てぶくろ
















その日は朝から寒くて、正門を潜る者潜る者、全てがコートにマフラー、手袋と完全防備の出で立ちばかりだった。
勿論、手塚も然り。
下駄箱に辿り着く前に、一陣風が吹いて思わず首元のマフラーに顔を埋めた。

「おはよ、手塚」

ぽん、と軽く後ろから肩を叩かれて手塚は振り返った。
振り返った先にはもう見慣れた菊丸の顔があった。相変わらず元気に髪が外に向かって跳ねている。

「おはよう」

そのまま、隣り合って下駄箱の扉を潜る。
今日は冷えるねー、など一方的に菊丸からの雑談に相槌を返しつつ。
手塚同様に菊丸も頭から爪先まで防寒対策が行われていた。
靴下も3枚履いているのだとか。

「帰りも気温そのままなのかなー?」

菊丸は6組、手塚は1組、とやや離れていることもあって、靴を履き替えながらも会話をしようと大声を飛ばす菊丸の声が少し向こうから聞こえてくる。

「天気予報では今日は一日中このままらしいぞ」

しかし、手塚はいつもと変わらぬ声量で抑揚なく答える。
まだ人も疎らの昇降口なら充分それでも辺りに谺して聞こえるだろうと思えたし。

手塚の思惑通り、菊丸はしっかりと手塚の声を聞き取り、けらけらと笑いながら、まじでー、とか何とか声だけで返してきた。

靴を履き替え終わって進むと先に履き替え終わったらしく菊丸が廊下でこちらを見乍ら待っていた。
先に教室に向かっても構わなかったのに律儀な奴だな、と手塚は思う。
1組の下駄箱から姿を表した手塚を認めると菊丸は笑顔で小走りで近寄ってきた。

「あ、それじゃ手塚、これ没収しとくね」
そう言って、靴を履き替えるのに邪魔になるから、と外して左手に持っていた手袋をさっと素早い動きで奪った。
突然の事に抵抗も何もできず、ただ呆気に取られて菊丸を見る他なかった。

「こら、返せ」

事態を理解して奪われた手袋を取りかえそうと腕を伸ばせば、猫宜しくにくるりと身を躱された。

「ダメダメ!これあると帰りも手塚はめて帰っちゃうじゃん」

帰りもきっと寒い、とつい先刻話したばかりなのだ。そりゃ当然寒いのならば手袋をはめて帰る。
元より手袋の使用用途は防寒で合っている筈だ。

手塚の眉間に皺ができて、不機嫌になったのかと勘違いした菊丸は首を竦めた。
奪われて腹が立っているのではなく、ただ手塚は菊丸の言葉の意味を理解しきれなくて不思議そうな顔をしたつもりなのだが。
やはり、普通の人々にはどうも自分の表情というものは伝わりにくいらしい、ということを認めざるを得なかった。

「お、俺だって先輩だからさ、偶には役立とうかなってさ…」

びくびくと、明らかに怖がられている。
ここで溜息でも吐けば更に怖がられるだろうか、と思わず出そうになった溜息を何とかやり過ごす。

遣り過ごした後に、手塚は菊丸の発言の違和感に気が付いた。

「…菊丸。役立つ、とはどういう意味だ…?」
「にゃ?」
「よもや…」

『俺だって先輩だから』
そのフレーズが引っかかった。

「越前絡み、か…?」
「そ。別に頼まれたワケじゃないけどね。先輩としてのご好意ってやつよ」

ついさっきまでは親に怒られているような子供の顔だったのに、途端に偉そうに胸を反らして鼻をふふんと鳴らした。
くるくると変わる表情を見ていれば、ああ、これが中学生らしさ、なんだろうか、なんて背中に影の一つでも背負いたくなる。

「帰宅は手袋なしでオチビに手を握ってもらって帰ればいいさ!じゃ、そゆことで!」
「あっ!こら、待てっ!!」

一目散に踵を返して廊下の向こうに駆けていく菊丸に伸ばした腕は掠ることもなかった。
手塚は昇降口前で一人呆然と佇まざるを得なかった。

完全に菊丸の姿が見えなくなって、さっきは塞き止めた溜息を2乗に増してゆっくりと吐き出す。

(昼休みにでも奪いに行くか…)
「部長」
(もし奪い返せなくてもコートのポケットに手を入れて帰れば寒くはないだろう)
「部長ってば」

くん、と袖が引かれる。

(第一、越前だとて今日も部活だろうから…俺が待ってない限りは一緒には帰らないわけで…)
「ねえ、部長。聞こえてる?おーい?」
(な、何用があって待たなければならんのだ…!)
「部長、顔赤いよ?」
「うるさい、放っておけ」

ぴたり。
手塚の動きが止まった。もう一度袖が引かれる。

「え、越前…?いつからそこに…」

いつからそこに居たのか、菊丸との話は聞いていたのか。
柄にも無く、手塚はわたわたと見目にもはっきりと慌てた。
そんな手塚など気にも留めず、リョーマは手塚の眼下でにっこりと笑う。

「オハヨ、部長」
「お、おはよう。朝練は今終わりか?」
「うん。 今日、オレらって一緒に帰れるんだ?初めて知った」
「な…!?」
「だってさっき英二先輩が…」

やはり『そこ』はしっかりと聞いていたらしい。

「どうする?オレとしては一緒に帰りたいけどアンタも受験生だし無駄に待ってるっていうのもアレでしょ。手袋ぐらいなら貸したげるよ」

ごそごそとコートのポケットを漁ったリョーマの手には手袋が1セット。
差し出された手袋を見乍ら、手塚は緩く首を横に振った。
頬を少しばかり緩ませて。

「いや、いい…」
「そう?帰りも寒いよ?多分英二先輩はひらひら逃げきると思うし」
「どうして俺がお前より先に帰ることを前提で話すんだ?」
「え?」
「それを俺が受け取ったら、今度はお前の手が冷えるだろう。なら、一緒に帰ればいい話だ」

俄に昇降口が騒がしくなってくる。
朝練を今さっき終えたとリョーマが言っていたから、他の部員が来たのかもしれない。

「教室で待ってるからな」

迎えに来い、とリョーマの耳許にだけ告げて、手塚はリョーマを追い越して廊下を進んだ。


帰りの時間もきっと寒い。だからこそ熱を分け合えるこんな季節もいいかもしれない。




















てぶくろ。
あなたに手を繋いで欲しくて手袋わざとポケットの中、しまったままなの。岡本真夜女史。
しまわれるぽっけは菊のぽっけみたいですが。いたずらっ子菊で。かわいいなあ、菊は。
明日には返してくれると思いますヨ
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