶請けの菓子が少し。
ミルクも砂糖もたっぷりと淹れた菊丸のカップからはふんわりと甘い香りがしていた。

「ストレス…というか、ちょっとイライラしていてな」
「それをストレスって言うんじゃにゃいのー?で、そのストレスの結果、家出?」

こくり、とホワイトコーヒーを嚥下して菊丸が言う。
その問いに、一度自分もカップに口をつけ、暫し手塚は考えた。

「越前の顔を見たら、色々言ってしまいそうでな」
「ふーん。喧嘩したの??」

心配そうにこちらを眺めてくる菊丸に手塚は苦笑してから、ふるり、と緩くかぶりを振った。

「そういう訳じゃない」
「じゃあ、どういう訳?俺が聞いても平気な内容?」
「ああ、構わん。と、いうか、是非聞いてもらいたいんだが…」

手塚は何かと自分の内に溜めるタイプではない。
だからと言っても、全てを全て外に吐き出すタイプでもない。
何なら外に出してもいいかを考えて吐き出す。
自分で抱えそうになった時は、話しても構わない人間に話す。

『話を聞いてもらう』という効果の有効性を知っているのだ。

そういう意味では、自分を大切にするやり方を心得ているのだ。
自分が如何に自分を取り巻く人々にとって大切な存在だということを悟っているから、手塚は決して自分を虐げない。
自分を取り巻く人々が大切だからこそ、自分を大切にしている。

「俺でいいならどんどん話して!オチビ関連?」

菊丸のこの呼び方も変わらない。
既にリョーマは小さいと形容できる程のサイズではない。
けれど、手塚が菊丸とつい呼んでしまうのと同じ様に菊丸も未だにオチビ、とリョーマのことを呼ぶ。

そう呼ばれる度にリョーマは、もう小さくないッスよ、と答えるのだけれど。

「ああ」
「なに、オチビが構ってくれなくなった、とか?」
「いや、そういう訳ではなくだな…」
「なに、セックスレス!?」
「いや、それも違う…」

じゃあなに??と菊丸は首を捻る。

「最近のアイツは…なんというか、腹が減れば、これじゃなければ嫌だと自分の食べたいものを言ってくるわ、今日の風呂はあの入浴剤で入りたいから今日買っておけだとか、部屋が散らかったから片づけておけだとか…」

堰を切ったかの様に言い立ててくる手塚の拳がふるふると震え出したのを菊丸はこっそりと視線の端で認めて、手塚が言葉を続ける前に口を開いた。

「つ、つまりはチョーわがまま、って、こと?」
「一言で言ってしまえばそういうことになる。しかも、毎夜毎夜せまってくるわ、オフの日は殆ど一日中ベッドの中だし…」

舌の向くままにぺらぺらと話していたが、その話の内容にはた、と気が付いて手塚は押し黙った。

「や、それは…なんとも…お盛んなことで…」

ついつい菊丸は天井に視線を漂わせて、カップに口をつけた。
手塚も気不味そうにカップに口をつけた。

「……」
「…………」

何とも言いがたい微妙過ぎる空気が大石家の居間を包んだ。

そんな空気を打破したのは、手塚だった。
コホン、と咳払いを一つ。

「と、兎に角だな、俺が言いたいのは、自分の身の回りの世話をして欲しいなら家政婦でも雇えばいい」
「う、うんうん」
「性欲を吐き出したいなら風俗にでも行けばいい」

最後はポソリと言った手塚に菊丸は困った様に笑って、カップをソーサーの上に置いた。
カシャンと小さな音に手塚は俯かせていた視線を上げた。

「手塚って、結構おばかさんだったんだね」

視線の先ににこり、と笑う菊丸にむ、としながらも手塚はまた視線を下ろした。

「どうせ俺は馬鹿だ」
「そういう意味じゃなくってねー」

くすりくすりとついに声を零して笑う菊丸に手塚はまたカップに口をつけた。
もうそろそろカップの中が空になりそうだ。

「ワガママっていうか、それはオチビが手塚に甘えてるだけだって」

菊丸の言葉にカップを傾けていた手塚の手が止まった。

「そうなのか?」
「うん、絶対そう。甘えるのがオチビなりの手塚への愛なんだよ」

菊丸が不意にカップを片手に立ち上がった。
どうやら手塚よりも先にコーヒーを飲み切ってしまったらしい。

キッチンへと歩く菊丸の背からもう底が見えそうなカップに視線を移した。

その脳裏では菊丸の言葉を反芻していた。

「手塚も2杯目行く?」

声をかけられて、ふっと思考が途切れる。

コーヒーポットを手に持つ菊丸の後ろに見える掛け時計の時間を認めて、手塚はこくりと一つ頷いてカップを片手に立ち上がった。
丁度、もう一杯飲んだぐらいがキリがいいだろう。

「第一ね、毎日迫ってくるなんて、手塚だから、なんだからね。そこは心配しなくていいの」

手塚のカップにたっぷりと注ぐ菊丸が何故だか少し怒りながらそう言った。

「ああ、大丈夫だ。もう解決した」

和らいだ表情でそう答える手塚が見えて、菊丸はぽかんと口を開いた。
玄関を開いた時は何とも苛立った雰囲気を身に纏っていたというのに。

ちょっとは役に立ったのかな。
そう思うと菊丸の頬も微かに綻んだ。

「んー。そっか、それならいいや。ね、手塚」
「なんだ?」
「オチビのこと、好き?」

白い歯を見せて笑う菊丸に、手塚は微かに目を瞠ったが、深く、一度だけ頷いた。

「ああ」
「ん。オッケ。じゃあもう大丈夫だね」
「ああ。すまなかったな」
「そんなことないよん。これからは秀じゃなくて俺目当てに遊びに来てね」









それから、1時間たっぷりと菊丸との歓談の後、大石家の扉がごんごんとけたたましく叩かれた。

「エージ先輩、うちの人来てるでしょっ!?未だに大石先輩んとこに困ったら相談に来るんだから!!」
「手塚ー、お迎え来たよー」
「早くしないと次の試合間に合わないよっ!?オレが全仏不戦敗でグランドスラム逃してもいいのっ!?」
















イロチガイノスレチガイ。
お悩み相談室。ver菊丸英二。
し、新婚で…!!ついでに大石と菊丸も新婚さんで…!!(飛躍し過ぎ
えちっこは自家用機でお迎えに参上です。
手塚が傍にいないと試合の一つもできないえち。(えー。)
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