不規則
「今日の練習メニューは――」
いつも通りに青学テニス部のコートに響き渡る手塚の声。
発表される練習内容はこれもいつも通りに各自の能力に合わせたもの。
それを聞く部員達の少し神妙な顔もいつも通り。
そんないつも通り過ぎる光景に、リョーマは一人だけ妙な違和感を抱いていた。
鋭敏な第六感――平たく言えば、勘、でリョーマがその違和感の正体を探せば難無くそれは見つかった。
「――以上だ。では、各自今日のメニューにかかれ」
自分を含めたテニス部員の頂上に君臨する手塚国光、その人こそがリョーマに違和感を抱かせていた。
散らばっていく他の部員を余所にリョーマは手塚目掛けて歩み寄った。
視線の先の手塚は隣の大石と何やら話をしていてこちらに気付いている様子はない。
「部長」
「……っ!!」
猫が毛を逆立たせる様宜しく、身をぶるぶると震わせた後、手塚が睨む目付きでこちらを振り返った。
手塚の隣に居る大石も、手塚の反応に何事かと肩越しにこちらを覗き込んでくる。
「越前?手塚に何か用事かい?」
「ええ。ちょっと大石先輩、席外してもらってもいいスか?」
手塚の後ろからリョーマににっこりと笑われ、確認する様に手塚を窺えば頬を引き攣らせていた。
「大石、すまないが少し席を外してくれないか?」
「でも…」
何やら手塚の状態は普通では無さそうなだけに、大石もその場をすんなりと去ることは躊躇われた。
そんな大石の肩をポンと軽く叩き、どこか顔色の宜しくない顔で手塚は口を開いた。
「この話の続きはまた後でする。今は、少し…いいか?」
「…手塚がそこまで言うのなら…」
止むを得ない、とばかりに大石は去ろうと踵を返そうとした時、リョーマがしたり顔で笑っているのが見えた。
やっぱりこのまま去ってもいいものかと足が躊躇うけれど、手塚が去ってくれとばかりの懇願の眼差しで見るものだから、後ろ髪を引かれる思いで大石はその場を去った。
「…越前」
「なに?」
ちらちらと何度もこちらを窺いつつ去っていく大石の後ろ姿を見送りつつ、まだ背後に居るリョーマを振り返り気味に手塚は睨む。
そんな険を含んだ視線を気に留める事もせず、リョーマは飄々としている。
「いい加減、その手を放せ…」
視線で責める先には、自分の臀部にぺったりと添わせたリョーマの掌。
手塚を呼んだ際に、背丈的にも丁度良かったのか、肩を叩く要領で手塚の尻を触っていたらしい。
「セクハラにも程があるぞ」
「揉んでいい?」
「いいわけあるかっ。人の話を聞け!」
パシン、とお得意の平手でリョーマの手を払うとこちらに体を真正面に向けた。
「…で。話とは?なんだ?」
「この続きはまた今度の休みね」
「話とは何かと聞いている」
腕を組み、地獄から轟くような擬音を背負った様子の手塚にリョーマは肩を竦めてみせた。
あまり、懲りたようには正直見えない。
「何か、今日のアンタ様子変だな、って思って」
「…」
「…何かあった?」
先ほどまでのからかうような調子とは一変した様子で下から覗き込んでくる。心配そうなその瞳は冗談も揶揄も一欠片もない。
そんなリョーマに手塚も組んでいた腕の力を緩めた。
「…。今日、身体測定があっただろう?」
「うん?あったね」
そこで計られた身長が伸びていなかった事も思い出してしまって、リョーマは少しばかり苦い顔。
「一緒に心電図も計っただろう?」
「え?ああ、うん、計ったね」
「それで、どこも異常が無いと言われたんだが…」
言葉を濁す手塚にリョーマは不思議そうに首を傾げる。
何やら言いにくそうな雰囲気ではあるが、体に何事も異常が無かったのならばそれに越したことは無いのではないだろうかと思う。
「異常が無いのがいけないの?」
「…。よく、脈が不規則に鳴るんだ。それでおかしくないという方がおかしいとは思わないか?」
「脈が、不規則に?」
こくり、と頷く手塚にリョーマは何かを考える様子。
押し黙ったリョーマに手塚もつられる様に神妙な顔になる。
「やはり、俺はどこかに異常を抱えているんだろうか…」
多少簡易的ではあるとは云え、医療的な検査でも見つからないぐらいの。
病魔に冒されているのではないかという懸念はみるみるうちに手塚の顔を曇らせていった。
「そんな顔しないでよ。オレの前で」
「だが…」
「多分、だけど、ひょっとしてそれって…」
言い終わるが早いか、リョーマは手塚のジャージの襟元を手繰り寄せて、傾いた手塚の頬を掠める様に唇で触れた。
どくり、とそれまで穏便に鳴っていた手塚の鼓動が一瞬跳ねた。
突然の事に引き寄せられた格好のまま、手塚が眸を瞬かせているうちにその耳元でリョーマは言葉を紡ぐ。
「こういう時に、起こるんじゃない?その不整脈」
「…」
「今、起こったでしょ?どきって」
「…そういう、事か…」
流石の手塚もここまでヒントを出されて気付かない訳はなかった。
思い返せば、脈が不規則に鳴るのはリョーマと一緒に居る時が多かったのだ。失念していたと言われればそれまでだが、当の手塚は少しも気付いてはいなかったらしい。
「アンタが気付いてなかったなんてね…そんなにオレと一緒に居る時ってオレしか見てなかったんだね」
握りしめていた手をそのまま下降させて手塚の背の後ろで組む。
きゅうっと力を込めて抱かれたところで手塚から押し退けられた。
「部活中だ」
「ちぇ。誰のおかげで原因がはっきりしたと思ってんの?」
「…」
全くもってその通りである訳で、手塚には返す言葉も無い。
それを気配で悟ったリョーマはやった感いっぱいに不敵に笑って手塚に抱きつこうと腕を伸ばした。
が、
「ぶ」
手塚にその腕が届くか届かないか、という寸でのところで顔を手塚の大きい手で押止められた。
文句たっぷりの顔で手塚を睨み上げれば、目許に朱を差した彼の顔がそこにはあった。
「この礼は今度の休みだ」
「…。その言葉、忘れないでよ?」
にこり、というよりは、にやり、と意地悪そうに口角を歪めて笑えば手塚は、やれやれ、と云った様子乍らもこっくりとひとつ頷いた。
不規則。
えちと居るときに起こる手塚の不整脈。
どっきどきらしいです。
そりゃあなあ…えちといればそらどきどきもするだろうよ…
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