素顔のままで
生徒会長としての顔。
男子テニス部部長としての顔。
一人の中学三年生としての顔。
手塚家の長男としての顔。
恋人としての顔。
そして、手塚国光としての顔。
「ねえ、どれがアンタの素顔なの?」
机を挟んだ向こう側に居るのは、生徒会長としての手塚国光。
物憂げな顔をしながら重要な書類と思われる何枚もの紙片をペン先で小突いていた。
どうやら行き詰まっているらしい。
そんな手塚の様子を珍しい、とリョーマは素直に思った。
生徒会長の顔の時は何でも器用にこなしてみせるのに。
その顔がリョーマの問いかけに面を上げた。
この一瞬に恋人としての手塚国光へと変わる。
お決まりにその顔にリョーマは見蕩れる。
触りたくなる衝動をぐっと堪えて、頬杖をついて誤摩化した。
「さあ、どれだろうな」
まだ、恋人の顔のままの手塚は揶揄めいて口許を緩めた。
「お前はどれだと思うんだ?」
けれど次の瞬間には書類に視線を戻し、生徒会長としての顔が恋人のそれに混じる。
手塚からの反問にリョーマは頬杖をついたまま考える。
建設されて以来ずっと使っているのだろうということを象徴するかのような年季の入った染みがある生徒会室の天井を見上げながら。窓の外からは校庭ではしゃぐ数人の生徒達の声。
そういえば今日は朝から天気が良い。
初夏の筈の日差しも強くなってきていた。もう夏が近いのかもしれない。
時計の針は昼休み終了まであと20分。
リョーマがそうして黙考している間は手塚がペンを走らせる小さな音、紙片を捲る音だけが室内に響く。
壁に掛けられた時計の長針がひとつ動いた。
「希望を言うと」
リョーマの声に手塚が走らせていたペンを机上に置いて、顔を上げる。
「恋人としての顔が素顔、かな」
生徒会長の顔の時には無い、柔らかい笑顔がある。
部長の顔の時には見られない、和んでいるらしい雰囲気がある。
一人の中学三年生ではない、思い遣られる気持ちがある。
手塚家の長男としてではない、甘えがある。
恋人としての顔の時は、『手塚国光』が曝け出されているとリョーマは考えた。
「正解?」
頬杖に乗った顔を期待に満ちた色で合否を尋ねれば、手塚はひとつくすりと笑った。
その笑いはやはり、他のどの顔の時にも見せない顔だ。
「ハズレだ」
「えーっ!?」
じゃあ正解は?とどこか拗ねた様なリョーマの眸が促す。
「いつでも俺は素顔で居るさ」
「ふぅん?」
そのココロは?
尚も言葉ではなく視線で問いかける。
これで通じてしまうのだから、お互いにはもう言葉は要らないのかもしれない。
正確に確認したい時は言葉は有効だけれど。
勘違いや擦れ違いをしない為にも。
自分がそう思うから、相手もきっとそう思っているだろうなどという甘えた自意識過剰は二人には無い。
何しろ、まだ出会って1年も経っていない。
触れ合いだしたことで云えば半年もまだ経っていない。
だというのに、少しばかりの以心伝心は出来る様になっていることは驚異とも云えるのではないだろうか。
元より、定められていたのかもしれない。
この関係は。
「偽る瞬間なんて無い。いつでも、俺は俺だ」
「コイビトの時に見せる顔もどこかで見せてる、ってこと?」
常に素顔だと云うのなら。
今自分の目の前で見せている独特の優しい笑い方もどこかでしていたりするのだろうか。
リョーマの胸がちくりと痛んだ。
驕る訳ではないが、どこかで独り占めしたい欲は一人前にある。
リョーマの正面では何事かを考える手塚。
「…そういえば、そうだな。コレはお前の前でだけだな」
「じゃあ、やっぱオレと居る時の顔が素顔なんじゃないの?」
生徒会長としての手塚国光。
部長としての手塚国光。
中学三年生としての手塚国光。
息子としての手塚国光。
恋人としての手塚国光。
手塚国光としての手塚国光。
「ね、そういう事にしとこうよ」
リョーマが頬杖を解く。そして解かれたその左腕は手塚へと伸びた。
指先が触れてきて、手塚は困ったように小さく笑った。
「ワガママだな」
「もうご承知デショ?これがオレの素顔だもん。見せるのは――」
この世界でアンタだけだよ。
そう告げてリョーマの掌が手塚を包み込んだ。
素顔のままで。
リョーマと居る時は素顔のままで。まる。(作文)
塚は本音、不器用さんだと思うので顔を切り替えるとか無理さんなのじゃないかと。
不器用、というか、テニスバカっつーか…ごにょごにょごにょ。
色々と器用なのは菊だと思いますよ。無難に。
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