夢で逢えたら
ポン、とボールが白線の内側ギリギリで跳ねてその外へと転がっていった。
「うーん、やっぱり不二には敵わないな」
伸ばしたラケットからボール3つ分先をすり抜けていったそれを器用にラケットで大石は掬うように拾い上げつつ、眉尻を下げつつ笑った。
ネット越しのその向こうで不二は困ったように笑い返した。
「大石も上手くなってるじゃない。青学ナンバー2の座ももうすぐ交代かな?」
「いやいや、まだ不二には遠く及ばないさ」
謙遜する大石に不二は今度はにっこりととても楽しそうに笑った。
「うん、全然及んでないよ」
「え」
「お世辞に決まってるじゃない」
にこにこにこ。
微笑み続ける不二に大石はつい胃の痛みを覚えた。
少し離れた場所から菊丸が不二を叱咤する声が飛ぶ。
「不二っ!大石イジメ禁止ーーっ!」
「はいはい、ごめんね。わかってるよ、エージ。…それにしても、手塚がいないと張り合いがなくてダメだなあ…ねえ、大石、手塚はいつ帰ってくるの?」
まだ大石の胃のダメージが完全には消えぬまま。不二が問いかけても、うう、とか何とか小さく呻いていた。
「大石ってば使えないんだからー」
「不二っ!もう許さんにゃーっ」
「ごめんごめん」
こちらに向かって飛んでくるスマッシュを往なしてから、不二は辺りをぐるりと見回した。
ふと、一人の人物が不二の視界を横切った。
反射的に、不二はその人物の襟首を捕まえていた。
「…何なんスか、不二先輩」
ぎろり、と睨むような、でも突然の事にどこか動揺したようなアーモンド型の双眸。
不二はその場で腰を折って屈み込んだ。
自分よりも十数センチ低い後輩と目の高さが合うように。
「ねえ、坊や、手塚がいつ帰ってくるか知ってる?」
「…蹴っていいスか?」
迷子センターのお姉さんが『お母さんと来たのかなー?』と尋ねるような口調で不二が緩く首を傾げるというオプションまでつけて、実に可愛らしく、けれど明らかに揶揄う口調でリョーマに問えば、リョーマの頬がひくついた。
「ああ、ごめんごめん。なんだか今日は誰かをからかいたい気分なんだ」
不二の背中越しに苦しそうに脂汗をかいている大石を見つけて、リョーマはその言葉に納得した。ちょっとだけ。
「で、本題。手塚がいつ―――」
「部長もまだわかんないって。前に電話で言ってたッス」
「へえ、そう。前に電話でねえ…」
薄らといつもは細い筈の不二の眸が開いた。
リョーマの後方に居た他の部員達はそれを見て一目散に逃げ出した。
「ええ、前に、電話で、部長自身が、言ってたッス」
「越前、一体何なのかな?その自慢でもしてる様な顔は」
「元からこんな顔ですけど?」
一触即発。
今のこの二人の間には見えない火花が散っていた。
けれど、先にそれを収めたのは不二の方だった。
開いていた眸もそっと閉じられていつもの柔和な彼に戻る。
「まあ、いいや。まだ当分帰って来られそうにないんだね…」
「そうみたいですよ」
「残念だね」
「同感ッスね」
お互い、心の底から残念そうに重い溜息を吐き出した。肩までがっくりと落として。
昨日の敵は今日の友。
どこまでも日本古来の格言を地で行く二人であった。
「夢でもいいから帰って来たらいいのに。ね、越前、夢で手塚と逢えたら君は何がしたい?」
何がしたい。
ちょっとその言い方は何か違うのではないだろうか、と周囲でそ知らぬ振りをしながらテニス部員一同は感じた。
しかし、尋ねられた当のリョーマは真面目に考えて居るのか、顎に手までやっていた。
どうせ碌な事など考えていないのだろう。
それが相変わらず気付かぬ振りで練習に没頭する部員一同全員一致での意見であった。
しかし、暫しの黙考の後、リョーマの口から飛び出して来たのは。
「部長とテニスがしたい」
碌な事を言われるよりも、部員一同は内心で腰が抜けるぐらいに驚いた。
思わずリョーマを一瞬驚愕の表情で見た者まで居た。
不二も心なしか驚いているように見受けられた。
あの不二までも、リョーマはどうせ手塚絡みとなると卑猥なことしか考えないと思っていたのだろうか。
本人が知ったら失礼だと思う話である。
「へ、え…手塚と、テニス、ねえ」
「何なんっすか、その妙に驚いた顔は」
「いや、何でもないよ、ちょっと意外だっただけ」
どこが意外なのか、とでも言いたげにリョーマは明らかに訝し気に不二を見た。
「どうせ、アレでしょ、不二先輩は部長と夢の中で逢えたらいやらしい事でもしてやろう、なんて考えてたんでしょ?」
「やだな、越前それってすごい失礼で偏見だよ?」
そのすごい失礼で偏見な事柄をつい先刻まで不二自身がリョーマに抱いていた癖に。
「不二先輩なら笑顔で言い兼ねないですからね…油断せずにいかないと」
にや、とリョーマはつい口角を上げて意地が悪そうな顔で笑った。
「…越前、君も言うようになったね。大きくなって先輩は嬉しいよ」
「それはどうも」
「褒めてないよ」
「わかってますよ、皮肉ってことぐらい。いい加減その体勢止めたらどうですか?」
そう言って、リョーマはにやりと笑ったまま、同じ目の高さである不二の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
クワッ、と不二の眸が大きく開き、そして勢い良く屈めていた腰を正した。
さすがにリョーマも般若の様に目を剥いた不二に恐れをなして思わず手を引っ込めた。
一瞬、般若宜しく、不二の頭から2本の角が見えた気がした。
「エェジィ!越前がイジメるんだけどー!叩かれたー!」
けれどその一瞬の角も開かれた眸も収められ、不二はいつもの顔で菊丸に呼びかけた。
「不二が大石イジメるからだよっ!ザマーミロー!」
けたけたと不二に向かって快活に笑ってみせる菊丸は次の瞬間、不二が放ったスマッシュを腹部にモロに食らい、コートに沈んだ。
「あー、不二先輩、テニスの道具で人を痛めつけると部長が怒りますヨー?」
「放っておいてよ。そうさ、悲劇のヒロインはいつだって四面楚歌で孤独なのさ。ああ、なんて可愛そうな僕…」
しなを作って泣き真似。
今、ここに舞台装置があれば不二に向かってスポットライト、周囲は暗転、と云ったところだろうか。
しかしここは紛う事なく一介のテニスコート。スポットライトならぬ太陽ならば燦々と輝いている。
「アンタ、どの面で悲劇のヒロインって…」
「十分ヒロインにも耐え得る顔だと思うけど!?」
たっぷりと呆れを含ませた声でリョーマがぼそりと呟けば、耳聡くそれを聞き取った不二はリョーマに詰め寄った。
その気迫に思わず、リョーマも半歩後ずさる。直後に負けず嫌いの性格が頭を擡げて半歩前へ。
結局、プラマイゼロ。
「…自分で言うんですか、それを…」
「じゃあ越前が言ってよ。ほら」
ふふん、と鼻で笑いつつ、不二がリョーマに言葉を促す様に顎をしゃくる。
対するリョーマはもはや呆れも通り越してもう相手をするのも飽きてきていた。
「言いませんよ」
「言えよ」
「不二先輩、口調が豹変してるんだけど…」
「細かい事気にしてると将来ハゲるよ?…ん?待って、いいね、それ。いいよいいよ、越前、細かい事気にして禿げるといいさ。それで手塚にフラれるといいさ!」
フン!腕まで組んで、反り返って。口元には勝者の余裕の微笑みがあった。
その顔に、そして言葉に、思わずリョーマの中で何かのスイッチが入った。
「っな!?部長はオレがハゲたくらいで縁切るような人でなしじゃないっすよ!」
「わからないよ?一寸先は闇って言うしねえ。大人になったら手塚も好みが変わるかもしれないじゃない?」
「絶っ対、変わりません!部長は生涯オレ一筋、オレも生涯部長一筋ッスから!」
「どうして手塚の気持ちが越前に解るのかナア?手塚の気持ちは手塚のものだと思うんだけど」
「部長の気持ちはオレのもん!オレの気持ちは部長のもんなんで!」
「越前…君、そんなに痛い目に遭いたいみたいだね…?」
「そっちこそ、今日はやけに突っかかってくるじゃないですか」
「その言葉、そっくりそのまま、キモいくらいにイモジャの似合う『元』青学三強のおまけもつけてお返しするよ」
「は?ひょっとして俺のことか?不二?」
「乾、君以外にあんなにイモジャージの似合う子はいないよ」
「…褒められてるのか?」
「褒めてるんだよ」
「そうなのか…」
「なんでそこで納得してんの。明らかに貶されてるじゃん。っていうか、乾先輩なんていらないんで」
「ちょっとは欲しがってやったら?乾も浮かばれないし?」
「お前ら、どっちも失礼な……よし、ここはテニス部員らしく、テニスで決着をつけようじゃないか。この間の雨で中止になった試合の決着もついていないことだしね」
「いいね、賛成。越前も異存はないね?」
「構わないッスよ。ノして御覧にいれますよ、不二先輩」
「ふふ、地獄って見た事ある?越前」
夢で遭えたら。
こうして正に今、あの日の勝敗が決されようとしていた…!(捏造
夢で遭えたら、をちっとも語っていない…ちょっとだけ、ちょっとだけしか…っっ
不二キュンの性格を偽造しすぎだわたし。
でも正直こういうノリの不二キュンは書いてて楽しいです。
お目汚し失礼いたしました…
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