勝負
柔らかなシーツの更なる奥でベッドのスプリングが二人分の重みで鳴った。
ぎしり、とベッドに乗った人物が動く度に音がする。
ベッドは古いものではないから、単純に重量オーバーのせいだろう。
ぎしり。
また鳴ったその時。
「待て」
手塚は上から覆い被さってくるリョーマの肩を押しやった。
反射的にリョーマの動きは止まる。
「なに?今更」
「今更も何も、誰が今日はすると言った」
手塚はもう一度リョーマの肩を押し上げた。
暗に、退け、と仄めかすように。
けれど、リョーマは退かない。恐らく手塚の言葉にしないメッセージは伝わっているだろうに。
「ここまでして?」
「お前が勝手にやったんだろう。人に物も言わせずに」
ぎろりとレンズ越しに睨む手塚のシャツは半分以上膚蹴ていて、肩までも露出している。
「言うも何もアンタ、キスに夢中だったじゃん。やらしい声まであげてさ」
「…っな!」
「キスも抵抗しなかったしさ、普通OKだと思うじゃん。男なら」
リョーマは開いた手塚のシャツの隙間からそっと指を忍ばせた。
指が滑る肌は相も変わらず滑らか過ぎる程に肌理が細かい。
そんなリョーマの腕を手塚が肩を押しやるのとは別の手で掴んだ。
その顔はどこか赤い。
「待て、と言っている」
「…わかったよ、待つよ」
渋々、といった風体でリョーマは漸く身を起こした。手塚の肌に滑らせていた腕も引いて。
手塚も全開に近いシャツの前を整え乍ら身を起こした。
自然と、二人はベッドで向かい合うようになった。
「こちらの了解無しに犯すのは強姦だぞ」
「だからちゃんと止めたでしょ。そういうプレイがしたいなら協力は惜しまないけどさ」
誰がそんなもの望むか。
言葉の代わりに手塚は先程よりもきつくリョーマを睨んだ。当のリョーマはそんなものどこ吹く風とばかりに飄々としていたけれど。
「取り敢えずだな、今日はしない。したくない」
「えーっ!」
途端にリョーマが手塚に詰め寄った。
会話の合間に手塚が折角留めたボタンを一つ外しながら。
ボタンを外したリョーマの手を窘めつつ、手塚はもう一度そこを留めた。
「なんで!折角オレが泊まりにきてるのに!」
「何故も何も、したくないと言ったら、したくない。言葉は額面通りに取っておいていいぞ」
「オレはしたい!」
「…俺はしたくない」
結局、どちらも引かない。
一度こうと決めたことは梃子でも動かない性分なのだ。お互いに。
意志が強いと言えば聞こえはいいが、只の頑固者でしかない。
ベッドの上で睨合うだけの沈黙がただ過ぎていく。
「…じゃあさ、こういうのはどう」
睨合っていても話が前に進まない。
手塚は話を進める気はないらしいから、リョーマが沈黙を破った。
「勝負して勝った方の意見を聞くの」
「構わんが、もう夜だぞ?開いているオートテニスはないだろう?」
日もとっぷりと暮れ、まもなく日付けが変わろうとしている。
いくら遅くまで開いているコートがあっても、さすがにこの時刻までは開いていないだろう。
リョーマの家のコートにも夜間でもテニスが試合できるような電気設備はされていない。
第一、今から家を出るのは明らかに不審だ。どちらも未成年なのだし。
手塚の母が止めるのは火を見るよりも明らかだ。
「誰がテニスで勝負って言った?それにアンタには未だテニスで勝てそうな気がしないし」
「ほう、自覚があるのか。珍しいな。普段無鉄砲なくせに」
「無鉄砲は余計!…ちゃんとオレはオレなりに計算して動いてるんだから」
「そうか、それは初耳だな。てっきり俺は計画も無しに動いているのかと…」
そう言う手塚の顔はリョーマを揶揄えて楽しいのか、少しばかり笑っているように見えた。
「とにかく!」
コホン、と大げさにリョーマは咳払いをして手塚を見据えた。
「男に二言は無し!オレも負けたら大人しく身を引くよ」
「いいだろう。それで?何で勝負をするんだ?」
伺いを立てる様に手塚は小さく首を傾げた。
尋ねられて、リョーマは何か勝負できそうなものを探して室内をぐるりと見渡した。
「ほら、やっぱり考え無しに発言したんだろう。きっちり考えてから発言しろ」
やれやれ。
呆れた様に腕組みをして、手塚は溜息を一つ。
リョーマはそんな手塚をうるさいなあ、などと思いつつも敢えて言葉にはせず、苦々しい顔で尚も辺りを見渡す。
けれど、場所は簡素な手塚の部屋。
トランプもテレビゲームも無い。有るのは本か釣り関係の道具ばかり。
ここはリョーマ自身が勝算のある勝負を挑まなくてはならない。
何かいい方法はないかと、リョーマは思案した。
その間も手塚は腕組みをしたまま、大人しく待った。
「なにかいい方法はあったか?」
「んー。…じゃ、あ、ねえ…あ、コレなんかどうかな」
そう言って、一度リョーマはベッドを下りて持参した鞄の中を漁った。
なんだろうか、と尚もベッド上の手塚は首を傾げた。
暫くして、目的のものを見つけだしたらしい。何か小さな箱を手に、リョーマがベッドへと戻った。
その手には、20センチばかりの長さの菓子の箱。
赤と白のストライプのパッケージで手塚も目にしたことがあるものだった。
そしてリョーマはその箱の中から一本の菓子を取り出した。
棒状のビスケットの半分以上にチョコがかかっている菓子。普段、家でその手の菓子は出ないが、部活終わりに菊丸から貰って手塚も食べたことがある。
手塚の中で嫌な予感がした。
「ポッキー両端から食べ合って、どっちが多く食べられたか、なんて、どう?」
にっこりと笑ってリョーマは早速、菓子の片端を口で咥えた。
そしてもう一先を手塚の眼前へと突き付ける。
嫌な予感が当たった、と手塚は思わず青い顔になった。
「…そんなの有りか…?」
「だって部長の部屋、トランプも何もないんだもん。しょうがないじゃん」
「仕様がないもなにも、誰がそんな勝負に乗るか!」
すぐに手塚はぷいとそっぽを向いた。
両端から食べ合う、ということは食べ切った時にはきっと唇が触れあうのだ。
それ以前に十何センチという距離に顔を近付け合う、というだけでも手塚にとっては恥ずかしい行為だった。
自身の思惑通りの手塚のその行動に、にやりと悪質な顔でリョーマは口角を上げた。
「へーえ。じゃあ、部長はデフォで、オレの不戦勝ね」
それじゃイタダキマス。
やけに嬉しそうな顔をして、リョーマはまた手塚の上にのしかかった。
手に持った菓子はまた箱の中に戻して。
突然組み伏せられて、慌てた様子で手塚がリョーマの下でじたばたと藻掻いた。
「待てっっ!」
「なんで、勝負投げ出したのは部長の方デショ?」
「アレを勝負というのか、お前はっ!」
「言いマスー。納得しないままやられるのと、負けて納得の上でやられるのと、どっちがいい?」
くすり、と手塚の真上で逆光のリョーマが笑った。
そんなリョーマの言葉に手塚はカチン、とついつい来た。
リョーマもそうだが、手塚もなかなかに負けず嫌いだ。
先の頑固といい、この負けず嫌いといい、こと性格に関しては二人はあまりにも似通った点が多かった。
「俺が負けると?」
「だから勝負投げ出したんでしょ?なんなら、やる?」
「ああ、やってやろうじゃないか」
どことなく頬が引き攣るのを感じつつも手塚がそう言うと、リョーマはにっこりと笑ってからその身を手塚の上から退いた。
そして、一度は片付けた先刻の菓子を再び取り出して、一方を先程と同じ様に咥えてもう一方の端を手塚に向けた。
にやりと菓子越しに笑うリョーマを見て、手塚は羞恥に襲われた。
しかし、やると言った手前、今更後には退けない。
退いたら退いたでまたリョーマがのしかかってくるのだ。
今の手塚に残された道は一つしかなかった。
恐る恐る、手塚はリョーマの向い側の部分を口に含んだ。
口の中にチョコレートの甘みが広がる。
それ以上に、今この図を客観的に見るともの凄く恥ずかしいのだろうと思えて羞恥心が奥から迫って来そうだった。
けれど、この勝負に勝てばそれ以上の恥は無いのだ。
こんな十数センチの菓子など食べるだけなら1分もかからない。
手塚は腹を括った。
「じゃ、いくよ?よーい、ドン!」
開始の号令をかけるや否や、リョーマがそれはそれは猛烈な勢いで咀嚼してこちらへと近付いて来る。
2秒もしないうちに、手塚はリョーマの動きに呆気にとられるが故に緩慢に動かしていた唇をぺろりと舐められた。
「オレの勝ちーっ!部長、遅いよ、何してんの?」
ふふん、と鼻で笑われつつも手塚は脱力するしかなかった。
こんな勝負で負けた、という事実と、お前早過ぎるだろう、という事実とダブルパンチで。
「さ、約束は約束。好きなことさせてもらおうかな…」
これ以上ないくらいに微笑むリョーマの眸がある種の愉悦の色で彩られていることをがっくりと項垂れる手塚が気付くことはなかった。
勝負。
手塚の貞操をかけて両端からポッキーの齧り合い。
手塚がかかるとリョーマさんは頑張れたりします。音速でポッキぐらいボリボリします。
おまけにチューもできるしね。
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