玩具
目に付いた長細い箱を引っ張り出すと纏わりついていた埃がむわりと立ち上った。
少しばかりそれを吸ってしまったらしく、か細く乍ら咳が口を突く。
「リョーマさん、大丈夫?」
「ん。何とか」
近くにいた長い髪の女が心配そうに顔を覗き込んでくる。
ここ2、3日、派遣されて通ってきてくれるメイドだ。
年の割に幼い貌立ちで何とも男好きしそうなソレである。しかし、自分達の好みではない。
貿易商という職業柄、家を空ける事の多い手塚というあの男に太夫であった自分を半ば強引に身請けさせてから、随分と月日が経った。
仕事が最近は軌道に乗ったのか、主人自ら海外へ行く回数が少なくなり、度々海外へ発つことは無くなった。しかし、その代わり一回海外へ行くとあちらでの滞在時間が増えてきた様に思う。
そうして家で放っておかれて、する事もなく居間でメイドに出してもらった茶を啜っていると、リョーマに茶を出した後、奥に引っ込んでいた彼女がはたきやら雑巾やらを小脇に抱えて出て来た。
掃除をするのだとその格好から簡単に推測できたから、リョーマはどこを掃除するのかを尋ねた。
普段から掃除に余念のないこの屋敷でそこまでの道具を持ち出してまで綺麗にする場所などリョーマは思い当たらない。
尋ねたリョーマに彼女は離れの小屋の掃除だと朗らかに答えた。
手塚が発つ前にそこの掃除を頼んだらしかった。
彼女の言うその小屋の存在はリョーマも知っている。
知ってはいるが、中を覗いたことはない。
別に家主から覗くなと言われていた訳ではなく、ただリョーマに小屋に対しての興味が無かっただけだ。
しかし、今は退屈で死にそうな程だ。
だから彼女に着いていく事にした。
偶には掃除でもして体を動かさないと気分が滅入りそうだったから。
そうして掃除をしつつ見つけたのが先程の箱だ。
縦に長細く、厚みはそんなに無い。
けれど、桐でできたその箱は如何にも上等そうで。
その様が以前手塚に貰ったアンクレットの入っていた箱とサイズこそ違うが形がそっくりで、この小屋の掃除が終わった後にでも中を見ようと扉の外の脇に置いておいた。
掃除も一片付き、本宅へ件の箱を抱えて戻る。
屋敷全体が洋装な為、持って入るだけで桐の箱はとても浮いて見えた。
リョーマも桐の箱と趣は同じく、衣服は和装だが、この屋敷に長々と滞在していると自然と周りとは馴染んできている様だった。
広い居間の傍らで、床にそのまま腰を下ろしてリョーマは桐の箱を開けた。
「…三味線?」
そう、中から出て来たのは紛う事無く、三味線。
朱塗りな本体は入っていた桐の箱に適うぐらい高級そうな出で立ちで。
三味線と共に入っていた撥で弦を試しに弾いてみると、なんとも音の外れた胡乱な音が響いた。
「こりゃ、音締めしないと使えそうにないかも」
何度も撥で弾いてみるが、変梃な音が部屋に木霊するだけだ。
その馬鹿げた音にふう、と一息吐いて三味線を床に置き、立ち上がる。
目指すは屋敷と隣接している手塚の事務所だ。
主は居ないが社員は居る。
屋敷と同じく洋式の建物のドアノブを捻って開く。
中では卵に似た形の輪郭をした坊主とも刈り上げともつかない、リョーマからすれば奇妙な髪型をした青年が書類に向かっている。
熱心に向かい過ぎていて、扉が開いた事にも気付いていないらしい。
リョーマは、苦笑混じりに嘆息を吐きつつ、内側に開いたドアに寄りかかり乍ら右手の拳で2度ドアを小突いた。
コンコン、と矢鱈高い音がする。
その音に弾かれた様に先程の青年が顔を上げる。
吃驚したような顔付きだったそれは、リョーマの姿を認めると安堵した様な表情に緩慢に変わる。
「なんだ、越前か。客かと思った」
「お仕事中に堪忍え。大石はん、こちらに三味線の弦ってあるやろか?」
曲がりなりにも貿易会社だ。
世界中のありとあらゆる物が倉庫には眠っている筈である。
リョーマはそれを狙って此所へ来た。
此所にもし無ければ、その時は自分で買いに出かける迄だ。
「ああ、確かあったよ。少しそこに掛けて待ってて。持ってきてあげるよ」
「ええん?忙しいんやないの?」
忙し過ぎたからドアが開く音にすら気付かなかったのではないのか。
そう思っていたのに、大石は優しく微笑んで若いモンが遠慮するもんじゃないよ、と残して事務所の奥に消えて行った。
折角なので大石の言葉に甘える事にして、事務所の中の豪奢なソファーに腰掛けて待つことにする。
ただぼーっとして待つことしかなくて、最近いつでもぼうっとしているな、と何気なく思う。
いっそ、彼に付いて行けば退屈をしないのだろうが、彼のはお遊び等皆無の『仕事』で動いているのだ。
仕事の邪魔をする気にはならない。
よく、仕事と自分とどっちが大切か、なんて聞く女がいると耳にするがとんでもないと思う。
相手が大切だから仕事をするのだ。
今、手塚は自分の為に仕事をしてくれているのだ。
こう思うのは傲慢だと周りは言うかもれしないが、多分にそうなのだ。
リョーマはそう思っている。
きっと誰に何と言われてもそう思っている。
そして、手塚に経済面で担って貰っているからこそ、リョーマは仕事には口出ししない。
敢えてしたことがあるとすれば土産をねだる、なんて可愛らしい我侭だろう。
(愛故の沈黙、ってやつかな)
つらつらとそんな事を考え乍ら、結論ににやりと悪い笑みを浮かべた辺りで大石が帰って来た。
「はい、これでいい?」
「へえ、おおきに。助かるわあ」
「いやいや、気にしないで。三味線、弾くんだ?」
「うっかり発掘してもうて」
手塚と家に来るメイド以外は未だに営業の顔だ。
恐らく、洞察力の優れた大石には本性がばれているように思うがそれでも一応、本性はスラリとは見せない。
ほな、ほんまおおきに。
そう『はんなり』と営業スマイルを残して事務所を後にする。
道具が手に入ればこちらのものだ。
三味線の手入れなんて現役時代は十八番だった。
男娼だというのに、あの館の偏執狂な主はそういう女郎がやらせるような事も覚えさせた。
下っ端の子らで舞に歌にとで客を楽しませるだけの安価なお座敷メニューを作るのだと言っていた。
最早それは女郎と言うより舞妓の域だ、とリョーマは当時そう思ったものだった。
結局、そのメニューもできて店は更に繁盛していたが、そのメニューが確立する頃にはリョーマはもう太夫の道を歩き始めていたから、新人達が行う様に座敷で自分の技を披露する事は無かった。
三味線に触れるのは久しいが、指は完全に動きを覚えている。
音締めのやり方も、呼吸をするかの様に自然に。
手塚が帰ってくる迄、まだまだ余裕があったのでリョーマは日に少しずつ音締めをしていった。
箱を開けた時は胡乱な音を奏でていた三味線もリョーマの手によって日を追う毎に次第に箱に入れられる前にしていただろう元の音色に戻って行った。
そうして元の音色が戻ると、覚えている曲を摘ま弾いて遊んでみる。
覚えている曲数は対してそんなになかったので、思い出した様に自分が住んでいた妓楼に楽譜を寄越すよう、館の主宛に手紙を書いた。
主からは数日後、呆れた様な文章と共にかなり沢山の楽譜が送られてきたので、リョーマは手紙は碌に読まずに楽譜をなぞって摘ま弾いて日々、三味線で遊び明け暮れた。
そうして手塚が長い海外滞在から帰ってくれば、いつもは駆けて迎えにくる少年の代わりに、三味線の音色が迎えた。
扉を開けた音と同時にそれは止み、衣擦れの音と小雨が降る様な音がして奥の部屋からリョーマが顔を出した。
「おかえり」
「ただいま。あの音はどうした?」
靴を脱いで上がれば、にこりと笑ったリョーマがこちらへいつもの様に駆けてくる。
「三味線」
「買ったのか?」
「ううん、小屋で見つけた」
「小屋?」
言われて、手塚は家を出る前にメイドにあの小屋の掃除を頼んでいたことを思い出した。
あんなところに三味線なんて入れていただろうか、と思案しながら玄関から奥の部屋へと向かう。
向かう手塚の傍らに猫がじゃれる様にリョーマが擦り寄ってくる。
「歩き難い」
「いいじゃん。ね、聞かせたげるよ、三味線」
「弾けるのか」
驚いた様な顔をした手塚に少しばかりむっとしてリョーマが見上げる。
「アンタ、オレが廓出身なの忘れてない?」
言われて、ああ、そういえば、と思い出した。
「子守唄に聞かせたげるよ。疲れて今、眠いでしょ?」
リョーマが手塚の手を引いて寝室の扉を開く。
「珍しいな、お前が帰ってきた俺に睡眠を勧めるなんてな」
いつもならがっついてくるのにな、と喉でくつくつ笑えば、にやり、とリョーマは悪い笑み。
「次、発つのはまだ随分後でしょ?大石さんから密かに聞いてるよ。時間があるならオレだってがっつかないって」
ベッドに腰掛け、ふと、手塚は一つ思い出した。
目の前では部屋の隅に置いておいた三味線をリョーマが掴んでこちらへやって来る。
「これからは俺が発つことはなくなった」
「え?嘘、マジ?」
「ああ」
頷いた手塚についつい、リョーマは三味線をベッドの上に放り投げてその首に腕を絡めた。
「こら、俺の眠りの為に弾いてくれるんだろう?早く弾け」
「何それ、嬉しい事を嬉しいって表現して何がいけないの」
相変わらずつれないんだから。
ぶつぶつ小言で繰り返しつつ、リョーマが腕を離す。
離す間際に掠める程度に手塚の唇を奪う。
「よしよし、それではお兄さんが弾いてやるから子供は聞き乍ら寝なさい」
「はいはい」
言うや否や手塚はベッドに横になる。
その傍らに腰掛けながら、リョーマは三味線を構え撥で押さえ乍ら流麗に奏でる。
「そういえば、この三味線ってどうしたの?アンタの?」
撥を弾く手を休めぬままリョーマが話しかける。
「ん?いや、俺はそんなものを弾いた経験ないからな。母の、じゃないか?」
「ふーん」
部屋に弦の音色が響く。
「かれこれ5年は放ってあった筈だが、よくまだ使えたな」
「オレが直したの」
「ほう。流石、太夫だっただけあるな。三味線の扱いはお手の物か」
手塚の目蓋がそろり、と少し降りてくる。
「まあね。お座敷遊びは一通り習ったから。人の前でやったことないけどさ」
曲調が柔らかなものに変わる。
「じゃあ俺はタダでお座敷遊びができるんだな。いい買い物をしたな」
「でしょ?こんなオレが手元に居てミツは幸せだよねー」
ああ、幸せ幸せ、と繰り返す手塚の声はもう半分夢の世界へ旅立っている。
「それにしても、ミツが外に行かなくても済むなんてね。折角居ない時の玩具を見つけたのにさ」
「なんだ、俺が居ない方がいいみたいな言い方だな」
「まさか。オレの最大の玩具はアンタだよ」
「失礼なことを言うやつだな」
そこで完全に手塚の瞳が目蓋に隠される。
寝息は聞こえて来ないから、辛うじて寝ているのではないと判る。
「だって、オレにはアンタが居れば暇しないからね。ね、…ミツ、好きだよ」
「ああ、判ってる」
「アンタもオレが好き?」
「ああ」
簡潔ながらも返ってきた手塚の言葉にリョーマは一人破顔する。
「日中は、流石に事務所にいるからな、その時にでも、ソレで、遊んでおけ」
眠気に軽く顎でしゃくってリョーマの手の中の物を指す。
「そうだね、昼間はこれで遊んで、夜はアンタで遊ばせてもらうよ」
にやり。
リョーマが意地悪く笑った貌は寝息を立て始めた手塚は知る由もなく。
玩具。
イコール三味線、イコール手塚。
身請けされてからは留守中のリョーマ→帰ってくる手塚→寝る。でパターン化し始めたので、手塚は外には行かなくなったことにしました。
まあ、あれです、代わりができたんですねー、きっと。
リョーマが三味線弾いてるのを書きたくて…!書いてしまいました、今回。
ちなみに、乾を形容した偏執狂はマニアックと読みます。
妄想甚だしい世界ではありましたが、ありがとうございました〜
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