きらきら光る
自分が周りに執着しないこと、興味を持たないことをリョーマはこの時、激しく後悔した。
校内ランキング戦の表にもあった筈だったし、いつかの試合で誰かが言っていたような気もするのだけれど。
手塚の、下の名前をリョーマは知らずにいた。
それに気が付いたのは、手塚が宮崎へといなくなってからだ。
携帯の番号を教えてもらって、自分の携帯のメモリーに入れようとして『手塚』と打ったところで、あれ、あの人の名前ってなんだったっけ。と今更に思って気が付いた。
なにしろ、普段部内では『部長』『手塚部長』『手塚』の3通りでしか呼ばれない。
自分も『部長』としか呼ばない。
誰も、彼を下の名前で呼ばない。
まずい。
これは非常にまずい。
他ならぬ恋人の名前を知らないという事実は非常にまずい。
だからと言って、本人に「アンタの名前なんだったけ?」と聞くというのも躊躇われた。
決して彼は女々しい性格ではないから、名前を知らなかったと言っても拗ねたり僻んだりはしないだろう。
しないだろうけれど、彼氏、という立場の自分の沽券に関わる。
もう一つの手立てとしては、誰か他人に訊ねるということがある。
自分の周りで手塚の名を知る者―――。
手塚と同学年の5人。
大石、乾、菊丸、不二、河村。
丁度、自分の視界の中に5人揃っている。
部活中なのだから当たり前なのだけれど。
この5人のうちで、絶対に訊ねていけないのは、二人。
不二と乾。
『あれ?越前、そんな事も知らないの?』
きっとそう言って、揶揄われるだけ揶揄われて結局教えてくれない、という結果が目に見えている。
特に不二はそういうタイプだ。
残るは大石と菊丸、そして河村。
大石は確実に知っているだろう。
何しろ、あの人が何かとあると相談を持ちかける程に懇意にしている相手だ。
お互いに信用の度合いが高い。
ただ、それ故に訊ねにくい。
何しろ、手塚という人間は部内で宝のような存在で。その人のことを任せられているのだ。自分は。
部内で一番手塚の保護者的存在である大石には、酷く、訊ねにくい。
菊丸と河村。
その二人を視線の先で見比べて、暫しの黙考の末にリョーマは立ち上がった。
「河村先輩」
「なんだい?越前」
穏やかな表情で河村が振り返った。
「…ちょっと、訊きたい事があるんですけど……」
「俺に?珍しいね」
驚いたように、けれどどこか嬉しそうに河村は目を細めた。
後輩に頼られる事が純粋に嬉しい、という、そう言った顔だ。
河村に訊ねることを決めたのはそんな彼の性格故だ。
柔和で、けたたましくない。
そして、口が固そうだという点。
菊丸には失礼な話だが、菊丸に『部長の名前知ってます?』と訊ねれば、恐らくその場で不二を呼ぶ。
もしくは、大石を呼ぶ。
大石でなくとも、必ず、誰かを呼ぶ。
『オチビが手塚の名前知らないってー!!!』
きっと、こんな感じで。
自分が手塚の名前を知らない、ということを周囲に知られるのはまずいのだ。
先述したが、沽券に関わるのだ。
人にこの事実が知られるにしても、最低限に押さえなければならない。
「で、訊きたいことって?」
「…あの、他の人には内緒にしてて欲しいんですけど…」
話し辛そうに語尾を濁す後輩の様に河村は小さく笑った。
いつも無敵とばかりに強気な筈なのに。
こういった態度は稀有で貴重に思えた。
そして、そんな河村の笑いにリョーマは居心地が悪そうに俯いたまま視線を逸らした。
「ごめんごめん。もう笑わないから」
「…そうしてやって下さい。我ながら情けないって思ってるんで…」
ふう、とリョーマは自分に対して溜息。
ああ、手塚の癖みたいだな、と河村は溜息を吐くリョーマを見て思った。
肩を少し竦める様やタイミングなど、手塚に本当にそっくりだと。
「越前は、手塚に少し似てきたね」
「え?そうッスか?」
思ってもみないことを笑顔で言われてリョーマはたじろいだ。
「うん」
「そ、そうッスか…あの、その部長の事で訊きたいんですけど…」
「手塚の事?それなら大石とか不二の方が知ってるんじゃないかな?乾だったら手塚本人ですら知らないことも知ってると思うけど――」
「いや、そんな大袈裟な事じゃないんで…」
大袈裟でないからこそ、河村が挙げた人物達には訊ねられないのだ。
「部長の下の名前なんですけど…」
「下の名前?ええと、たしか国光だったと思うけど」
普段呼ばないからなあ、と河村は思案顔だ。
「クニミツ?」
「たしかね。あってたと思うんだけど。国、に光る」
「国光?」
それはまた何とあの人に似合いの名前だろうかとリョーマは胸の裡で何度か反芻した。
「部長にぴったりっすね」
「越前もそう思う?純和風って感じで手塚にぴったりだよね」
「語感もそうだけど…それ以上に光るってとこが」
正にあの人らしいと思えた。
どんなに強い相手と戦っても、どんなに魅力的な人間と出逢っても、彼以上には自分の中で光る存在はいない。
手塚の両親がどういう意図でこの名を彼に与えたのかは定かではないけれど、誰よりも輝く存在であれ、という意味を持たせていたのだとしたら彼は正確にその通りに育ったと伝えたい。
きらきらと夕立ちの後に残された滴が陽の光を反射して光るように、あの人は眩しい。
手塚国光、という存在は何よりも眩しい。
「すごいぴったり…」
「手塚もそんなに越前に気に入って貰える名前だと知ったらきっと喜ぶね」
「そう、ですかね?」
あの人が名前を自分が気に入った、というだけで喜んでくれるだろうか。
未だにあの人が何をしたら喜んでくれるかというのは模索しているというのに?
「それだけで喜んでくれるならいくらでも言ってあげるのに」
ぽつり、とリョーマは漏らした。
「越前も対手塚、となるとまだまだ、かな?」
「言わないでくださいよ。オレが一番そう思ってるんで…」
笑顔で告げる穏やかな先輩にリョーマは苦笑で返した。
今度の電話では名前で呼んで驚かせてみせようと思った。
その後に、アンタにぴったりだと言ってみよう。
きらきら光るアンタにはこの上ない最高の名前だと。
電話越しであの人は喜んでくれるだろうかと思いを馳せながらリョーマは手にした携帯電話で『国光』と打ち込んだ。
きらきら光る。
国光。
いや、ね、リョマさんはいつ国光の名を知ったのかしら、と思って。
青学は名札はないぽいですし。
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