入浴タイム
















「ひとつ。夫婦たるもの飯の時間も風呂の時間も共にするべし」

帰宅したリョーマの茶碗に米飯を盛っていた手塚の手が止まった。

「…は?」

白飯が届くのを待たず、副菜に既に箸をつけ始めていたリョーマを手塚は振り返る。

「どういう意味、だ?」
「そのまんま。オレとアンタは?今どういう関係?」

人さし指を突き付ける代わりに手塚に副菜の小松菜を掴んだ箸を突き付けた。
リョーマのその様を行儀が悪い、と思いつつも、その突っ込みに関してはまた後でするとして。
リョーマが今尋ねているのはお互いの関係の俗称。

「…夫婦」
「アンタもさ、いい加減それぐらい照れずに言えるようになってね。頼むから」

思わずしゃもじを握る手に力まで込めて、頬を染めて呟く手塚に少々呆れながら、リョーマは先刻手塚に突き付けた小松菜を口に運んだ。

「つまり?」
「うん?」
「夫婦だから、風呂も一緒に入れと言いたいのか?お前は」
「話が早いね。つまりはそういうこと。これ美味しいね」

言葉通り、美味そうに口の中のものを咀嚼するリョーマの前に手塚は盛り終わった茶碗を置いた。
ドン!とそれはもう力強く。力任せに。
思わず、リョーマの顔も強張った。

「…」
「断る」
「却下」

手塚は椅子に腰掛けて尚も夕飯を続けるリョーマを見下ろした。剣呑な眸で。

「なんで嫌なの。理由は?」
「理由?そんなものは明白だろう。お前の前で不容易に裸になれるか。貞操の危機だ」
「なに、そのあたかもオレがケダモノだ、みたいな口振りは」
「実際ケダモノだろうが。覚えがないとは言わせないぞ」
「残念ながら覚えてないんだよね。思い出させてみる?」

リョーマは箸を置いて、自分のすぐ隣に立ったままの手塚の腰へと腕を伸ばした。
が、目的地へと指先が触れるよりも前に手塚にその腕を払われた。

「結構だ」
「ちぇ。残念」

ちっとも残念そうではない口調でリョーマはそのまま手を引っ込めた。
そして、また箸を取り、食事を再開した。

「っていうか、ただオレは風呂に一緒に入ろうって言ってるだけなのにさ、そこまで想像されてるなんて思わなかったな」
「なに?」
「だってそうでしょ?多少なり、アンタも期待してるってことなんじゃないの?」

主菜を口に放り込んで、リョーマは卑らしい笑みを口元に浮かべて横目で手塚を見た。

「すけべ」

その一言に手塚は必要以上に狼狽した。

「っな!?お、お前、言うに事欠いてすけべとはなんだ、すけべとは!」
「風呂に一緒に入るってだけでそこまで想像してるんだもんねー。国光クンはエッチだなあ」
「一度も言ったことのない呼び方で呼ぶな。そ、そもそも、お前に前科があるからだろう!」
「だからって、今回もそうなるとは限らないのにねー」

あーやだやだ。
愉しそうに食事を続けるリョーマの頭をついつい手塚は叩いてやりたくなったが、そこはそれ、大人げない、という一念がそれを塞き止めた。

「まあ、アンタならそうやって嫌がるだろうな、とは思ってたけど。ベッドでもイヤラシイし」
「待て、今凄い抗議をしたい言葉があったんだが」
「ま、気にしない気にしない。本当のことだし。そこで、事前にこの事態を予測していたオレには切り札があるワケですよ」

リョーマの言葉に何かを言いたそうな手塚を、宥めつつ、リョーマはまた箸を置いて自分のポケットを漁った。
言いたい抗議の声は山ほどあるものの、とりあえず手塚もリョーマの言う『切り札』とやらが気になった。
なので、後でとことん抗議してやろうとその言葉達はぐっと飲み込んだ。

「じゃん。コレ、なんだ?」

ポケットから抜かれたリョーマの手には高価そうな和紙の包み。
手塚は、それに見覚えがあった。

「お前、まさか、それは…!」
「そう。1か月前まで売られてた期間限定の入浴剤。勿論、今は入手不可能。これ、アンタのお気に入りだったよね?」

仄かに桜色で染めあげられたその和紙の包みはリョーマの言う通り、入浴剤であった。
表面に達筆な筆の跡で『入浴剤』と書いてあるからその正体を疑う余地はない。
そして、それは手塚のお気に入りの一品だった。

元より、手塚には入浴剤を入れて風呂に入る習慣はない。
風呂好き、と言う訳でも無いし、生まれ育った家でもそんな習慣はなかったからだ。
精々、菖蒲湯か冬至の柚子湯ぐらいだ。

けれど、リョーマは打って変わって大の風呂好きであった。
加えて、趣味と公言して各地の入浴剤集め、と言う程だ。

リョーマと手塚が一つ屋根の下に暮らすことになってもリョーマのその趣味は変わらなかった。
当然、手塚もそれ以来、度々入浴剤入りの風呂に入ることになった。
浴場に入浴剤の類は常駐しているし、置いてあれば自然と興味が湧くものだ。
その中でも、リョーマが今手にしているものは特等に気に入って、自らもそれを買ってくるまでになった。

けれど、リョーマが先述した通り、それは世によくある『季節限定』というもので、つい一か月前に販売が終了した。
気に入っていただけに、手塚にとっては少なからずショックだったし、できればもう一回販売しないかな、などとリョーマに洩らしていたこともあった。

「どうして、お前が持ってるんだ?」
「有名人だと、何かとものを貰うんだよね。それに、オレ入浴剤集めって公言してるじゃない?とあるツテから貰っちゃったんだよね。…ねえ、これ、欲しい?欲しいよね」

眼前までそれを晒されて、手塚も静かにひとつ頷いた。

「なら、オレと一緒に風呂に入って」
「なんでそうなる!」
「オレ、今日これ使って風呂に入るよ?それにアンタが同席すればいいだけのハナシ。勿論、そのまま湯を張ったままになんてしないよ?オレの入浴後、容赦なく風呂の栓抜くからね」

思わず、手塚は言葉に詰まった。

選択肢は二つ。
リョーマと一緒に入浴するか。
それとも、切望していた入浴剤を諦めるか。

挑発する様に、リョーマは手塚の目の前で包みを軽く振った。

「ツテでくれた人も、もう絶対手に入らないって言ってたなー。つまり、これが最後の一個、ってことになるけど。さあ、どうする?」
「…お前、汚いぞ」
「オレが勝利に対して貪欲なのはアンタも周知の事実でショ?」

知っている。身を持って知っているが、この時ばかりはこの性格を叩き直してやりたくなった。
恨めしそうにリョーマを睨む眸も思わず滲み出した。

「そんな顔してもダメ。涙目になってみてもダメ」
「……」
「オレはただアンタと風呂に入りたいだけなんだよ?」

にっこり。
獣は天使の皮を頭からすっぽり被って朗らかに微笑んでみせた。

「さ、アンタの答えは?」




















入浴タイム。
えちが強気だ…。
というか、入浴タイムの筈なのに風呂に浸かってないし…。
入浴タイムへの駆け引き、という感じ、ですかね?(尋ねない
この後、みつこはかっくりと項垂れつつも首を縦に振ったと思われます。
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