あなたの体温
















寿司を握るのは男でなくてはならない、とリョーマが雑学を得たのは河村からだった。
確か、どこかのチェーン店の回転寿司屋へ家族で食べに行って、いつかの打ち上げの時に食べた河村の家の寿司の方が美味いと思った、とリョーマが河村にふと話しかけたことが事の発端だったと思う。

「親父が色々こだわってるからね」

家の味を褒められて、照れた様に苦笑する。腰かけたベンチにラケットを置いているおかげで、今、リョーマの雑談に付き合ってくれている河村は平素の穏やかな一面の方。

「また食べに行きたいッス」
「うん、また来てやって。美味い分ちょっと値は張るけどね」

冗談めかして、ふわりと笑う河村につられる様にリョーマも小さく笑い顔になる。

「そういえば、さっきの」
「ん?」
「寿司職人は男でないとダメって、なんでなんスか?」

コツがいるとは言え、米粒を握って、切り身を乗せるというだけの、調理手順としては実に簡素な食事なのだから、それを作る事に関して性別など関係ないようにリョーマは思う。
寧ろ、巷の一般家庭では母親たる女性が台所を預かる事の方が多いわけで、女性の方が小器用に作ってしまうのではないかとすら思う。

そんなリョーマの小さな疑問に、また苦笑した様に河村は笑う。
きっと、眉が下がり気味で人好きのする顔をしているせいで、普通に微笑んだだけで苦笑した様に見える造作なのだろう。それが得なのか損なのかは判ぜられないけれど、温純な河村の性格には良く似合う顔だとは思う。

「それはね、女の人の手はあったかいからなんだって」
「手があったかいとダメなんスか?」

思ってもみなかった回答に、ぱちぱち、と驚いた様にリョーマは目を何度か屡叩かせた。
今度は、リョーマにその解説を河村は言ってやる。

「穴子だとか鰻は蒸したり焼いたりするけど、基本的に寿司ネタって加熱してないだろう?それが温められて腐るといけないからだって言われてるんだ」
「でも、人の体温じゃさすがに腐んないでしょ?」
「確かに、そうなんだけどね」

実は、詳しい事は俺も知らないんだ、と河村は後頭を掻き、垂れている下がり眉を一層下げてまた苦笑した。

「男の人でも手のあったかい人もいるしね。多分、本当はもっと合理的な理由があるのかもしれないね」
「それか、ただの男のコケンの問題かもしれないッスよね」

昔の人はそういうとこ、変にこだわるから。
そう続けたリョーマに、そうだなあ、そうかもしれないなあ、なんて河村は至極真面目な顔で相槌を打った。

「じゃあ、手が冷たい人の方が寿司握るには向いてるってコトなんスかね?」
「うーん。そうなるよねえ」
「それじゃ、河村先輩は向いてるッスね。しかもむちゃくちゃ向いてる」
「え?」

どういうこと?とリョーマの言に不思議そうに河村が首を傾げてみせれば、

「ほら、よく言うでしょ?心のあったかい人は手が冷たい、って」

と、茶化す様な笑みでリョーマは嘯くものだから、取れない苦笑の顔のままで河村は肩を竦めてみせる。
おみそれしました、とばかりに。

「まったく、越前は口が上手いなあ…」
「そうでもないッスよ?」
「今度うちに来た時はちょっとおまけしておくよ」
「やだなあ、オレ、そういうつもりで言ったんじゃないデスヨ?」

にやりと唇の片端を上げるリョーマを見れば、そういう下心も無きにしも非ず、だったらしい。
歳の割に、随分と強かなものだと、河村は内心、尊敬にも近い念を抱いた。
そんな河村の胸の内を知ってか知らずか、背をベンチに預けてリョーマは空を見上げて楽しそうな顔。

今年は空梅雨のせいで、本来ならば雨期真っ直中の今日も空は綺麗に晴れ上がっている。
白い雲がすいすいと空の青の中を泳ぎ抜いていく様は見目にも心躍る何かがあった。

そんな青空の下、リョーマが何かに気付いた様に「あ」と漏らした。

青空から戻って来た顔はどこか思案顔だ。
顎に手を当てて、なにか小難しいことでも考えているような。

「手が冷たいってだけで言えば部長も向いてるかも」
「人をおだてた次は恋人の自慢かい?」
「そうじゃなくて」

どうやら、普段から自分は『そういう』目で見られているらしい、ということを河村の発言から感じ取って、困り笑いの顔で今度はリョーマが肩を竦めてみせる。

「そういうんじゃなくて、ホントにあの人の手って冷たいんですよ、いつも。ひょっとして血通ってないんじゃないかなあって思うくらい」

ひょっとして冷え性?と続けた言葉は流石に冗談混じりに。

手塚の手など、リョーマの様にそう頻繁に握ったことはないけれど、部内でのゲーム後に握手を交わしたことが河村にはある。
その時は、激しい運動の後、ということもあったのかもしれないが、リョーマの言う様に冷たい、などとは別段思わなかった。

勿論、爪は見ている限りはちゃんとピンク色をしているし、顔色が常に悪い、などということもない。
リョーマが懸念する様な事項は無い気がして、河村はリョーマが何故手塚の手は冷たいのだろうと考えるのと逆の発想で思考を巡らせてみた。

河村が考える態度を取ったせいか、隣に腰掛けるリョーマも自分の中での謎が解ける時が来たのかと、心持ち目を輝かせている。
音にすれば、きらり、と鳴りそうな、幼子の物欲しそうな目そのもの。

その目線で、不意に河村の中で琴線にかかるものがあった。
ああ、そうだったのか、と訳知り顔で小さく頷けば、隣のリョーマが双眸を更に期待の色で満ちさせる。

そう、この少年はまだまだ子供だったのだ。

くすりと、小さく笑ってから、河村はリョーマに向き直った。

「手塚の手が冷たいと思うのはね、」

言葉を一度そこで止めて、リョーマの手を指差す。河村を見ていた視線も、それにつられて己の手の甲へと落ちた。

「越前の手があったかいからだよ」

目の前の12歳の子供は、目をぱちくりと屡叩かせた。
きっと、こんな子供の体温の高い手では女性以上に寿司職人には向かない。
まあ、彼はきっと別の大きな夢をその手の内に握り込もうとしているのだろうけれど。


















あなたの体温。
子供の手はぬくとい。
それでも冬には越前さんは手袋をしていたら可愛い…。で、できればミトン型とかでどうですか…!(同意を求めない
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