召しませ召しませ
















いつもの様に、衝撃にギシリとなってくれない背中に些かの苦痛を覚えつつも手塚は息を吐き出した。今にも蕩けて蜂蜜へと姿を変えそうな程に甘い吐息。

「…っん、や…ぁ」

ギシリ、と鳴らないということは手塚の身にかかる煽動の衝撃を和らげてくれることがなくて、酷く押しつけられた背が痛い。
せめてもの緩衝剤として、自分とリョーマの白いシャツが敷かれてはいるものの、いつもなら背にある筈のスプリングの代わりにはどうしてもなり得ない。

「えちぜ……、も…、もぅ、イヤ…だ」
「早く出して、って?」

意地の悪い笑みをしつつ、リョーマは汗で額に貼付いた前髪をかきあげた。

固い木製の机上で大きく脚を開かされるという痴態をさせられつつも、懇願する様に手塚はこくこくと何度も首を小さく縦に振った。
自分の裡が既に侵入を許しているリョーマ自身を催促するように絡み付いていくのが解る。それを羞恥と思うよりも手塚の脳は目の前にちらつく快感を求めるのに必死で。
はやくはやく、と、それこそ体中でリョーマを急かした。

そんな手塚へ、満足そうに剥き出しの雄の顔で笑顔を作ってリョーマはひとつ口吻けた。
奥へと求めていけば熱烈な程に迎え入れられて、壁に染みのある二人以外は無人の生徒会室に嫌になるくらいキスを交わす音が響いた。

その音の影に隠れて、カシャリ、と小さく何かが割れる音がしたことは秘密の情事に没頭していた少年達は気付けないでいた。















「…越前、俺の眼鏡を知らないか?」

行為が終わった後、暫間として力尽きた様に机の上に大の字になっていた手塚が辺りを見回してリョーマにそう尋ねた。
大の字、と言っても長身の彼では長さの不足する机から脚が大いにはみだしていていたけれど。

問われて、汗だなんだと汚れてしまった体を拭きつつ、リョーマもそういえば、と机上を見渡す。
確か、行為の前に自分が取り払った筈の手塚の眼鏡は頭のすぐ傍に置いておいた筈なのだが――。

「あれ?無い?」
「見当たらないぞ?」

漸く手塚も気怠い身体をゆっくりと起こして辺りを窺う。
いつもならクリアな視界でしか見ない生徒会室が、その輪郭が辛うじて解る程度に歪みを起こし多重にブレていて、どうにも手塚には探しようが無かった。
それでも、あれが無いとこれから始まる部活動に支障が来される。手塚はまるで焦点の覚束無い世界で再び探し始めた。

ひょっとして、机から転がり落ちたのだろうか。
そう思って下に敷かれていたシャツを羽織ってひんやりと冷たい床に脚を下ろす。
どこだろうか、ときょろきょろと辺りを見回していると、まだ机の上に乗っていたリョーマが手塚の少し先を指差した。

「部長、あそこに転がってる」
「どこ、だ…?」

ぐ、と目に力を凝らして示された辺りを見てはみるものの。どうにもわからない。
視界が悪い上に、カーテンが引かれた夕方前の薄暗い室内ではすっかり似た色をしている壁と床の境がぎりぎりのところで解るくらいだ。

「ほら、あそこ」

けれど、眼鏡なんていうツールが無くても世界が明瞭に見えるリョーマからすれば目の前に目的のものがあるのに真っ直ぐに向かっていかない手塚が不思議で。遂には机から下りてぺたぺたと床を進むと墜落地点まで辿り着いた。
大いに霞んだ視界の中でも、人間大のものとなれば判別はつく。手塚もリョーマのすぐ傍まで歩み寄った。

「……部長」
「なんだ?どうした?」

多分、落ちていた眼鏡を拾い上げてくれているのだろう。何かを持った手をこちらへと差し出された。
差し出すリョーマの顔が少しばかり青褪めていたことなど、視力が一桁もない今の手塚では気が付きようが無い。

「…眼鏡」
「ああ」
「割れてるんだけど……」
「はあ!?」

少しばかり掠れた声音で、素っ頓狂な声が上がった。






「…この後、まだ部活あるよね…?」
「ああ…」

二つあるうちのレンズのひとつが転げ落ち、罅が無数と端片が少し欠けた眼鏡を前にリョーマと手塚は生徒会室の床の上で膝を突き合わせていた。
どちらともすっかりと学生服を着込んで。まさかお互い裸のままで生徒会室でぼんやりしている訳にはいかない。
手元がさっぱり見えなくて釦の穴を掛け間違えてばかりいた手塚にリョーマはきちんと着せてやった。

「まさかレンズ片いっぽのまま出るワケにはいかないしね…」
「姿が間抜けな上に、片目だけでも見えないとほとんど世界がぼやけているしな…」
「アンタってそんなに目悪かったんだ…?」
「ああ。不摂生極まりないと思うが、かなり悪い」

凝ぃっと無惨な姿に成り果てた、生活を助けてくれていた物を見詰めつつ手塚はやけにきっぱりとした口調で言う。
それでも、そんな事をしている間にも刻々と時間は過ぎていって部活動開始の時間は近付いてくる。

「…取り敢えず、今日は眼鏡なしで行く?」

リョーマの提案に、少しばかり考える様に間を取って、手塚はゆっくりと首を横に振った。

「いや、修理か、新しいものを買わないと明日以降に支障が出るからな…」
「ああ、そっか。そうだよね。じゃあ、今日は部活は欠席?」
「そうなるな…。皆には悪いが」
「偶にはいいんじゃない?」

彼の生真面目な性分が可笑しくてくすりと小さく笑いつつ、リョーマはその場から腰を上げた。同様に目の前の手塚も立ち上がる。

「眼鏡屋って普通何時までやってんの?」
「今から家に一度帰ってもまだ間に合うだろう」
「そっか。じゃ、バス停まで送ってってあげる」

そのまま扉へと向かうリョーマの後を追いながら、手塚は何度も目を細めたり開いたりしていた。しっかりと前を向いているつもりなのだけれど、どうしても頼りない視界では足下に不安が募る。
すたすたと向かっていくリョーマの手を思わず取った。

急に手を握られて、リョーマが驚いた様に振り返る。

「部長?」
「手を…」

貸してくれないか、と怖ず怖ずと告げた手塚に愈々リョーマは目を丸くする。
いつもならば手を握るのはこちらからで、しかもまだ僅かとは云え人が残っているであろう学校内で、とくれば今まで繋げた試しがない。

早鐘を打ち始めた心臓を何とか押さえつつ、精一杯の余裕ぶった顔をして、手塚に笑いかけてみせる。

「いいよ。転ぶといけないしね」
「すまないな」
「ううん。全然。お安い御用だよ」

いつでも言って、と続けつつ、リョーマも手塚の手を握り返す。
子供特有の温かい掌で包まれて、なんだか手塚は可笑しくなった。ついつい、小さく吹き出してしまった。
それを不思議そうに見上げるリョーマの目。

「なに?急に笑って」
「いや、体温が高いなと思ってな」
「そう?部長の手の方こそひんやりし過ぎ」

体温が高いのはきっとリョーマが幼いからというだけではなかったのだろう。
何でも無いような顔をしてそう返してみても、頬が少しだけ熱を持っていることをリョーマは情けなくも自覚していた。
見上げた先の手塚の目がガラスの障害物も無く、すっきりと見えていたのが綺麗過ぎたなんて口にはできない。いつもなら軽口の様に難なく言ってのけられるセリフも、いつもより一層涼やかで凛とした瞳の前ではどうしてもナリを潜めざるを得なかった。
レインドロップよりも透き通った明度の高いふたつの目。

らしくない、と内心思いつつも、扉を開けて昇降口までの廊下を辿る。
やはり、視界が悪い中を歩くのは不安が募るのか、足を進める度に、握られた手の力が増した。
校内を裸眼で歩いたことなどないのだろうし、たとえかれこれ3年間 滲み霞んでいるであろうリョーマからすれば未知の世界に居る手塚からすれば、握った先のリョーマの体温だけが唯一無二の支えであって。加えられた握る手の力の強さからリョーマも自然とそれを受け止めて。

いつもの強さと毅然さとを持った彼もいいけれど、偶にはこんな弱い部分を見られるのもいいかもしれない、と手塚からすれば窮地のこの事態にそんなことを思った。
しかも、これが自分の前でだけ繰り広げられているのだから、たまらない。



「次、階段下りるからね。足下気をつけて」
「あ、ああ…」

手を握りつつ、先に一段下りれば、そろりそろりと慎重な足取りで手塚が下りて来る。

「大丈夫?ゆっくりでいいからね」
「ああ」

そのままゆっくりと、一段一段確かめる様にして階段を下りる。
緩慢なその動作に焦れることもなく、リョーマは甲斐甲斐しい程に手塚に付き添って一番下まで下りきった。

ふう、と思わず手塚は溜息。
長身であるが故に、足下は周囲よりも一層見え難くて、一仕事終えた様な心持ちについなってしまう。
見えない、ということが慣れている場所でもこんなに大変だとは思ってもみなかった。今後、少しは視力回復でも目指してみようか。

「こんなままで果たして店まで行けるんだろうかな、俺は」

下りきった階段から昇降口へ。
尚もリョーマに手を引いてもらいつつ、そんな彼らしくもない弱気な言葉が口を突く。
廊下を歩むゆったりとしたペースはそのままに、リョーマは少しだけ振り返った。

「じゃあ、目的地までオレがナビしてあげよっか?」

半分は本気。半分は冗談。
手塚と違って部活を休む謂れの無いリョーマを、本来の手塚ならばきっと抑止しただろう。きちんと部活に出ろ、と。
それは部長職に在る人間としては至極尤もな言動。

けれど、繋いだ手だけで支えられていた手塚国光の口からは、

「そうだな。できれば付いてきてもらってもいいか?」

そんな言葉が飛び出した。
思わずリョーマは足を止めそうになった。その反動か少しリョーマだけ前につんのめった。

「い、いいの?」
「俺がそうしてもらいたいんだ。嫌ならいい」
「嫌なんて…――」

どうして今の自分が思えるだろうか。
足下も覚束無い不安定な恋人を放っておける奴がいたら顔が見たい。
しかも、いつもはリョーマだけが独占している素顔を晒した手塚だなんて。

結局、リョーマに選択肢はひとつしか無く、どこか諦めにも似た顔でくしゃりと笑った。

「付いてく。ちょっとここで待ってて。大石先輩に今日休むってことと、桃先輩あたりに自転車借りてくるから」
「バスがあるだろう?」
「階段、あんなに大変そうなんだから、バスのステップとかも大変でしょ?道案内さえしてくれれば頑張って漕ぐよ」

ツイ、と思わず手塚の目許まで視線を上げてしまって、思わずどきりとしてしまう。
透度のきついガーネットにも似た双眸が笑む様にふわりと緩められていて、

「やさしいんだな」

そう告げた淡い色を乗せる口が御褒美とばかりに髪へとキスをくれる。

そんな些細な事ですら脈の早まるリョーマにとっては一大事で。わあ、とかぎゃあとか、叫べそうだった。

「ア、アンタにだけだよ!」

隠し通そうと思った動揺はくっきりと言葉と顔とに出た。この赤くなった顔が手塚の視界ではぼやけていて良かったと初めて現況を幸いと思った。




















召しませ召しませ
29992hitありがとうございました!お元気になられてなにより!草薙まことさんへ!!
校内で手塚の眼鏡が割れてー、のシチュエーションで冒頭のが真っ先に出て来た辺り、わたしも…ねえ?(何
激しすぎてぶっとんじゃった方向で。かなり遠くまで飛びました。日本新!?
手塚のリョマさんへの信頼と甘えはご要望により3割増しです(笑)

29992hitありがとうございましたーっv
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