ふたりきり
唇ひとつに対して、こんなに欲情したのは初めての体験だった。
レモンイエローひとつを追いかけて、鮮やかなグリーンの上でふたりきり。
すぐ傍に時折レールを走る電車の音を置いたグリーンの上でふたりきり。
活発な運動のせいで血の巡りがいいのか、それとも元来そういう色だったのか。やけに、雄としての本能を擽られる赤い色をしていた。
それが時々、薄っすらと開く。
運動の最中なのだから、体が酸素を要求しているのだろう。
それでも、リョーマにとっては煽情的な姿に映った。その手塚の姿は。
呼び出しを食らって何故だか二人でテニス。
部長の肩書きを持つ人物なのだから、他の部員よりは巧いのだろう。それぐらいは漠然と思ってはいた。
けれど、相手の力はリョーマの想像を遥かに越えるもので。
13年目の人生で二人目に、劣勢を強いられていた。
心臓が高鳴るのは、先刻から8メートル弱のシングルスコートの両端に振られているせいか、強い相手との対戦でのスリルのせいか、はたまた――、
芽生えそうな何かの感情のせいか。
思えば、リョーマが手塚のプレイを見るのは今日が初めてだった。
強いと思ったし、綺麗だとも思えた。鮮やかな試合運び。見事なテクニック。
手捌きに見惚れているうちに、また脇を抜かれた。
「…にゃろう」
キャップの鍔の陰から相手を一睨みして、渋々自分の後ろに転がっていったボールを追った。
対戦相手は、或る意味リョーマに敗戦を喫させるいつもの人物よりも手汚い。
無意識なのだかなんなんだか知らないが、故意にからかうよりもタチが悪い。
こちらだとて、真剣に試合に臨んでいるつもりだと言うのに、気がつけばボールの動きよりも色鮮やかな唇に視線が吸い寄せられる。
色香での誘惑もいいところだ。
反則じゃないかと思う。
フェンスの足元で能天気に転がっているボールをラケットで掬う様にして拾い上げ、コートへ振り返る。
決して顔色からは必死そうには見えないけれど、彼なりの本気を出しているだろうことは、流麗な輪郭を伝う汗の量からしても歴然だった。一見涼やかそうに見えるその顔に付いた花弁が、また開いて、吸気を摂り込んだ。
きっと、今あの唇は薄い塩の味でもするのだろう。
それが、
その2枚の花弁が、
胸を、頭を、ざらつかせるのだ。
「…むかつく」
独り言、としてぽつりと呟く。
腹が立つ。
腹が立つ。
無性に腹が立った。
今、敗色が濃いのは、きっとアレのせいなのだ。
ならば、
ならば、奪ってやればいい。そうしたら、きっとこの苛立ちも冴え冴えとするに違いない。
「ねえ、手塚部長」
憤りを含んだいつもよりも低い声に、手塚が汗を拭っていた手を止めて、リョーマを見る。
「オレが1ゲームでも取れたら、」
ガットの上に鎮座していたボールは手に持ち替えて、手塚にラケットのヘッドを突きつけた。
「その唇、頂くよ」
ふたりきり。
高架下のあの日。ホントは大石がいるから3人ですが、コート上は二人きりだたさ。
未だ付き合ってないという前提のお話ですよ。
手塚部長、って呼ぶ辺りでそれを演出(したつもり、なんです、ヨ?)
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