たとえば
















たとえば。
どれだけ屈強に鍛え上げた者であれ、体調を崩すケースがある。




帰りのホームルームの終わりの号令と共に3年のクラスが軒を連ねる棟まで駆けたリョーマは目を瞬かせた。
いつもそこの席に座っている人物の姿が今日に限って見えなかったからである。

教室の様子を伺うに、こちらも今しがた帰りのホームルームが終わったところだ。
生徒の殆どの他、まだ教師も職員室へと帰らずに個別に生徒へと話しかけている。

リョーマが不思議そうに首を捻ったところへタイミング良くそのクラスの生徒が近くを通った。

「あの」

リョーマが呼びかければ、彼は足を止めてこちらを振り向く。

「今日、ぶちょ…手塚先輩はいないんですか?」
「ああ、手塚?手塚は今日休みだよ」
「休み…ッスか?」
「ああ。風邪だってさ」
「そう、ですか…ども」

情報を齎してくれた生徒に会釈をして、リョーマは踵を返して階段へと向かった。

手塚が風邪。
リョーマには俄には信じ難かった。
なにせ、普段から自己管理は怠らないようにと口を酸っぱくして宣っていたあの手塚が体調を崩すなどと。

辿り着いた昇降口への階段を一段、また一段と下りながら、リョーマの頭には一つの考えしか浮かんでいなかった。

(見舞い、行かないとね…)

ついでにからかってやろう、どこか浮き足立ちながら本来ならそのまま向かうべきテニスコートとは逆走のコースである正門へと足を進めた。





たとえば。
普段、頑丈な者ほど時として脆いというオハナシ。





手塚家の呼び鈴を鳴らして一番に出てきたのは、矢張りというか手塚の母である彩菜、その人であった。

見舞いに来た旨を伝えると彼女は一瞬嬉しそうに口許を綻ばせたが、次の瞬間には困った様な顔をした。

「国光、かなり具合が悪いのよ。越前君に伝染っちゃう可能性もあるし…」
「そんなに悪いんスか?」

ええ、と彩菜はこっくりと頷いて息子の病状を語った。
昨日の晩から発熱。
熱は優に8度の熱を越え今も然程下がってはいないらしい。
食欲は全くなし。
何度か、嘔吐感にも襲われたらしい。

「あの子、私にも伝染ったらいけないから、って食事以外は部屋に入れてくれないのよ」
「そうなんスか…」

どこまでも意固地な息子に苦笑する彩菜の顔。

「あの、じゃあ今日部長はずっと部屋にこもりっきりってことッスよね?」
「そうね」
「なら、何が何でも部屋に入れてもらいたいんですけど」
「え?でも、あの子がいいって言うか…」

申し出に困った顔をする彩菜にリョーマは、にっと笑ってみせた。

「直談判しますんで」





たとえば。
体調が悪い時程、愛しい人の顔が見たくなる罠。





何度か部屋をノックする音がして、手塚はぼやけた視線を扉へと向けた。
風邪の時は暖かくしないと、と母から被せられた幾重もの布団や毛布の重みが憔悴しきった身では持ち上げて身を起こす気力もなく、寝返りを打つように扉の方だけを向いた。

母さんか、と手塚が推測をつけて口を開こうとしたその時、

「部長?オレだけど…」
「! 越前!?」

聞こえてきたリョーマの声に驚く。
リョーマの名を呼んだ声は思いの外、掠れていた。

「入っていい?」
「駄目だ。お前にまで伝染ったらどうするんだ」

即行で返されたドアの向こうからの答えにリョーマは呆れた様に溜め息を吐いた。

「そう言うと思ったけど…でも入るからね」
「えちぜ…」

抑止の声などさらりと躱して容易にドアノブはくるりと回り、リョーマが室内へと入ってくる。
溜め息を吐くのは今度は手塚の番だ。

「風邪で弱ってるからね、強引に入ろうとすれば簡単に入れるっしょ」
「お前は…伝染っても知らんからな」
「はいはい」
「第一、部活はどうしたんだ」
「今日休みだって」

本当は何事も無く行われているのだけれど、部活を欠席して此処へ来たことを手塚が知れば途端に帰れと言うだろうし、止む無くリョーマは手塚に嘘をさらりとつく。
明から様に疑うような視線を向けられたけれど。

「まあいい…嘘も方便だ」
「そうそう。日本語って便利だよね」

にっこりと笑ってみせるリョーマに手塚は小さく苦笑を。





たとえば。
弱った時ほど強くなる本能。





「相当、風邪ひどいんだって?」

母親の入室を拒否する程に。
床に荷物を放り、ベッドサイドへ腰掛ける。
眼下では熱のせいか普段より赤みの増した膚の恋人。

「ああ。だが明日までには治すさ」
「いいよ、無理しなくて。明日も明後日も休んじゃいなよ。そうしたらこうしてアンタを独り占めできるし。あ、明日はオレも休んで一日看病に来てあげてもいいけど?」

冗談めかして揶揄えば、普段ならここで苦笑いをされながらを断られる。
けれど。

「…そうだな、俺もお前を独占できる。それもいい」

同じ苦笑いをしながらも彼は本当にそれを願うような口調で。
その言葉すら熱っぽい温度を保つ。

「やけに、今日は素直じゃん」

手塚からの返答に内心驚く。
そろりとかの人の額に触れれば、じっとりとかいていたらしい汗の感触が掌に伝わった。

「…あつい」
「風邪だからな」

熱いのはココだけ?
リョーマの中で擡がった謎の回答を得ようとするように無意識で脳が掌を動かした。

額から落ちて、頬へ。
あつい。
頬から、首筋へ。
あつい。
首筋から肩の線へと。

どこもかしこも、あつかった。


気が付けばリョーマの掌は滑らかに手塚の膚を弄る。
それに手塚が拒む気配すらない。

「体中、熱いだろう」

触れてくるリョーマの掌に自分の手を重ねる。
漏れる声も熱かった。

リョーマはこくりと一つ頷く。手塚への返答だ。

「口の、中も?」

思わずごくりと生唾を飲み込む。
告げられた言葉に手塚は目を丸めるが、次の瞬間にはふわりと笑って熱のせいか潤んだ瞳を細めた。

「試してみるか?」

重ねたリョーマの掌を自ら唇へと誘い、指先を食んだ。
ねっとりと絡み付いてくる手塚の舌もやっぱり熱かくて、どきりと胸が高くなってしまう。

「アンタ、今日は輪をかけてキョーアク…」

味わうように指に吸い付かれて、リョーマは片手でくしゃくしゃと自分の髪を掻き回した。
伝染ったようにリョーマの頬も赤みを増す。
その様を覗き見上げて、手塚はこっそりと妖艶に微笑う。

「オレが…風邪引いちゃうでしょ」

言外に離して、と言えば手塚は一際強く指を舐った。

「勝手に引けばいい」
「アンタ、さっきと言ってること違うんスけど…」
「そうなったら俺が看に行ってやるさ」
「いや、それは嬉しいけど…」

カリ、と手塚はリョーマの爪に歯を立てて、不敵に頬を緩めた。
どこの娼婦の顔だろうか。艶やか過ぎる。

「腹が減った。今日は何も食べていないからな」
「だから、オレを食べるって?」
「ああ。異存はないだろ?」

ここで異論を唱えてもきっと却下がくだるだろう。
その剰りにも明確過ぎる一瞬の未来のビジョンにリョーマは呆れた溜め息を一つ小さく零す。

召しませ。





たとえば。
例え話は時として目の前に訪れるケースは多い。






















たとえば。
熱が手塚を淫乱にするといいなという捏造のおはなし。
間違いなくリョマさんが明日寝込む番。
こっそり、手塚が風邪を…!をリクを頂き書いてみました。
風邪の時は本来ならリョマさんが弱った手塚を召し上がる筈なんですがね。
あまのじゃくな私なので、捻くれてみたくなるのです。
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