予知夢
















だぁ、や、ばぁ、しかまだ言う事のできない赤子を腕に抱きつつ、あやす様に南次郎は左右にその腕を揺らした。
そこで普通の赤ん坊ならば、きゃっきゃと甲高い声で笑ったりするのだろうけれど、南次郎の腕の中の小さな乳児は愛想笑いの様な妥協した様な顔で笑みを作るだけだった。

「南次郎、貴方、ひょっとしてリョーマに気に入られていないんじゃない?」

実の父親なのに、と、その様をすぐ傍で見守っていた倫子は溜息混じりに漏らす。

「こいつがただ愛想悪ぃだけだろ?」
「愛想が悪い赤ちゃんなんて聞いたことないわ」

やっぱり、嫌われてるんだわ、と倫子は南次郎を揶揄すれば、子供の様に口を尖らせて、ぶんぶんと荒々しい程にわが子をあやし始める。
それでも、赤子の愛想笑い染みた顔は変わらない。
大業にあやす手はそのままに、リョーマのその笑い方から南次郎はある考えに行き着いた。

「こいつの普通の笑い方がこういうもんなのかもしんねえな…」
「あら、そんなことないわ。ちゃんとわたしがあやす時は楽しそうに笑うもの」

やっぱり、嫌われてるのよ、と妻は先程の発言を反復する。いやにしみじみと。

「チッ…なんだよ…。かわいくねえなあ、嫁も子供も」
「何か、言った?」

思わず呟いた南次郎の独り言に、にっこりと微笑む倫子の眼は笑ってはいなくて。
空々しさを振りまき乍らも、南次郎は我が子の機嫌を何とか取ってみようと腕と身体を左右に揺さぶった。

「お前もそろそろパパとかお父様とか言ったらどうだ、リョーマ」
「まだ、喋れないわよ」

父親の遊びに付き合ってやったせいで疲れた、とばかりに両親の声を聞きつつ、リョーマは徐々に瞼を下ろしていった。









そんな幼子の夢の中。

ガタン、とリョーマはまだ聞いたことのない矢鱈に五月蝿い音が聞こえて、急に視界が広がる。
電信柱と高架と、それから無数に聳えるコンクリートジャングルの間のテニスコート。

風を凪ぐ音が不意に迫って、リョーマは身構える。
身体が、何かの本能通りに動きだし、ネットの際へと墜落するライムイエローの球へと駆け寄るが、その手が届く前に後ろへと下がった。

その鮮やかさに、思わずリョーマは息をのんだ。

「    」

精神は赤子のリョーマに、言葉を判別できる力はまだ備わっていない。けれど、何か言っていることはわかる。
その声が告げたのは恐らく自分の名前だということも。

名とおぼしきものを呼ばれ、ネット際に転がるボールへと集中させていた視線を上げる。


見知らぬ、背の高い痩躯の男が一人立っていた。


その男の背に広がる都会の狭い空と、駆け抜けて行く列車、そしてそれの轟音。
その全てが男の存在に掻き消され、ぽっかりと彼だけが目立って見えた。
否、確かにその時、リョーマは彼以外の全てを見ていなかった。

強烈な興味と僅かな悔しさ。それまで、この男とここで何をしていたのか、突然にこの世界に召喚されたリョーマは知らないけれど、確実にそれらがあった。
それらと、壮大な胸のざわめきとが。

ざわざわ、と風が凪ぐ。高鳴る心臓の音とそれは同調して、次第に強くなっていく。


そう遠くはない未来。
そこに、この男が立っている。

そんな予感が自分の裡から迫り上がり、そして風が強くなっていく中、自分の眼の前で彼が何かをまた告げようと唇を開かせる気配がしていた。

けれど、彼の言葉が聞こえだすよりも早く、リョーマの意識は眠りの深淵へと落ち、不意に夢は掻き消えた。







「て……」

苺の様な小振りの赤い唇が震える様に動き、生を受けて始めての言葉を発した。


「…づか………」


















予知夢。
捏造にも程があるよ…わたし。

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