四畳半
鴉の声は最早遠く。
茜空も疾うに山代わりのビルの彼方深くへと沈没。
もう伸ばされる影も引き連れず、歩幅もゆったりといつもの二人は帰路を歩く。
何処か愁いをも含んだその場の雰囲気宜しく、手塚もリョーマも言葉も無くただ路を歩む。
そんな静寂を破ったのは、何ともその場には不似合いな音。それも盛大に。
グゥゥゥ。
「…?」
「…」
その音に手塚は小首を傾げ、リョーマはそんな手塚を含めた全ての事に素知らぬ振り。
けれど、手塚から訝しむ視線で射ぬかれ続けて、流石のポーカーフェイスもどこかバツが悪そうにチラリと手塚を盗み見た。
「…」
「…腹」
尚も見詰められ続けて、ぽつりとリョーマが漏らす。
「ん?」
「腹減った」
今度はきちんと手塚を見据えて。不躾な程に。
「部長、今、手持ちいくら持ってる?」
「…俺に集る気か?」
「まあま、夫婦の財布は結局は一緒なんだから」
「金に関しては夫婦間でも別件だ。…と、言うか、生憎一銭も持ってなどいないがな」
ちぇ、とリョーマは不貞腐れてみせる。
「そういうお前こそ、持ってないのか?」
「何、部長も腹減ったクチ?」
「買い食いは祖父に咎められるが、結局は夕飯を平らげてしまえばばれないだろう」
「うわー、おまわりさーん、ここに狡い計画犯がいますヨー」
辺りに人影の無い路で手をメガホン代わりにして、彼方へ呼びかけるフリ。
そんなリョーマの頭頂を軽く小突いた。
「まあ、持ってないから俺に集ろうとしたんだろうが…」
「そうそう」
「そう見せて、ただ人に奢らせようというだけの魂胆かもしれないな」
揶揄する色を多分に含ませた眸で横目にリョーマを伺う。
途端に年相応に頬を膨らませてみせる中学1年生の小さな恋人。
「お互い、まだまだ資金繰りには苦労するな」
「後、3、4年もすれば稼ぎに行くよ」
「…どこへ?」
「世界」
その3つしかない単語に、思わず手塚の足は止まった。
夢物語の様な規模の大きさと、自分が進むであろう1年後の未来との齟齬で。
立ち止まってしまった手塚をリョーマが不思議そうに振り返る。
歩みを止めた瞬間に、背中のテニスバッグの中でラケット同士がぶつかり合う、がちゃりと云う音がした。
「部長?」
「高校で一人、待たされるわけか?俺は」
「まさか。世界に出たら攫いに行くよ」
「…は?」
見事にあっけらかんと告げられて大地に落ちようとしていた手塚の視線は咄嗟にリョーマへと向かう。
まじまじと見られて、逆にリョーマの方が不思議そうな顔色。
「俺が居なくなったらアンタ泣いて暮らす日々じゃん?」
「…誰が」
くすり、と苦笑。
寧ろ、逆に手塚の居ない生活を送るリョーマの方が枕を濡らしながら暮らしそうだと手塚は思った。
休みとあらば何が何でも自分と会おうと画策するリョーマを常に見ているとそんな想像は剰りに容易い。
「稼ぎ出したら、奢る奢らないの話も無しに、クルージングにでも連れてってあげるよ」
「くれぐれも、失脚して四畳半の部屋に招くような真似だけはしないで欲しいな」
「本気でオレがそんな目に遭うと思ってんの?」
「まさか」
また淡々とした表情に戻って、手塚が一歩を始めた。それに倣う様にリョーマも歩き出す。
「俺が見つけた金の卵だ。安易に転落されてはこちらが困る」
「…?」
「安月給の亭主なぞ、こちらから離縁を申し立てさせてもらおう」
「…養え、って?」
困った様子で、けれど上機嫌さも混ぜ合わせて、リョーマは口の端を上げたいつもの笑いを浮かべる。
「精々、稼いでくるんだな」
「美味しいご飯作って待っててくれるならね」
にっこりと笑い合って帰る路。
四畳半。
四畳半=貧(偏見)
親は金持ってても子供は金を持たないどうにも貧しい中学時代。
お小遣いだけでは毎月大変です。
将来はゴールドコーストに別荘の1、2軒ぐらいどうぞ、越前さん手塚さん。
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