手を繋ぐ












朝、いつも通りに目を覚まし、
時計に目をやると、それはいつも通りの時間で、
居間へ行けば、いつも通りに祖父と母がいて、
そして、いつも通りに父が一番遅く居間へやってくる。
いつも通りの時間に家を出て、
いつも通りのバスに乗り込む。

そう、いつもと変わらなかった。

ただ、空が夏の色を少しずつ呈して来ているのが違うだけだった。



いや、違うのは空の色だけではない。

いつも通りの満員のバスに揺られ乍ら、手塚は憤っていた。

原因は、自分の掌に合わされたこの他人の掌だ。


手塚は、痴漢に遭っていた。

いつものバスは、今日に限っていつも通りではなかった。



手塚がいつも通りのバスに乗り込んで、バス停を二つ程過ぎた頃、手塚の肩に何かが触れた。
それは肩を摩り、手塚の肩から二の腕のラインを何度も撫でた。

痴漢だという現状に手塚が気付くまでには随分とかかった。
まさか、男の自分が遭うとは思わなかった。
それは、手塚が見れば簡単に男だと判る体格を有していたからだ。

179センチの長身に、適度に付いた筋肉、そして何よりも、手塚が着ている青学用の学ランは女は着ないであろう。
どこから見ても男の筈の自分が痴漢に遭うとは、到底信じられなかったが、現実は現実だ。

相手を確認しようにも、これは青春台の駅までのバスとあって、通勤のOLやサラリーマン、自分と同様、部活の朝練に行くのであろう他校生で溢れ帰っていて、体の向きを動かすのも侭ならない。
手塚の肩口に触れる手を何とか視線だけ動かして見れば、骨ばって、男のそれだと判る。

手塚は嫌悪感から、肌が粟立つ。
バス内が満員ながら、必死に身を捩るが、それでも男の手は無遠慮に手塚の二の腕や肘を触りながら次第に掌に近付いていき、手を勝手に繋がれた。

相手の掌はじっとりと汗ばんでいて、この上なく気持ち悪かった。
それに、手を繋いでくる痴漢なんて、手塚には前代未聞だった。

吐き気がするぐらい気持ち悪かった。

手塚の思いなど知らぬとばかりに男は手を握る力を強くしたり、自分の掌を擦り付ける様に触れてきたりした。

腕ぐらいは動かせないかと必死に抵抗を試みるが、バスという完全密室に定員を遥かに越えた要員を詰め込んでいて、抵抗空しく動かせるのは手首程度だった。

見も知らない様な他人の掌から逃げるべく、手塚はその動かせる手首で振り解こうとするが、男は手を握ることを止めない。
それどころか、手塚の指の間に自分の指を滑り込ませて、完全に掌をピタリと寄せた。

手塚の吐き気も最高潮に達したとき、バスのアナウンスが、次の停車が青春学園前と知らせてきた。
急いで空いているもう片方の手で降車専用のボタンを押す。
ビーッと音が鳴り、次、止まりますという硬質なアナウンスが耳に届く。

早く着け、と心で何度も叫びながら、手塚は必死に痴漢の手を耐えた。

目的地にバスが停車し、出口が開く。
出口に向かって、手塚が人込みを掻き分けて進む。
前進と同時に痴漢の掌も離れていったことに、漸く安堵の溜息が出る。

バスのステップを、逃げる様に小走りに駆け降り、車外に出る。
車外に降り立った手塚を待っていたのは、自分の肩口程迄の身長の後輩。

「オハヨーゴザイマス、部長」

越前リョーマ。

「部長?顔が青いけど、どうしたんスか?」

顔面蒼白になりながら、言葉を発せずにいる手塚にリョーマは不思議そう小首を傾げた。
そんなリョーマが救いに見えて、堪らず手塚は抱きついた。
それに驚いたのはリョーマの方だ。

「そんなにオレに逢いたくて仕様がなかったの?朝っぱらからそんな熱烈に抱きついてきてくれるなんて、オレってば愛されちゃってるね」
「……痴漢に遭った」

手塚の行為に驚きつつも、結局は嬉しがるリョーマの肩に顔を埋めて、手塚の口から呟かれた言葉にリョーマの顔が歪む。

「ち、痴漢!?」
「ああ、手を繋がれた」
「他にはどこも触られてない?」
「肩や腕も触られた。手だけはそれ以上に触って来て、逆に気味が悪かった」

肩に突っ伏して脱力した様に呟く手塚の声は正直、聞き取りにくかったが、リョーマは怒りを剥き出しにした瞳で去って行ったバスを睨んだ。

「…越前、手が気持ち悪い。凄く」

漸く痴漢から解放されたが、何だかまだ握られている様な感覚がした。
汗ばんだ掌やゴツゴツとした感覚がまだ手に残っている気がして、手塚の顔から血の気がどんどん引いていった。

「大丈夫だよ、もう痴漢はどっか行っちゃったから」

小さい子をあやす様に手塚の髪を梳き、少し硬質さも含む柔らかな髪に唇を落とす。
それでも手塚はまだリョーマにくっ付いて離れなかった。

「部長、朝練始まっちゃうよ、そろそろ行こう?」

自分にしがみつく手塚の耳元にそう囁くと、漸く手塚が顔を上げた。
落ち着いた?と伺いながら手塚のこめかみに再度、唇を落とす。
それで手塚は漸く自分を取り戻したのか、リョーマを抱きしめていた腕を解いて、ずれた眼鏡を人さし指で直した。

「すまんな、取り乱した」
「平気だよ。ああいう取り乱し方ならいつでも大歓迎だよ」

悪戯っぽく笑うリョーマの頬を窘めるとでも云う様に軽くペチリと叩く。
それにすら悪戯な笑みでリョーマは返すと、手塚の手を取った。

「行こう?」
「……ああ」

手塚の視線が掴まれている手元に向いているのを見て、リョーマが心配そうな顔つきで手塚を見上げた。

「さっき、あんな目に遭ったから、今は手、繋ぎたくない?」
「いや…」

手塚は2、3度首を横に振った。

「お前の掌は別格だから構わない」
「ベッカク?」
「そうだ、別格だ。意味が判らなかったら自分で辞書を引く様に」

何それ、と批難の声を上げながらも、抜け目なく手塚の指に自分のそれを絡ませる。

「まあ、特別ってことでしょ?ニュアンスからして」
「そんなところだな」

絡ませてくるリョーマの指に応える様に自分の指も絡め、掌もくっ付きあった所で、リョーマが歩き出す。

「繋いでいるのは、正門までだぞ」
「はいはい、判っておりますとも」

歩き出したリョーマにつられる様に手塚も一歩を踏み出した。












手を繋ぐ。
うちんちの部長は王子の掌が大好きです。
手塚の手をバスで握って来た痴漢は、多分掌フェチなんだと思います。
やだなあ、見知らぬ人に手を握られるなんて。
しかも、性的な意味で握られるなんて。
リョーマは普段は遅刻するですが、ちょっと早く目が覚めた日には こうやって、部長が降りてくるバスを待っててほしい。
そして、部長バス通学推奨です。イチオシ!

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