ガラス
















中々に自分もうっかりしているところがあるのかもしれない。

間近に迫った手塚の細い睫が小刻みに震えるのを見ながら、どこかぼんやりとリョーマは思った。

キスをする時にいつもうっかり相手の眼鏡を取り払うのを忘れているなんて。

けれど、それはリョーマからはうっかりのつもりでは無くて、いつも相手が薄いガラス越しなのは止むを得ない事故なのだ。
手塚という生き物は、どうにもこうにも警戒心が強い。隙が無い。
一介の部活動の長ならば、それは褒められるべき長所なのだろうけれど、恋人としては短所としか言えない。

隙が無い、ということは、不意打ちのキスに苦労する、ということだ。

正々堂々と臨めば良いではないか、という声もあるかもしれないが、そこはそれ。『手塚という生き物』という概念がそれを許してはくれない。

仮に、リョーマが正々堂々、真正面から体当たりしたとしよう。余程、雰囲気が『そういう』雰囲気でない限り、手塚の口は『ノー』以外発しない。
リョーマとしては、一人の思春期の少年として、また骨の髄から手塚に愛情を注いでいる一人の恋人として、手塚に触りたいと思うし、声も聞きたいと思う。
つまりはキスだって頻繁にしたいし、それ以上の事も間断なくしたいとすら思う。

特に、手塚が傍らに居ればその欲求はガス風船の如く易々と膨れ上がる。

だから、リョーマはキスができそうな隙を見つければ手塚にキスを施す。
お互い立っている時は痛恨の身長差28センチも、持ち前の跳躍力でなんとか飛びついて。若しくは下から胸倉を手繰り寄せて。
相手が座っている場合は眼鏡を外す時間もある様に思うが、それを取り払っている隙に聡く察知した手塚に逃げられてしまう。

故に、キスをしている時の愉しみ―薄らと目を開いている事―の時に住う瞳の住人はいつもガラスの向こうに佇んでいる。

性分なのか、常に一点の曇りも無く磨き上げられているガラスだから、見通しが悪いだとか、視界の邪魔になるという事はないのだけれど、やはり食べ物も養殖より天然のものの方がが旨いと謳われる様に、ガラス越しの手塚よりも生の手塚の方が好い。

この人、コンタクトにするとかそういう気は起きないのかな?
テニスするにも絶対コンタクトのが有利だと思うんだけど。

いつもガラス越しに自分を見て、もっとクリアに見たいという欲求は起きないのだろうか。
もしも自分が逆の立場だったら、絶対にそう思うと容易く想像できるのだけれど。

それとも、出会った頃からガラスの向こうだから、これが自然な姿に見えているのだろうか。

なんだかちょっとやるせない。
心持ちリョーマが悄気た瞬間に、手塚から勢い良く離された。

「ちぇ」
「ちぇ、じゃない。また、勝手に仕掛けてきおって…」

不貞腐れて一瞬前まで目の前の相手の唇に触れていた口唇を窄めるリョーマに、手塚はほんのりと朱みを孕んだ色の呆れ顔。

「ねえ、コンタクトとかにしないの?最近は視力矯正とかの手術とかあるじゃん?」
「?  眼鏡があるじゃないか」

ほら、とばかりに手塚は自分の左右の目を覆っている計2枚のガラス板を指し示した。
その答酬に、否定の意味を込めてリョーマは小さくかぶりを振る。

「眼鏡、邪魔になるじゃん」
「ならんぞ…?」
「アンタには邪魔にはならなくても、オレにはちょっと邪魔」
「は?」
「ほら、今みたいにキスする時とかも注意しなくちゃいけないし」
「…はい?」
「まあ、オレにとっては眼鏡回避しつつ上手にキスするぐらいワケないけどさ」
「…あの?」
「それに、アンタだって普段から眼鏡してるから気にならないんだろうけど、生のオレのがいい男だと思うんだけど」

ガラス越しの越前リョーマよりも。

ぺらぺらといつもよりも舌の回転率も素早く言ってのけるリョーマに対して、完全に手塚は言葉の意味の理解に遅れた。
狐に抓まれた顔の手塚に、びしりとリョーマは人差し指を突き付けた。自然と手塚の注意も指先に向かう。

「だ、か、ら。ガラス越しのオレで満足なワケ?アンタは」

リョーマなりに簡潔に告げてみると、注意はまだ指先に残したまま、考えを巡らす様に手塚は腕を組んだ。
唸る事も無く、黙考し、数秒経って手塚の視線がリョーマの人差し指から幼さに良く見合った大きな眸に動いた。

水晶体のずっと奥まで覗き込まれた気がして、突き付けていた人差し指が無意識に墜落した。

「…ガラス越しじゃないお前というのは、色々思い出す。よって、裸眼云々でお前は見たくない」
「色々?思い出す?」
「…俺が裸眼で居る時があるだろう」
「…。…いつ?」

一応、考えてはみるけれど、手塚は常に眼鏡をかけているイメージだ。
そしてそのイメージと寸分違わず、朝練、休み時間中、放課後の部活中、帰路、といつ見かけるにしても手塚は眼鏡を装着している。

手塚が言う様な瞬間を記憶を遡って探してみるけれど、不思議と見つからない。

遂にリョーマがうんうん唸り出したのを見て、手塚はこう提案した。

「立場を逆に考えてみろ。お前が眼鏡をかけているとしたら、それを取るのはいつだ?」
「眼鏡なんてかけたことないからわかんない」
「喩えだ、喩え」
「えー…眼鏡外す時ー…?」

顔を洗う時。
入浴。
睡眠。

そこまで考えれば充分だった。
どうやら答えに至ったらしい顔つきのリョーマから、手塚は静かに視線を逸らす。
その頬は先刻のキス直後よりも赤い。

「…部長ってば、かわいい…?」
「かわいい言うな」
「かーわーいーいーっ」

発言と共に飛びかかってきたリョーマの下からは手塚の短い悲鳴がひとつ。










ガラスに阻まれる事も無く、手塚がリョーマの顔を『見上げる』時は、シーツの波の中。
睦言の波の中。




















ガラス。
手塚の眼鏡。
やーだー、ぶちょう、かーわーいーいーっvv
えちもかわいいヨ!勿論だよ!ダブルで可愛いよお前らvvvv

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