ゆびきり
















秋の空と乙女心、だなどと言うけれど、春の空も十分に移ろいやすいものだと思う。

始まる前には春雷や嵐があったり、その最中でも時には冬程に寒かったり、時には初夏を飛び越えたぐらいに暑い日だったり。

今も先刻までの雲一つない快晴の彼方から黒い雲の一軍がこちらへやってくるのが手塚の目に映っている。
保って、あと30分が限度だろうか。
風の勢いが早いからひょっとするともう少し早いかもしれない。

目の前の1ゲームが終わったら、今日はもう終了の号令でも出そうか、と手塚がベンチシートに腰掛けたままぼんやりと思っていると、春の嵐が自分の首目掛けて飛びついてきた。

「空を見上げてぼんやりしてる部長っていうのもイイね」

嵐は首に腕を絡めつかせて、人の項にぐりぐりと額を擦り付けてきて耳元にそっと囁いた。

「越前、離れろ」
「小指」
「人の話を聞け…」
「小指貸して」
「人の話を…――っっ!!」

抗議の声は悲鳴にならない悲鳴で掻き消えた。
べろりと耳の裏にリョーマが舌を這わせたのだった。

自分の腕の中で真っ赤になって睨んでくる手塚にリョーマはにっこりと笑った。

「小指。貸してくれないならもっと色んなコト、しちゃうよ?ここで」

はやく、と急かされ、手塚は渋々と云った風体で自分の小指を差し出した。
首に絡まれつかれながらも精一杯に身を引いて警戒しながら。

手塚に絡んでいた腕が手塚が小指を差し出した瞬間にひとつ解けた。
まだ首許に残っている腕はそのまま、抱くように肩まで伸びるが、手塚のもう一方の手でぺちりと叩かれてそのままベンチに落下。

「小指で何をするんだ…?」
「ん?ゆびきり」
「は?」

事の成り行きに正直困惑する手塚など置き去りに、乾から教わったのだ、とリョーマは手塚の小指に自分の小指を絡める。

当然、手塚だとて『ゆびきり』が何なのか知っている。
指切りげんまん、嘘吐いたら針千本のーます、という一種の児戯である。手塚も遠い昔に母親とやったことがある。

それを、何故、今、ここで?
しかも、乾から教わった、ということは今までは知らなかったのだろうか?

「越前、指切りは今日が初めてなのか…?」

ほんの前まで海外にいたから、とは謂えどもリョーマの両親は日本人だ。きっとリョーマも幼い時分に経験済みの筈だ。
手塚の予想宜しく、リョーマもやったことあるよ、と答える。

「教わったのは、ゆびきりの別の方法」
「別の…?」

何やら、嫌な予感がする。
こういう予感は得てして当たるものと相場は決まっている。

せめて今回だけでも例外で外れてくれないか、と祈るような視線を受けてリョーマは、にっと不適に笑った。

「ゆーびきりげーんまーん、うーそついたら、はーりせんぼんのーますっ」

繋げた指を上下に揺すり乍らリョーマは歌う。
嫌な予感はするものの、手塚は流れに身を任せた。ひょっとしたら自分に迫る予感は的外れな事かもしれない、とおばかさんな事を考えつつ。

リョーマが登場した時点で、これ以後の展開は逃れられないのは既にオヤクソクなのだ。

「部長から今ここでキスして」
「は!?」
「ゆーびきった!」

リョーマの宣言と共に指は離れる。
その後にはしたり顔のリョーマと茫然自失寸前の手塚。

目の前のコートからラリーが続く音だけがやけに大きく響いていた。

「…」

にこにことリョーマ。

「…」

約束を交わしてしまったらしい自分の小指を見詰める手塚。

「ど…」
「ど?」
「どういう事を教わってきたんだ、お前は」

半ば涙目で、けれど眸に険をたっぷりと含ませて手塚はリョーマを睨み上げる。

「ゆびきりで交わした約束は絶対っていうことと、先手必勝ってこと」

にっこりと笑ってみせるリョーマの背後に逆光で黒く光る四角い眼鏡の存在を感じた手塚であった。
かのスクエア眼鏡からすれば恰好の玩具だったのだろう。

「…あの眼鏡野郎…」
「部長だって眼鏡じゃん。ね、それより、ほら。約束破ったらハリセンボンっすよー?」
「あれのどこが約束だ」
「ちゃんとゆびきりしたじゃん」
「ええい、減らず口め。約束は両者合意の元で行われて然るべきものだろうに」
「へえ、部長って約束破るような人だったんだー。知らなかったナー」

完全に臍を曲げて半眼で手塚を睨む。
そんなリョーマの発言についカチンときてしまうのは負けず嫌いのいけないところだろう。

「不誠実ー」

リョーマが言う。
手塚の内心では冷静な部分の彼が必死に諌める。乗せられてはいけないと。

けれど、

「お?」

自分を覆ってきた影に、リョーマの口から嬉しそうに声があがる。

そのすぐ後に、










「大石ーっ!ここの場所を考えないバカップルなんとかしてえー!!」
「そうッスよ!健全な男子中学生には目の毒ッス!」

目の前のベンチを指差し、菊丸と桃城がぎゃんぎゃんと喚く。涙声。必死の懇願。
そこは先刻まで我等が部長様が小難しい顔をして座っていた某ベンチ。

今も手塚はいるけれど、その頭部の殆どはベンチの背の裏を覗き込む様にして見えてはいないけれど、ベンチの足の隙間からは見覚えのある某1年ルーキーのトレードマークとでも言うべきフィラのシューズが覗いていた。




















ゆびきり。
ゆびきりの誤った使い方。もっさり間違えてますヨー、越前さん。

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