赤ピーマン
ぽいと自分の皿に放られたソレを見て、手塚は眉を顰めた。
投げて寄越した犯人は明確だ。
自分の机を挟んだ向こう側にいる2つ年下の恋人だ。
手塚はひと睨みして、放られた真っ赤なソレを箸で掴んで放り返した。
同じ様に自分の皿に返されて眉を顰めるのは今度は手塚の向かいの席のリョーマだった。
手塚より幾許か不器用に握った箸でソレを皿の隅に除けた。
「越前」
今度ははあ、と溜息。
中学の出会いから数えてもう何度この人の溜息を聞いただろうかと考えればそれは途方もない回数過ぎてリョーマはその思考を止めた。
「溜息吐くと幸せ逃げてっちゃうんだよ?ちょっとは改めたら?」
「では、お前もその極端な好き嫌いを改めろ」
「極端じゃないって。ちゃんと一個一個理由があんの!」
例えば―――、リョーマはそう口を開いて箸で皿の隅の赤い光沢を輝かせるソレに視線を落として睨んだ。
「赤ピーマンてさ、邪道じゃない。黄色もそうだけど。やっぱりピーマンは緑でしょ?」
「それだとサラダに彩りが無くなるだろ」
再び零れかけた溜息を混じらせて言う手塚とリョーマの間のテーブルには本日の夕餉のメニューが並べられている。
その中の一角にボウル型のやや深みのある皿にはキャベツやキュウリなど緑で統一されたサラダが据えられている。野菜特有の瑞々しい緑の山の上にソレ―件の赤ピーマン―が数切れ盛られている。
手塚が先述した様に緑ばかりのサラダに彩りを添える為だろう。
「色が欲しいならニンジンでも乗っければいいじゃん」
「ニンジンはもう煮物に入ってるだろう。昼にも食べた」
テーブルの真ん中に据えられたボウルディッシュには煮物。それを指して遂に手塚は呆れ顔に。
「毎日メニューを考えるこちらの身にもなれ」
「でも嫌いなもんは嫌いだもん」
「22にもなった大の男がもんとか使うな」
「なんでー?可愛いしいいじゃん。それにオレ実年齢相当に見られないしいいでしょ?」
「そういう問題では…」
手塚が苦言を呈すその前にリョーマは「とにかく!」と箸を一旦置いた。
「赤ピーマンは食べません!」
「そうやってまた子供みたいな事を言いおって…」
宣言と共にぷいと顔まで背けられて、手塚もほとほと困った様子を見せた。
リョーマがこういう事を言い出すのは何も今回が初めてではない。手塚も「そうやって『また』」と言っている様に。
「そんな事じゃ大きくなれんぞ」
その手塚の発言に顔を背けていたリョーマはぴくりと小さく反応を起こし横目で手塚を睨んだ。
「…アンタって、尽々意地悪だよね…オレがまだアンタに身長届いてないからって…」
「中学の時の宣言だともう抜かしている歳だがな。…未だか?」
目を細め、揶揄を体現した口許が片方だけ意地悪く吊り上げた。
「確か、高校に入る時には追い付く、とか何とか言っていたよな?」
「…。あの時はちゃんと追い付いたじゃん。それからまたアンタが伸びるから悪いんでしょ…!」
「その頃からこんな風に偏食持ちだったんだろう、どうせ。そんな事だから俺如きにも背が届かないんだ」
リョーマは力なく背けていた顔を正面に戻した。目の前にはまだ悪戯顔の手塚と未だ湯気を立ち上らせる夕食達。
「普通、185が間近の人を『如き』なんて表現しないよ」
「テニスプレイヤーにはそんなものザラだろうに。ああ、そういえばまた伸びていたな…」
「ええっ!?ちょっと待ってよ。また伸びたの!?」
「遂に185突破だそうだ」
「…ありえない。オレ漸くこないだ180に手が届いたのに…!」
夕食の並ぶ机の上にリョーマはへなへなと力の抜けた様に倒れて、顔を突っ伏した。
そんなリョーマが思った通りの反応だったのか、手塚は心持ち機嫌が良さそうに吊上げていた口許を綻ばせた。
リョーマが様々な点で自分を追い抜かして成長していくのは嬉しい反面、やはり悔しく思うところがある。根幹に負けず嫌いの性分を持つ手塚だけに歳の上下など関係なく自分が追い抜かされることはあまり好ましくない。
そして特に目の前の中学から数年来の恋人であり友人であり強敵でもあるリョーマに対して自分の方が優位であるという事実は一種の恍惚さえ覚える程だ。
越前リョーマに勝つ事、勝っている事は愉しい。そういう思いがきっと手塚の中にある。
「矢張り、お前が伸びきれないのは偏食のせいなんじゃないのか?」
「赤ピーマン食べたからって背は伸びないもん」
机に突っ伏したままのリョーマの声はくぐもっていて少し聞き取りにくい。
その上、若干涙声でもある様に思われた。
「もんとか言ってないでさっさと食べろ」
そして向かいで突っ伏したままのリョーマを放って手塚は手を止めていた食事を再開した。
「…」
黙々と箸を運び続ける手塚を恨めしそうにリョーマは突っ伏した位置から見遣った。
手塚と同じ様に負けず嫌いの性分を持つ彼は今負けている事に臍を曲げ、勝ち誇った様な――実際勝ち誇っているのだけれど――手塚に一矢報いる事だけを即座に考え出す。
脳内を稼働させ、一瞬の後に浮かんだ妙案と呼ぶには剰りにも稚拙な案が駆けた。
「ねえ」
体を起こし、リョーマは手塚を見据えてにやりと口角を擡げた。
何か悪戯を閃いた子供の顔に似ている。
そして、それは似ているだけではなく実際に何か悪戯を閃いた顔だと云う事は手塚には既知の事実だ。
また何か宜しくない事を考え付いた。
判りつつも手塚はリョーマの相手をしてやる。
「なんだ?」
飽く迄、表情は淡々とした様を固持して問う。反応を返してきてくれた手塚にリョーマの笑みは微かに深さを増す。
「アンタが食べさせてくれたら、赤ピーマン食べる」
「……」
リョーマからの子供じみたリクエストに手塚は箸を思わず止める。吃驚した様を装った演出。
「アンタもオレに早く大きくなって欲しいデショ?」
「いや、別に…?」
「またまた。ねえ、ほら早く」
そしてあーん、とリョーマは手塚に向けて口を開いてみせる。
「……」
暫間の沈黙の後、手塚は観念した様子で自分の皿の上で尚も活き活きと赤くツヤを誇る赤ピーマンを一切れ、箸で掴んでリョーマの口に向けて運ぶ。
律儀に口の中まで運んでやれば途端にぱくりと食い付いてくる。
「ちゃんと、」
役目は終えた、とばかりに撤退しようと伸ばした腕を引かせ始める。
「食べられるんじゃ…」
けれど、それはボディに帰る前に咀嚼し続けるリョーマの手に捕らえられる。
てっきりただ食べさせて欲しいだけだと思っていた手塚は正直驚き、言葉の最後は途切れた。
そんな手塚の言葉も一緒に咀嚼したのか、リョーマは口内のものを嚥下させた。
「食べられるよ。でも、やっぱり好きな味じゃないかもね」
そして、捕まえた手塚の腕の延長線上にある箸を握ったままの指に唇を押し当て、そのまま上目遣いで手塚を見た。
「やっぱり、オレの好物は…」
そのまま手塚の腕を引き寄せて、自身も空いた方の手を机との支えにして上半身を伸ばし、事態をよく飲み込めないまま薄く開いた手塚の唇を攫った。
急激なその動作に机の上のドレッシングのボトルが落下してガタンと音を立てた。
その音で呆けかけていた手塚の意識は呼び戻される。
途端に朱が差してくる頬。
「ごちそうさま」
仕上げ、とばかりに手塚の鼻先にもキスを落としてリョーマは手塚の腕を離して自身は席に落ち着いた。
残された手塚は椅子から立ち上げさせられたままの格好で少し止まる。視線が動揺に伴って泳ぐ。
「ご飯、食べようよ。折角アンタが作ってくれたんだしさ」
眼下のリョーマからそう言われて、手塚も平静がまだやってこない乍らも席に腰を落とし直す。
「食事は美味しく楽しくなくちゃね」
にっこりとリョーマは朗らかに笑ってみせて、発端となった赤くよく熟れたピーマンを口へと運んだ。
赤ピーマン。
未来設定で。越前さん22、手塚さん24で。
飯係は主に手塚さんで。
塚さんは予測しえない事態には弱い方向で。既にこれはこうだろうと確実だと思っていた予測が覆ると言葉さえ出ない方向で。
ありがとうございましたーっ
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