それは剰りに聞き慣れない単語で、当の本人よりもリョーマが先に振り返った。

「手塚君」

















T 定規の男
























聞いたことのない声が背後からやってきたのは晩春の暮れ行く岐路でのこと。
そしてその声の主と別れの挨拶を交わしたのはつい先刻のこと。

目許を険しくさせたリョーマとその隣を歩く手塚。



中等部と高等部はそう遠く無い距離に建っている。連繋という程ではないが、それに近い近距離だ。
だというのに、高等部へと進学した者と顔を合わせるというのは希有だった。偏に高校と中学では授業時間の違いだとかがあるというのも一因だろうが、手塚が今日の様にOBの大和裕大と帰り道でばったり顔を合わせるというのも大和が中等部を後にしてから初めてのことだった。

隣にリョーマを据え置いたまま、珍しく柔和な顔をさせて路傍で手塚は大和と会話をしていた。
柱がどうとか、次世代がどうとか、リョーマには真意の未だ判らない単語を絡めて。
こちらに話題は振られず、丁度放っておかれる形で数十分話し込まれた。痺れを切らして、声をかけても、ちょっと待ってろとけんもほろろに返されて結局リョーマは手塚と素性も知らない男の雑談が終わるまで沈黙を保たざるをえなかった。

それじゃ、と相手の男が手を振って立ち去った頃には、幼い少年の顔は不快に歪んでいた。
それを見つけた手塚が不思議そうに小首を傾げつつ声をかければ、ぷいとそっぽを向いた。

「…何を怒っているんだ?」

確かに少し退屈をさせたかもしれないが、そんなに怒ることはないだろう、と、手塚は不思議だった。
自分の恩師にも値する人と喋り込むのは仕方がないだろう、と。

この時、手塚はリョーマと大和が面識がないことを失念していたのだろう。勝手にリョーマも知っているものと思って、話の最中に紹介もしなかった。
大和だってリョーマの顔は知らなかったけれど、制服を着てテニスバッグを担いでいればテニス部員、つまりは手塚の後輩、引いては自分の後輩ということも想像に容易かったからだろうか、越前の紹介を手塚に頼みはしなかった。

恩師との再会と謂えど、リョーマからすれば顔も名前も全く知らない男が突然現れた以外に受け止めようがない。
大和が目の前に居た時、話が見えていなかったのはリョーマだけだったのだ。

「あれ誰」

ぶすりとしたまま、手塚の方も見ずに短くリョーマが問う。
そこで、漸く手塚は思い至った。

「ああ、そうか…お前は知らないんだったな」
「知らないよ。知らないから怒ってんじゃん」

リョーマからすれば、目の前で堂々と浮気されている様なものだ。
見知らぬ男と仲良さ気にリョーマには判らぬ話で歓談されているのを目の当たりにしたことに意見を持たぬなら相思の間柄である『恋人』の肩書きの意味は無い。

「あの人はうちのOBだ。大和さんという」
「ふーん。ヤマトサン、ねえ…ただの先輩後輩には見えなかったけどー?」

仲睦まじい、というよりは手塚側から随分と思い入れがあるようにリョーマには見えていた。

拗ねた口調。

「まあ、ただの先輩以上ではあるな…」
「なっ!!?」

『恩師』という意味合いで感慨深気に手塚が発した言葉を受け止めて、酷く焦った様子でリョーマは手塚の顔を見上げた。
やはり自分の想像は当たっていたのだろうかと焦る。浮気相手なのだろうか、という真実からは的外れな勘違いは。

けれど、リョーマの思案に手塚は気付きようも無い。
とても世話になったのだ。今の自分が居るのは、ほぼあの人のおかげなのだと云う点は大きい。そういう意味での『先輩以上』がよもや『浮気相手』と恋人が咀嚼していることなど想像の範疇の遥か外域だ。
だから、驚嘆の声をあげたリョーマの意図を手塚は汲みようが無かったのだ。

「…だよね、誰かの手垢が付いてない方がおかしいとは思ってたけどさ…」
「は?」

頓狂な声をあげるのは次は手塚の番。
繰り返すが、手塚はリョーマの考えには1ミリとも想像は追い付いていない。

言葉全て、単語全ての意味が不理解。

その手塚の態度を、リョーマは何と取ったかと云えば、

「やっぱり、気付くの今更だったよね…受け止めたくなかったっていうかさ…いや、まあ、オレにも過去の相手ぐらいはいるから、部長にも居るだろうな、っていうのはちょっとは想像してたけど、現実をくらうとなるとやっぱ…ね」

過去の相手。
それを、手塚は『世話になった人』という意味合いで受け止めて、急激に理解した。

つまり、
大和は手塚にとっては恩師に当たり、それをリョーマは知らないでいた。
手塚にだって、世話になった人やテニスを習った人ぐらいは居ただろうが、それを想像したくなかった。今の手塚の強さは手塚一人で獲得したものだと思っていたかった。
リョーマにもテニスに関して教えを授けてくれる人がいた。
と、手塚はリョーマの発言を受け止めた。

真実からは勘違えているのだけれど。

それでも妙にすっきりした顔で、そして至って真面目な顔で、手塚は口を開いた。

「何も知らずに今の俺がいる訳はないだろう。当然、俺にだってそういう人ぐらいはいる」
「…うん、だよねえ……わかってはいたんだけどさ、」

わかってはいたんだけど、とリョーマは繰り返す。言葉尻にいつもの明解さも傲岸さも無い。

「本当に、どうしたんだ?」

意気消沈したリョーマというものは初めてみるかもしれない。
その原因が自分にあるなどとは思いも寄らないから、心配そうな顔付きもリョーマには、「お前、今更そんなことで拗ねるなんてどうかしてるんじゃないか」ぐらいに受け止められた。

泣きそうな顔になりながら、また明日ね、とリョーマはバス停から踵を返した。
後に残されたのは、解せない表情のままの手塚と夕暮れに染まるバスストップ。



間違いは平行線のまま、その日は終わった。
どちらも、もっと判然としやすい言葉を用いれば話の道筋は端的であるというのに、お互いの勘違いにも気付けていない。

好きな人の心も読めないなんて人間は何と不器用なのだろうかと、風が嘲る様にその場を一陣過ぎた。
この誤解は、翌日、事の次第を菊丸に相談したリョーマが先ずは解く事になる。























T 定規の男。
T定規とは、製図で平行線を引くのに用いるものだそうです。ここでは大和裕大氏を指します。リョ塚に平行線を齎した男。
26662ゲッタのはるみさんよりリクを頂戴しました。ありがとうございましたーv
大和部長登場、というのをリク内容に頂いてたんですが、大和部長を出すとどうにもこうにも筆が進まなかった、です…苦手なのかなあ…
なので、敢えて、あーえーてっ(ごり押し)、大和部長と手塚の語り合い部分はカットさせていただいて、ジェラシー越前から始めさせて頂きました。すいませ…っ
わたしが青学の柱についてもよく掌握できてない、というのも語り合いを省かせて頂いた理由なのですが。この辺は話させて頂くと長くなりそうなので割愛。また機会があれば。
中等部と高等部の距離云々は完全に捏造ですので、信じないで下さいねー
26662hitありがとうございました!
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