永遠という名のとびら
「……ッ!?」
手塚が身を勢い良く引いたせいで、ガタリと教室の簡素な椅子が大袈裟に音を立てる。
口元を押さえ、その手の内側で必死に口内を探って、中に何も入っていないことを確かめた。
口腔粘膜を舌でもぞもぞと弄るそんな手塚を、机を挟んだ向こう側でリョーマは不貞腐れた様な顔で眺めた。
つい、先刻、唐突にキスを中断されたからだった。
放課後の教室。世界は夕暮れ。そして二人きり、という何とも都合のいいシチュエーションの中で、折角、自分の気分も高揚してきたところだったというのに。
キスの中断の原因は相手の手塚国光その人だった。
「…ねえ、なんで途中でやめんの?」
一息に下降した機嫌は、目蓋が半分程下がったことで表面化していた。
責める、というより、その視線は酷く恨みがしそうに手塚を捉えるが、視線を向けられた手塚は逆にリョーマを睨み返した。
もぞもぞと、赤い色をしたその顔の唇が動く。
「お前…、今さっき、俺の口の中に何か入れただろう……」
「へ?」
「何か…、入ってきた………」
手塚の口は酷く緩慢に動き続ける。
それは偏に先刻の行為に起因していた。
手塚側からすれば、突如として仕掛けられたキス。
因みにリョーマ側からすれば、隠淪していく西陽の橙で手塚の鼻梁や口許が艶かしい程に妖しく見えて、堪らなくなって仕掛けた、謂わば、已むを得ないキス。
それに触れられて、多少の驚きを感じつつも、まあいつものじゃれてくるだけのキスだと思って、手塚も目蓋を下ろしてやった。
教室の窓も扉も閉められていたし、放課後で人の少ない校舎内を誰かが歩いてくる足音もしない。仮に、誰か来たとしても足音で気付ける。ドアを開けられる瞬間にでも身を離せば何も問題は無かった。
そう、外界には何も問題は無かったのだ。
問題は―――、
手塚はもう一度リョーマを鋭く見据えた。
睨まれた側のリョーマはと言えば、手塚の発言に何の事かと僅かばかり目を点にしていた。それこそ、鳩が豆鉄砲を食った時の顔の様な。
「口の中に何か…って…」
「確かに、何か入ってきたぞ」
眉を盛大に顰めてみせる手塚に、リョーマは一応、思考を巡らせてみせるけれど、手塚の口内に差し入れたものなんて、ひとつしか思い当たらない。
ぺろり、とリョーマは自分の舌先を覗かせ、遠慮がちに告げる。
「舌は、入れたけど…」
リョーマがそう言った刹那、手塚がどこか引き攣った顔で息を飲むのが解って、ああひょっとして、とリョーマはある答えに行き着いた。
「部長…、まさか、フレンチキスは初めて?」
「…フレンチキスは軽いやつだろう?」
「違うよ」
至って真面目な顔で、リョーマはふるりと冠りを振る。
「フレンチキスってつまりはディープキスのこと。熱烈に愛し合うフランス人がそんな軽いやつするわけないじゃない」
「…だ、だからと言って、し、舌など…」
手塚の語尾が震える。奥ゆかしい人間だとは予想していたけれど、真逆ここまでの人だとは思ってはみなかった。
リョーマは困り笑いの顔をして、小さく嘆息を吐く。
行為の情景を思い描いているのだろうけれど、その手順を言葉で出しているだけで言葉を失して赤面するだなんて。奥ゆかしいどころか、初心にも程がある。
裏を返せば、誰の手垢も付いていないという確固たる証拠になるわけで、それはそれで何だか嬉しいけれど。
「フレンチキス、っていうのは、ね、部長」
身を逃げた手塚へ寄せ、その腕を引けば安易に手塚は前へと傾く。その後頭を確りと掌で捕えて、素早い動作でリョーマは手塚の唇を塞ぐ。
手の中で、手塚は藻掻いて抵抗の色を見せるけれど、リョーマは意には介さず後頭を押さえた掌と指で髪を弄り、腕を掴んだもう一方の手で手塚の手の甲から肩までの線を鄙俗らしく撫でる。
こうした膚のなぞり方に手塚が弱いことは知っている。剰りある程に恋人に触れられる事に対しては過敏な人らしい、ということは。
触れた肩がカタカタと音をさせそうな程に細かく揺れ出したのを薄目を開けて見留め、リョーマはひっそりと一人薄笑いを浮かべると、唇を押し当てていただけのキスから強引に舌で手塚の唇を割り、歯列に割り込んで、その奥で小さく身悶えている舌の待つ室へと侵入り込んだ。
「…ん……っぅっ」
息が上手く吸えないでいるらしい手塚が短く喘ぐ間に、リョーマは手塚の舌先を己のそれで絡め取り、甘く吸い上げた。
ぴくり、と手塚の肩と云わず全身が跳ねた。
「ふ……ッ、んん…ん…っ」
次に唇の挟間から抜け出てくるのは蕩かされた蜂蜜色の吐息。
相手の口内でくちりと粘質染みた音が鄙俗らしく鳴る。
それを聞き取って、満足そうにリョーマはそれまで絡めていた部分を解いてやる。唇も離した途端に、手塚が大きく酸素を吸い込んでいた。
ニッ、とリョーマは口角を吊り上げる。
「舌と舌、絡めて吸うんだよ」
後はアンタがオレのを吸ってくれたらパーフェクト、とそのまま楽しそうに頬を緩めたリョーマを先程の様には鋭くなりきれない少しばかり涙で濡れそぼり始めた目で手塚は見遣った。
「生涯、コレに付いてきてもらわないと、ね」
睨みと呆けと綯い交ぜになったままの手塚の額に、小さく音を立ててリョーマが口吻ける。
お互いのクチビルが、永遠という名のトビラ。
永遠という名のとびら。
6題目にして、ロマンティストになりきれないちっぽけなわたしがおります…。
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