one sided
レモンイエローがアウトラインの精いっぱい手前で跳ねて、四角いブラウン管の中、盛大な歓声があがった。
画面の中では両手に拳を作り、掲げる人物と肩をがっくりと大きく落とす両者の姿。
声の中に双方は沈んだ。
繋がりはしないだろう、と思いながらもその晩に手塚は携帯を手に取った。
目的の番号をアドレスの中から探し出して通話ボタンを押す。
2、3回機械音がした後、案の定留守番電話が応答する声がした。
もしかしたら、と思っていた手塚は内心少々落胆しつつも、頬を擡げた。
ピーっと硬質な音がして、手塚は唇を解いた。
「グランドスラム達成おめでとう、越前」
それだけを言って、切った。
次の日から、ニュースというニュース、新聞、雑誌とメディアはこぞってグランドスラムを達成した自国の英雄を讃えた。
『越前リョーマ、初のグランドスラム達成』
彼がプロとして世界を周り始めて5年の月日が経っていた。
彼だけでなく、自分も夢にまで見ていた全世界制覇。
王者の称号。
それを、遂に彼は手にした。
手塚家の電話が鳴った。
それと同じ様に手塚の胸も高鳴った。
もしや。
一縷の期待が胸を通り過ぎる。
一度息を吸ってから、手塚は受話器に腕を伸ばした。
「もしもし」
「手塚?僕だけど」
「不二…」
電話越しに相手はくすりと笑った。
「なに、そのお前か、みたいな残念そうな声は。僕じゃ不満?」
「いや…すまない、そういう訳ではなくて…」
「判ってるよ、越前からの連絡を待ってるんでしょ?…まだ無いの?」
「あっちでも大騒ぎしてるんだろう。仕様がない」
「仕様がないって…。恋人を放って何をしてるんだろうね、彼は…」
困ったようにまた電話の向こうで不二は笑った。
「何しろ、グランドスラムだからな。世界中が放っておかんだろう」
そうだ、仕様がないのだ。
グランドスラム達成までの3つの大会の優勝の後もこうして中々掴まらなかった。
「で?わざわざ家に電話してきて何か用事か?」
「あ、そうそう。忘れるところだったよ。余計なお世話かな、とも思ったんだけど、どうやら越前からは知らされていないみたいだし、丁度良かったかな?」
「? 何だ?」
取る物も取り敢えず、手塚は身一つで家を出た。
『ちょっと裏口から聞いた話なんだけど…』
着いた先は都内でも有名な絢爛豪華なホテル。
急いで来たにも関わらず、決して不審に見られるような身なりでは無い。
ロビーの前を通り過ぎても特別何も声をかけられなかった。
スピードを上げようとする脚をなんとか押さえつけて、平常心をその身に纏って、エレベーターに乗り込んだ。
目的地はこの最上階。
『越前が、予定を切り上げて今晩帰って来るそうだよ』
機械音と共にドアが開く。
豪奢な壁の飾り物になど目もくれず、手塚はその廊下へ出た。
毛足の長い絨毯に爪先が沈む。
廊下の先にはドアが一つだけ。
そのドアの傍らには屈強そうな男が二人。
内心で、手塚は舌打ちをした。
『実家は今、報道陣が凄いからね、一旦ホテルに行くそうだよ。部屋番号は…』
男二人は訝しい表情で、手塚を迎えた。
手塚も睨む様な険しい表情で相手に迎えうつ。
「失礼ですが、こちらは…」
「中に越前リョーマが居るでしょう。私は彼の友人です。面会を願いたい」
そこを退け、と叫びそうになる声を押し殺して、極めて冷静に手塚は口を開いた。
その手塚に対し、男達は肩を竦めた。
「生憎と、友人です、はいそうですか、で通す訳には参りません」
「しかし…!」
「こちらも仕事ですのでね。お帰り願えますか?きちんとアポを取って頂かないことにはお通しできません」
手塚の前を塞ぐ様に男二人はドアの前に立ち並んだ。
その二人を怯むことなく睨み上げて、手塚はやおらにポケットを探り、携帯電話を取り出した。
つい先日かけたばかりのその番号を押した。
いつも通りの機械音。
突然、携帯電話を取り出した手塚に男達は不審そうに眉を顰めた。
「おい、どこに電話を…」
男の一人が口を開いたその瞬間に、手塚の耳元では機械音が止んだ。
「越前か。俺だ。今、部屋の前まで来てるんだが…」
『越前』というその単語に男達の顔色がみるみるうちに変化した。
「お、おい…」
男の一人が手塚の肩を掴もうと腕を伸ばしたその刹那。
「部長っ!?」
男達の背後の扉が勢い良く、けたたましい音と共に開き、携帯電話を手にした部屋の主が飛び出て来た。
唖然とする男二人の正面で、手塚は冷静な素振りで通話終了のボタンを押した。
「私は彼の友人ですが、何か?」
「し、失礼いたしましたっ」
巨躯の男が揃いも揃って体を折り曲げて深く頭を下げた。
その男の後ろで自体が飲み込めないらしいリョーマがまだ携帯電話を耳に当てたまま、ドアを開いたままの態勢でぱちくりと2、3度、瞳を瞬かせた。
「何??何か起こってた訳?」
「いや?」
まだ体を折り曲げたままの男達の間を割って、飄々とした様子で手塚が扉へと進む。
「? アンタ、何か怒ってる?」
「いや?」
「絶対怒ってるって」
リョーマの脇も擦り抜けて、手塚は部屋の敷居を跨いだ。
その後を追う様に、リョーマは慌てて扉を閉めた。
自動的に施錠される音がした。
部屋の中心まで進んで、手塚はそこに設えてあった厭に大きい皮張りのソファに腰を落とした。
長く伸びた脚を組む。
どっしりと腰を落としたその手塚の前にリョーマは呆けた様にリョーマは立った。
その耳元にはまだ握りしめられた携帯電話。
ツーツーという音がそこから零れていた。
「いい加減、切ったらどうだ」
その様を見兼ねて、手塚が切り出すと、今更それに気付いたかの様にリョーマは通話終了のボタンを押した。
それから一拍置いて、電源も。
「…なんで」
「ん?」
「なんで、此所にいんの?」
「お前が此所にいるからだろう」
おかしな事を訊く、とばかりに手塚は小首を傾げてみせた。
リョーマの眸が何とも形容し難い色で染まった。
困惑しているような、けれどどこか嬉しそうに。
暫間、広い広い部屋を沈黙が支配した。
それを打ち破ったのは手塚だった。
凝っとリョーマを見据えて。
「帰ってくるなら、どうして一番に連絡を寄越さない」
途端、リョーマは瞑目した。
手塚は何か迫りあがってくるものを感じて、視線を床に落とした。
悲しかった。人づてに聞いた、という事実が。
いつも一番に自分の事を考えてくれている、と相手が思っていてくれていると過信していたのだと知らしめる事実が。
けれど、嬉しかった。
自分が居るこの島国に帰って来てくれた事が。
眸の奥に潜む栓がもう抜けてしまうか、という所で、リョーマがその身をふわりと抱いた。
「ごめん、驚かそうと思って…」
「電話も、したんだぞ。なのに返事はないし…」
「うん、聞いた。アンタの声聞いたら帰りたくなって、色々予定すっぽかして帰ってきちゃった」
あと1週間はあっちに拘束されそうだったんだから、と愚痴を零した。
「ごめんね」
きゅう、と腕に力を込められた。
それに応える様に、手塚もリョーマの背に腕を回して、肩口に額を埋めた。
「ただいま」
「おかえり。それと…おめでとう」
「うん、ありがとう」
何度も包んでくれた温度が自分の腕の中にある。
目の前で見慣れた猫毛がふわふわと揺れた。
それだけで、もう良かった。
腕の中の体温がもぞりと身動ぎして、首筋にキスを落とした。
「越前…」
「なに?」
「いや…何でも…」
肩を押しやろうかと腕を解きかけて止めた。
触れ合いたいのは自分だとて同じではないのか?
寧ろ望みではないのか?
「あ」
手塚がその波に飲まれた瞬間、リョーマが不意に触れるのを止めて腕を解いた。
それに不満そうに手塚は眉を顰めた事にリョーマは気が付いてくすりと笑った。
「ちょっと待ってて」
手塚の額に一度キスを落として、ソファから降り立った。
触れられた箇所を手で触って、はたと先刻の自分の態度を思い出す。
触れられるのを止められて、不機嫌になった自分。
途端に羞恥が背後から襲いかかって来て、手塚はその掌で顔を覆った。
それが今の自分の本音だと知り得るからこそ、染まる顔の熱を押さえられなかった。
恥ずかしかった。
不意に、顔を覆っていたうちの右側の手を掴まれた。
明るくなった右側から、不思議そうな顔をするリョーマの顔。
「どうしたの?」
「何でもない…」
つい、視線を逸らす手塚により一層不思議そうにリョーマは首を傾げた。
「変なの。ね、ちょっと右手貸して」
「右手?」
リョーマに視線を戻すと、右手首を掴まれていた。
何だろうか、と思いつつも掌を上にしてリョーマに差し出すとくるりと180度返された。
そして、それを下から支える様にリョーマは自分の右手を手塚の右手の下に滑り込ませた。
丁度、エスコートをするような形になった。
「越前…?」
手元からリョーマに視線を上げると、唇を攫われた。
「越前…っ」
「黙って」
何か冷たいものが右手の指に触れた。
右手の、薬指に。
視線を落とすと、そこには自分の右手の薬指に嵌まっていく白金の環。
それを指の付け根まで通して、リョーマは手塚の右手を両手で包む様に握った。
「出会った頃に言ったよね?経済面でアンタの人生支えられるようになったら婚約指輪としてアンタにプラチナあげること」
それは飯事の様な幼い日のひとつの約束。
「忘れちゃった?」
そしてその約束が現実のものとして今、右手に在る。
「アンタの半分、今、この瞬間からオレが貰うよ?」
「越前…」
声が、思わず震えた。
「将来は、アンタ全部を頂戴。アンタの残りの人生全て」
オレに下さい。
「アンタの心も、体も、人生も。アンタが思う事も、夢見ることも。全部、その時はくれるって約束して…?」
今、この場で。
誓って。
一筋、瞳から零れた。
リョーマが困った様に笑った。
「誓う。そして、待ってるから。お前が俺の全てを奪っていくことを」
「うん」
「お前だけ、待っているから」
「うん」
「途中で投げ出したら承知しないぞ?」
「グラウンド100週?」
「馬鹿」
「しないよ。昔から、オレはアンタの虜だから。離せって言っても離さない」
「ああ」
頷いた瞬間にまた一筋、落ちた。
「部長、好きだよ」
「馬鹿…もう部長じゃない」
「名前で呼んだらオレが死ぬから未だ『部長』って言わせて?」
「…恥ずかしいのか?」
「うん、照れる。アンタのこと好きすぎて」
くすり、とお互い零すように小さな笑いが漏れた。
one sided
右手の件。
12221hitを踏んでくださった真嶋いこさんからリク頂きました。
右手の薬指は婚約指輪だそうなので。
one sided loveは片思い、という訳なんだそうですが、片側からの想い、右手に込める想い、という意味合いで取って下さいませ。
ラヴまでつけてませんのは、まあ、ある種意図的でございます…。
リョ塚の未来に幸あれ!えへら。
12221hitありがとうございましたv
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