セカンドキス
















「ねえ、手塚ー、今日一緒にお昼食べん?」

とある休み時間。誰か自分の席に近付いて来たな、という意識はあったものの、それが誰かは休み時間の有効利用の為に開かれている書物の為に姿は見えなくて、降って来た声の持ち主に正直、手塚は驚いた。

「菊丸?珍しいな、お前が俺のクラスに来るなんて」

本から視線を上げれば、いつもと何ら変わることないからりとした笑顔。

「ままま、いいじゃんいいじゃん。偶には俺が来てもさ。どこにも『菊丸英二立ち入り禁止』て書いてなかったし。ね、それよりもさ、お昼、一緒に食べないー?」
「それこそ珍しいな。俺がお前達の昼餐に呼ばれるとは…」

ここで言う『お前達』というのは菊丸と部内でも特別に懇意にしている者、つまりは大石や不二、ということを指す。

「どういう腹積りだ?」
「やだな、ちょーっと聞きたい事があるだけ」

手塚は菊丸のその発言に首を傾げる。

「聞きたい事?ここじゃ駄目なのか?」
「ダーメ」
「部活では?」
「もーっとダメ」
「何故だ?」
「だっておチビ居るし」

リョーマも何かと理解不能な事をしかも突飛に言い出すが、この時の菊丸もそれに近しいものがあった。
つまり、また手塚は首を傾げた。

「いよいよ意味がわからんが。…越前絡みの事、か?」

リョーマが居るから部活では話せない、ということなのだろう。単純に考えて。
それは、まあ理解の範疇だとしても、リョーマの居ないこの教室で話すのも憚られるという箇所のせいで、手塚は未だ菊丸が話そうとしている内容について明確には判じ兼ねた。

不可解そうな顔色が解けないままの手塚の席の前で、菊丸はちょいちょいと手招きをしてみせた。
もっとこちらへ来い、イコール、内緒話の意。

その御招待に従い、手塚が菊丸に近付くとその口元に手を当てて―内緒話をする格好そのもので―菊丸は口を開いた。

「おチビと遂にファーストキスしたって本当?」

次の瞬間には椅子ががたり、と一際大きく鳴った。
ざわついた教室でもそれは厭に響いたらしく、教室中の目が手塚と菊丸に向く。
けれど、其所に特別何かのアクシデントがあった様には見えなかったらしく次第に喧噪がリプレイされだした。

手塚本人にとっては大惨事にも等しかったというのに、杳として他人には無関心な事であったらしい。

「…菊丸」
「にゃーに?」

衝撃と共にずり落ちてしまったらしい眼鏡を元の位置に掛け直す。
変わって菊丸はどこか嬉々とした顔で机に頬杖を突いていた。

「情報源は…どこだ」
「いぬいー」

そうかアイツか、あの汁にばかりご執心の無駄に電柱の逆光眼鏡のついこの間1年生に負け、2年にも敗北を喫してイモジャ生活を送っているアイツかと、元気に回答された発信源に対して取り敢えず思い付くだけの罵詈雑言を心の中だけで唱えた。

「ね、ね、セカンドキッスはまだなの?」

『キス』の発音を特に楽しそうに、まだまだ嬉々として菊丸が尋ねてくる。幾らか声のトーンは落としつつ。
笑顔の嵐の菊丸を前に、そういえばこいつはこういうゴシップネタが桃城や乾と並んで大好きだったという事を今更に手塚は思い出す。思わず、脳の片隅で偏頭痛発生。

「…」
「ねー、まだしてないの?もうしたの?どっち??」
「…」
「なんで黙ってんのー?あ、そか、先にファーストキスの感想聞くべきだった?」
「…おい」
「いやあ、ごめんごめん、気が回らなくて」
「…そうじゃなくて」

ぽつりぽつりと出てくるこちらの声など一切無視らしく、くふふと非常に愉しそうに笑われた。

「…」
「ね、やっぱおちびってまだ中1だし、下手だった?歯とかぶつかっちゃったりした?」

止せば良いのに、菊丸の台詞に喚起されて『その日』の『あの瞬間』の様子を手塚はどうだったかな、と思い返した。

「手塚の眼鏡のフレームとか、当たっちゃったりとか?あ、キスの時ぐらいはやっぱ外すのかにゃ。おチビが外した?手塚から外した?」
「…舌が」

そのままクリアに思い出された瞬間を辿っていたらしく、手塚から不意にぽつりと零れた言葉に矢継ぎ早に質問を浴びせていた菊丸の饒舌も機能を一瞬にして失った。

「へ?」
「舌が入ってきた」
「…はい?」

首を傾げるのは今度は菊丸の番。目を点にして。

一方の手塚は状況を思い出しているせいか、先刻から指先で唇を撫でていた。

「…」
「…」

暫し両者は沈黙。
菊丸の脳内では手塚の言葉が駆け巡り、手塚の脳内ではリピートをかけてあの日が巡る。

「…あの、手塚?」

もう何秒お互い沈黙を保っていたのか判然としないが、ぽつりと手塚の目尻付近が赤見を帯びて来て、思わず菊丸が沈黙を破った。

菊丸の言葉など耳を左から右に抜けているのか、依然として沈黙を保つ手塚の朱色は転と広がっていく。
終いには顔全体が真っ赤に染まって、リンゴ飴みたいだな、と空腹も近い菊丸に想像させるまでに至った。

「英二、こんなとこにいた」
「あ、不二」

名を呼ばれて振り返ると、3年1組の扉からひょこりと不二が顔を出していた。

「随分探したんだよ。4限目は移動だって朝から自分が言ってたくせに」

つかつかと菊丸の元までやってきて、困り顔で腰に手をついてみせる。

「おかげで奥から順に僕が教室眺めて来る羽目になるし、結局一番最後の1組に居るし…」
「ごめんごめん!悪かったって!ちょっと手塚に用があったんだけど――…」
「手塚に?英二が?」

そこで漸く、不二は目の前の席は手塚だと言うことに気付いて視線を向けるが、彼の異変に思わず言葉を失した。

「まあ、2回目にはまだまだ遠そうってことが判っただけも収穫だったかもねー」
「2回目?英二、手塚に何したのさ?」
「ただちょーっと、疑問をぶつけただけだったんだけどネー。あ、予鈴」

計った様な見事なタイミングで、不二から追求を受ける前にスピーカーから聞き慣れたチャイムの音色が鳴り出す。

「疑問、て何聞いたら手塚がこんな茹で蛸みたいに―、って、英二!?」
「さっさと帰るベー。次移動だし?」

机に預けていた頬杖を解いて、菊丸は立ち上がり、まだ事態をよく把握しきっていない不二を追い抜かして扉へと向かった。
その後を不二も追って、結局何も判らぬまま、扉をくぐった。


後に残されたのはセカンドキスどころではない、指先まで深紅に染まった手塚。

無情に、本鈴の鐘が鳴った。























セカンドキス。
これをむしろファーストキスに置いた方がいいんじゃないだろうか…。そわそわ。
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