ファーストキス
天下の青学を纏め、近郊の学校に畏怖にも近い念で恐れられている男、手塚にも苦手な事がある。
成長過程の少年らしく、何事もスポンジの様に吸収し克服していく彼ではあるけれど未だに苦手意識が解けないものがある。
世界一屈強な鉱物でも、ある一点を突けば容易く壊れてしまうような弱点がある様に、何を持ってしても揺るがない無表情な仮面であろうともそれが崩れる時が勿論ある。
「…んんっ、や…っ」
苦手なもの。
それはいつも手塚にとっては不意に訪れるもので、どういう謂れを持ってされるのか判らない。
『彼』曰く、自分が『そういう』顔をしているらしい。
「や…っ、ん……ふっ」
「また、そんな顔して…たまんないね」
肩を上下させて荒く呼吸する手塚を前に相手はぺろりと豪勢な馳走を食べる直前の様にひとつ舌舐めずりした。
図書委員の仕事を理由に部活に遅刻し、無人となった部室で一人のろのろと着替えをしていたリョーマのところにひょっこりと手塚がやって来てしまったのが運の尽きであった。
人がやってきた気配に脱ぎかけのシャツを纏ったままくるりと振り返ったリョーマの目に映ったのは頬をうっすらと朱で染めてこちらを見ていたのだろう視線を逆側へと背けている手塚。
手塚は部室に何かを取りに来たのだろう、視線をぷいと背けたままロッカーへ向かい、扉を開けて中をごそごそと漁っていた。
その手塚に異変が襲ったのは目的のものを見つけだしてすぐ。
足音も無く、リョーマは手塚に近付いてその背からゆっくりと抱き込んだ。
次第に力を強めてくるリョーマに手塚は困惑した顔で背後を振り返った。
「部活中は駄目だと…」
「何言ってんの、人の着替え見て勝手に欲情してた癖に」
手塚の背に貼り付いたまま、見上げてにやりとリョーマは笑った。
下手な嘘など到底吐けない手塚は否定もできず、かと言ってああそうだと認めるのは剰りにも気恥ずかしくて、結局先刻そうだった様にまた頬を淡く染めて沈黙を保った。
「…」
「沈黙はYesって取る、よっ」
手塚の胴に腕を回したまま、下方へ重力をかければ、不意打ちに容易く手塚の膝が折れてぺたりと尻餅を着く格好になった。
「…おい」
そのまま背から前面へとくるりと回ってきたリョーマが手塚の膝に跨がり、何やら不服そうに手塚は声をあげた。
そんな手塚を一寸も気にかけることなく、リョーマは手塚の首筋にキスを落とす。
「こら」
「…なに?首から攻められるの不服?」
「そうではなくて…」
「もっと大胆にしていいって?やったあ」
満面の笑みでリョーマは手塚のユニフォームの釦に指をかけ始めるが、ボタンがホールを抜ける前に手塚はリョーマの手首を取った。
「部活中、だ」
「オレのウォーミングアップだよ」
けろりと答える。
「走る方がさっさと体が温まる。さっさと着替えて好きなだけグラウンドを…――」
最後まで手塚の答弁は告げられず、そして冒頭の下りへと戻る。
執拗にキスを繰り返してくるこの少年というのものは手塚に肉食獣を喚起させる。
自分は差詰め、肉食獣に貪られる餌と言ったところだろう。
底などない極上の餌。それを証明する様に、獣は食い尽くすことはしない、否、できない。
ただ只管に貪って貪って貪り尽くす。
「ぁふ…っ………ん、っは」
がらんと二人以外は居ぬ部室には何度も唇という薄い皮が接いたり離れたりする音。それから液の絡み合う音だけが卑猥に響いた。
「ちょ…っ、んん、待…て……。…ぁ」
縋り付く様に自身を貪ってくるリョーマのシャツを握れば、脱ぎかけだったそれはずるりと肩を滑って上半身の裸の部分を半分露呈させた。
「うわ…部長のエッチ…」
揶揄する様にそう言い乍らも、リョーマはもう半身分のシャツも自ら脱ぎ捨てた。
唖然としつつも、尻餅をついたまま後退して逃げようとする手塚に四つん這いでリョーマは追い付いて、にこりと笑った。
「待て」
「脱がしたのアンタじゃん」
「事故だ」
「聞かないね、そんな言い訳」
結局、間合いをすぐに詰められて、また手塚は唇を奪われる羽目になる。
思わず、瞼を深く瞑ってしまった。
一度離れて、また降って来そうな唇の気配に手塚は咄嗟に腕を前に突き出していた。
「…ぶ」
寸分違わず、その掌中には降りかからんとしていたリョーマの唇が衝突した。
開いた指の隙間の向こうに、瞭然と臍を曲げた様子の顰めっ面が覗いていた。
「ま、前から聞こうと思ってたんだが、お前はどうしてそんなに手練ているんだ」
取り敢えず、現状を打破しようと手塚の口を突いて出てきた言葉は本人にも意外な言葉で。
「へ?」
尋ねられた側はより意外で。
「お前、まだ12だろう?おかしくないか?」
「どうして…って、場数…じゃ、なくて…えと…」
場数、との単語に今度は手塚の眉が顰められる。
その後に取り繕う様に見目も歴然と慌てるリョーマの言葉がそれを肯定していて、増々手塚の眉間の皺は深くなる。
「そんな、今からは覆せない過去になんてこだわらないでよ。アンタと出会う前の事だしさ」
「…それは、そうだが…俺はお前が初めての相手で、お前は俺が初めての相手じゃないというのは…」
そこまでを勢いに任せて一息に告げてしまって、今更に手塚は言葉を止めた。
その後に続く筈だった言葉は、『悔しい』、もしくは『ずるい』。その言葉はごくりと喉の奥へとしまうが、時既に遅し。
目の前のリョーマは手塚の発言ににやりと唇を歪めた。
「大丈夫だよ。本気になったのはアンタだけだから。アンタとのキスがファーストキスだからさ」
「…体の良い」
「ホントだってば」
「…どうだか」
ぷいとそっぽを向かれた。
恋人が臍を曲げる様を無邪気に可愛いと思っている時ではない。
「じゃあ、こうしよ?オレが一個誕生日を迎えたら、キス」
「?」
「いつもオレのファーストキスはアンタにあげる、って意味だよ。これから先」
「…恥ずかしい奴だな」
言葉とは裏腹に手塚の目許は嬉色が滲んでいた。
ファーストキス。
初めはこんな展開の予定ではなかったのに…お、や?
えちのファーストキスは酔っぱらったパパに無理矢理奪われたに1票です。
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