弱音
燦々と照る陽光の下、青学内のグラウンドでは複数のブルーがはためく。
正統たるレギュラーの証である鮮やかなブルーのジャージがトラックをもうかれこれ20周以上駆け抜けている。
「しっかし、うちの部の連中は弱音なんて吐かねえ、よ、なっ!」
額には早くも汗をかき始めている桃城が誰か特定の人物に言うでもなく、足を忙しなく動かしたまま言う。
「こんぐらいで根なんて上がるわけねえだろ…バカかてめえは」
「バカたあなんだ、バカとは!このマムシ!」
「ぁあ!?」
ぎろり、と目を向く海堂と眦を上げた桃城とすぐに喧嘩が始まる。互いにグラウンドを走る足は止めぬまま。寧ろ加速しつつ。
「アイツら、ペースってもんわかって走ってんのかねぇ」
すっかり先頭を切って走って行ってしまった桃城と海堂を見遣りながら菊丸は溜息。でもどこか楽しそうに。
「基礎体力のアップ目的だからって目指せグラウンド1000周てありえないよねー」
「大石も突飛と言えば突飛な発想だよね」
「ま、これで今日一日終わるんだろうけどさ。ラケット振りたかったかも…」
隣り合ってゆっくりとしたペースで走る菊丸と不二。
その後ろをリョーマが同じ様な速度でついていく。
ラケットを振りたかったという事にはリョーマも同意だ。確かにこういったメニューも大切なのだろうけれど。
一日漬けの走り込みに加えてずっと続いている手塚の不在。
「…つまんないの」
「おや?早速弱音を吐いてる子がいるみたいだよ、英二」
「あららー、まさかオチビが一番に弱音吐くなんてねー。意外意外」
「…別に、弱音って訳じゃ」
「まさかうちの部のレギュラーにこんなに早く弱音吐く子がいるなんてね。宮崎の手塚が知ったらどう思うかなあ」
くすり、と揶揄して笑う不二に不覚にもリョーマの堪忍袋の緒が悲鳴を上げる。。
「何も、オレだけじゃないですよ。すぐに弱音を吐くのは」
「へぇ?」
意外そうに不二は片眉を上げてみせる。隣の菊丸も噛み付いてくるリョーマの様子が面白いらしくちらちらと後ろを振り返りながら走る。
「僕じゃないよね…意外とこれでもタフなんだよ?」
「俺でもないよねー。確かにプレイには波があるってよく言われるけどさ、弱音は言わないもんね」
「今、この場には居ない人ですよ」
にやり。不敵に口角を歪める。
「この場に…」
「居ない人…?それって、一人しか、いないじゃんねえ…?」
前方、そして後方と菊丸は辺りに視線を巡らせる。
前方トップには未だ喧嘩をし続けながら走る桃城と海堂。
その後ろには呆れ顔の河村と大石。
そして自分達3人に、最後尾からはレギュラー全員の様子を窺いながら考え顔の乾。
この場に居ないのは、宮崎の土地へと治療に行っているその人、唯一人――
「手塚?」
「えー!?手塚は人一番弱音言わないじゃん。適当な事言っちゃ駄目だぞ、おちび」
後ろのリョーマを叩くような素振りをしてくる菊丸の拳をさらりと交わして、リョーマはにやりと笑ったままの顔で人さし指を立てた。
「読みが甘いっすよ、先輩方。誰も部活中の話だなんて言ってないじゃないスか」
「えー、でも勉強でも弱音は言わないしー、」
「何事に於いても、我慢の限界以上に我慢するよね、手塚は」
部内、に留まらず、世界中で一番弱音が似合わない人間ではないだろうか。
そんな菊丸と不二に対し、立てた人さし指を左右にちっちと振った。
「あの人、ベッドの上じゃあすぐに『もうやだ』とか『だめ』だとか、挙げ句には『もういく』だとか言うんですよ」
きらり、とリョーマの眸が輝いた気がしたが、それは照り続ける太陽のせいかもしれない。
思わせぶりに告げたリョーマの答えに、菊丸と不二の両者は鳩に豆鉄砲を食らったように唖然としている。
「…へえ、手塚がねえ」
「意外っちゃあ意外…?」
「まあ、アレはオレだけしか知らない弱音なんでしょうけどね」
「ああ、そう…」
その後も、自慢気に自分だけが知る手塚の痴態を語るリョーマに振り返っていた顔を正面に戻した。
「英二、少しスピード上げようか」
「そだね」
人の惚気話程、他人にとってつまらないものはない。
饒舌に話し始めたリョーマを尻目に、急激に二人はスピードを上げて走り出した。
「あっ!こら待て!」
突然逃げ出した二人を追い掛けてリョーマもダッシュをかける。
「やーだねー!」
「そんな話はピロートークに手塚とでもすれば?越前」
「あの人、終わった後すぐに寝るから無理なんスよ!」
「だーからっ!おちびと手塚のそんな話につき合ってらんないっての!追い掛けてくんなーっ!!」
そのまま、トップの桃城と海堂まで追い付くところまで、3人は猛烈な勢いでトラックを走り抜けて行った。
「不二先輩に英二先輩、なんなんスか、いきなり!」
「聞くな、桃っ!」
突然自分達の横にリョーマよりも一足早く駆けて来た二人に驚く桃城に視線を向けることもなく、菊丸は更に加速する。
「待て、コラァ!」
「…越前?」
駆け抜けて行った菊丸に呆然としていれば、背後から足音も高らかに迫ってくるリョーマが見える。
「…何か知らねえが、逃げた方が良さそうだな…」
「お先に」
「あっ!不二先輩ずるいッスよ!」
そして、不二や菊丸に巻き込まれる形で桃城も海堂もスピードを上げる。5人を追って、リョーマも全速力で駆けて行った。
「…あいつら、ペース配分承知してるのかな、タカさん…」
「さ、さあ…ちょっと心配だね」
最早自分達からは遥か彼方のトラックの先へと駆けて行ったレギュラーを見遣った。
弱音。
夜の手塚も目指せもうひと頑張り。
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