オープンカー
冬めいてきた空は部活が終了の時刻ともなれば漆黒の色を呈する。
そんな玄い空の下をリョーマと手塚は隣り合って正門への道を歩く。
ぽつりぽつりと交わす会話はこの日一番のお互いの愉しみ。
学年も違うし、手塚は部活を引退してしまったし、で、こうした時間が随一の会話の時間となる。
そして正門に到着すれば手塚は通学に使っているバスを待つ。そのバスを待っている瞬間がこの日最後の時間。
バスが来なければいいのに、と常にこの瞬間にリョーマは思う。
自分の頭よりも高い位置にある手塚の横顔を寂寥感に満ちた目で見上げればその視線に気付いた手塚の視線が柔んだ瞳で見下ろしてくる。
「お前はいつもそういう顔をするな、こういう時」
「だって…」
もっと一緒にいたい、という言葉がリョーマの口から出そうになったその時、遠くから車の音が近付いてくる。
もう時間か、とリョーマも手塚もその方向を見る。
遣った二人の目は、近付いてくる物体に目を点にした。
視界が認知できるぎりぎりの遠さから向かってくる物体は赤く、やけに大きな音をたて乍らぎらぎらと光を発しつつこちらへ近付いてくる。
ものの数秒でバス停の前にいる手塚とリョーマの前までやってきて、それはキィッと軋む様な音をさせて止まった。
その物体とは――
「よぉ、手塚。今帰りか?」
「…跡部」
氷帝学園男子テニス部部長、跡部景吾を後部座席に乗せた、真っ赤なオープンカー。
左ハンドルで明らかに外国製だと判るその車の助手席にはいつも彼の後ろに付き添っている樺地が視線をこちらに寄越すこともなく真っ直ぐに前を向いて座っている。
「…何事だ?」
3人は乗れるであろう幅広な後部座席の真ん中に優雅に足を組んで座ってこちらに軽く手を挙げてみせる跡部にほとほと呆れた様子で手塚は尋ねる。
彼と面識も剰り無いリョーマは手塚の隣に居並んだまましげしげとオープンカーを眺める。
「何事もクソも俺様も今帰りなだけよ」
「わざわざうちの学校の前を通ってか?」
「アーン?俺様がどこ通って帰ろうが勝手だろうがよ。なぁ、樺地」
「ウス」
助手席で樺地がこっくりと頷く。
それでリョーマも顔を上げた。今、樺地がそこに居たという事に気付いた様子だ。
「いつもココ通ってんの?氷帝の『元』部長さん」
「いい加減俺様の名前くらい覚えろ。…ったく、手塚、躾がなってねえようだなあ?」
「部長は関係ないっしょ?なんでこんなうすら寒い日にオープンカーなんかで帰ってんの?頭ダイジョウブ?」
「…ほんっと躾がなってねえな…」
「すまんな」
悪びれた様子など微塵も無く飄々と謝ってみせる手塚に跡部は、「揃いも揃いやがって」と眉を苛立たしげに顰めた。
「ま、何にしろ、帰りが同じたあ奇遇じゃねえか。乗ってけよ」
跡部からの誘いに手塚は不思議そうに小首を傾げ、隣のリョーマは神妙な顔で跡部を睨んだ。
「…そういう事ね」
ぽつりと漏らした言葉はアイドリングする車のエンジン音で掻き消えた。
あろう事か、目の前の人物は人の恋人をナンパに来たのだ。ちょっと腹が立つ。
「この肌寒い日にコレに乗れと?」
「昨日うちに届いた特注品だ。乗っといて損はないと思うぜ?」
「いや、お前の車に乗せてもらう謂れも無いしな。バスが来るしバスの定期もある」
遠回しに断ろうとする手塚に跡部は更に苛立った様子で組んでいた足を解いた。
「いいから!さっさと乗れよ」
「バスの方が暖房が効いていて暖かい」
「そんなケツの穴のちっちぇえこと気にすんな」
「それに、そんな轟音で家まで送られては近所迷惑になるしな」
目の前で苛々としてみせる跡部などお構いなしに手塚は断固として乗車拒否の態度を見せる。
「ねえ、氷帝の元部長さん、早く帰ってくれないとココにバス止まれないんだけど?」
手塚が決して靡かないその態度が快いのか、リョーマはすっかり上機嫌だ。
いつもの不敵なその笑みを浮かべて跡部の苛立ちに更に油を注ぐ。
「そういえばそうだな。お前がここに停車したままだと俺が帰れん」
「だから送ってってやるって言ってんだろうが」
「部長、この人アンタが乗らないと動かない気だよ?どうすんの?」
「後続車に迷惑だな…」
ふむ、と考える様に拳を顎に当てる。
遂に堪忍袋の緒でも切れたか、跡部がバンと後部座席のソファを強かに叩いた。
「さっさとお前が乗れば済む話なんだよ!」
語調を強くそんな事を言われても、手塚もリョーマも居竦む訳もなく。
「先刻言った様に、俺にとっては不都合でしか無いんだが。…越前、バスが来るまであと何分だ?」
「えっとね…」
問われて、リョーマはひょいとバス停に備え付けられた時刻表を覗き込みそれから自分の時計で時間を確認した。
「あと3分くらい」
「そうか…」
「ほら、どうすんだ?乗らねえとバスに迷惑がかかるぜ?」
形勢逆転、とばかりに愉悦気味に口許を歪めてみせる。
「どうすんだ?お?」
「恐らく、このまま問答を続けていても埒が明かないだろう…そのまま3分程度なら軽く経ってしまうだろう」
「お前の選ぶ道はひとつってことだな?」
「そうだな。そういう事になる。不本意だが…」
ほとほと困り果てた様子で、ひとつ溜息を吐く手塚に跡部は心の中でガッツポーズ。
けれど、跡部のその予想とは裏腹に手塚は次の瞬間くるりと踵を返した。
「今日は歩いて帰るか」
「お供させて頂きマース」
踵を返した手塚のその後を跳ねる様にリョーマがくっ付いて行く。
「………」
唖然とその様を見送る跡部を不意にリョーマは振り返って、にやりと笑ってみせた。
「ありがとうね、跡部さん」
一緒に帰る機会を与えてくれて。
そしてまた顔を正面に戻して手塚の隣へと並んだ。
どんどん遠離って行く二人の背中をなおも見送るままの跡部を樺地が困惑気味に振り返った。
「今日のところは、帰りますか?」
「…っの野郎」
「跡部さん?」
「俺の名前覚えてるんじゃねえかよ…」
「は?」
「いい。出せ。今日はこのまま帰る」
すっかり機嫌を崩した跡部を乗せて、真っ赤なオープンカーはエンジン音も高らかに走り出した。
オープンカー。
やられっぱなしへたれあちょべ。
わたし、忍跡が本命ですが、忍を本命に置きながら手塚やらきゃみおやら榊(43)やら宍戸やら橘やらに手を出す浮気症な彼が好きです。
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