絶体絶命
切り立った崖の上から伸ばされた小さな左掌。
それが掴むものは下方へ伸びる長い腕。
「越前、もういいから。手を離せ」
「ヤダ!」
眉根を寄せて眉間に皺を作る手塚の諦めがちな声にリョーマは大きくかぶりを振って大声で叫んだ。
その声は涙で滲んでいる。そして、その大きな眸も。
「ヤダじゃない。離せば、犠牲は俺だけで済むんだ」
「そんなのヤダ!アンタがここから落ちたら残されたオレはどうしたらいいの!?アンタの居ない世界に意味なんてない!」
「…お前は、生きろ」
「ヤダ!ヤダよ!オレはアンタと生きるの!……アンタを愛してるんだ」
今にも離れていきそうな手塚の大きな掌に込める力をリョーマは強める。
そんなリョーマとは逆に手塚はリョーマの掌を掴む力を緩める。
「生きてよ…こんなとこで死なないで。オレの為に生きてよっ!」
リョーマの悲痛な叫びが聞こえる。
きっと泣いている。
手塚はそう確信を持つが、その涙を今の自分が止めてやる事も拭ってやる事も出来ない。
「俺がここで果ててもお前の中には残る。お前は俺を忘れたりしないでいてくれるだろう?」
ならせめて、最期の言葉はこの者にだけ聞かせたい。
生きて来た短い人生の中で唯一愛した、愛してくれた人。
掌の先の愛しい恋人は消え入りそうな小さな声で、うん、と呟いた。
「お前が覚えていてくれるなら、それで充分だ。産まれて来た意味がある」
手塚の手の力が抜けて行く。
ズルリ、とリョーマの掌の中で手塚の掌が下へ動く。
「…ズルいよ、アンタ。アンタはオレを思ったままエンディングを迎えても、オレはアンタの死を抱き続けてこれから生きていかなきゃいけないんだよ?」
離したくなくて、手塚を下で待ち構える大海原にやりたくなんかなくて、リョーマは両手で手塚の掌を握った。
手塚の手を握っていなかった右手は自分と相手とをこの大地と繋いでいた支えの糸。
その手すらも手塚に預ければ、彼の重みでリョーマの体が少し崖先へ動く。
「越前、俺は自分が思ってたよりもずっと欲深い男だったみたいだ。永遠にお前の気持ちを独占できるなら…この死も本望だ」
「死ななくても!死ななくても、アンタでオレは埋め尽くされてるよ!だから、一緒にこれからも生きて、アンタでオレを破裂させてよ」
リョーマには見えていただろうか。
手塚が嬉しそうな顔をした後に首を横に振ったことが。
「お前には生きて欲しい。それが、俺の最期の願いだ。頼む、後は追わないでくれ」
そして、手塚はだらりと垂れ下がったままだった右腕を上に伸ばして、自分の掌を必死に掴んでいるリョーマの掌を包んだ。
「最期ぐらい、俺のワガママを聞いてくれ」
刹那、リョーマの掌に添えた右手で力任せにリョーマの掌を張った。
反射的にリョーマの手の力が緩まり、スルリと手塚の掌が抜け落ちて行った。
「越前、お前をいつまでも愛してる」
「……ぁ」
掌の中に何者もの暖かみも重さも無くなって、リョーマはがばりと身を起こした。
その眸が捕えたのは小さくなって行く自分の愛しい人。
その耳が捕えたのはいつもはねだってもくれなかったあの人からの愛しい言葉。
ドブン、と一際大きな音がさんざめく波の音の隙間に聞こえて、リョーマは両膝を着いた。
涙が一筋頬を伝って落ちた。
……そこで、桃城武は目を覚ました。
握った掌には大量の汗。
「…なんで、俺こんな夢見たんだ?」
ありえねえ。
そう顔にもかいていたらしい汗を拭うと、階下から母親が自分を起こす声が聞こえて来た。
今日も、空は快晴。
絶体絶命。
崖間のヒトコマ。
ただ、ただこれだけが思い浮かんでツラツラと。結局は夢オチで落とす何処迄行ってもオオザキな私です。
始めはリョーマもそのまま手塚と落ちて行く筈だったですが、取り残してみました。
大切な人が喪われていない私だからこそ書けたかと。
本当に大切な人を喪えば、きっとこんなの書けなくなるかと。
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