花の記憶
















彼女はまだ、約束を守っていてくれるだろうか。
日陰に揺れていた、あのダンデライオンは。










ここにもそこにもあそこにもいない。
昼休みの学校中を、手塚を探して駆け巡り、最終的にリョーマは部室へと行き着いた。
ここが一番可能性が高いだろうか。
否、そう思って向かった生徒会室も職員室も彼は居なかった。
しかし、彼の本拠地とも言えるここならば……。半ば祈る様な想いでドアノブに手をかけるも、それはくるりと気軽に回ってくれることはなく、ガツンと妙な手応えがあって、ぴったりと施錠されていると解った。

ここもダメか、とリョーマは小さく舌打つ。


別に急な用事がある訳ではない。急な用事どころか、何一つとして用事は無い。
ただ、同じ空間に居るのならば、顔を見ておかない手は無いと思っただけだ。

自分の中の片恋に気付いてから、多分、五日目。
気付けば目が手塚を追い、そして足も手塚を追っていた。今の事にしてもそう。
別に彼を見つけても、特段に話す様な話題も無い。午前の最後の授業の鐘の音と同時に教室を後にしたせいで、ここで会っても時間帯としては適当な、一緒にお昼どうですかなどという誘いもできない。
リョーマの昼食は教室に置いてきたままのテニスバッグの中だ。



「…一体、どこに消えたんだか」

ほとほとに疲れた調子でリョーマは一人、漏らす。
もう、リョーマが知る限りの手塚のテリトリーは見て回った。そのどこにも彼の姿は無く。
気付けば、昼休みもおよそ半分が潰れていた。

ドアノブから手を離し、ここは一旦帰ろうかと思考が巡るが、

「…。まさか、部室の中で鍵掛けてるんじゃ…」

ドア近くにある小窓の存在にふと気付いて、我ながら諦めが悪いと嘆息しつつもリョーマはドアの前から窓へと移動した。
背伸びをして覗いては見るものの、窓はサイズが小さい上に、外界との間に金属製の柵があって、どうも中の様子は窺えない。

ここじゃダメだ、とリョーマは窓から身を離す。確か、部室の裏手側にはもう少しだけ大きい窓があったように記憶していたからだ。
ぽつぽつと春先の黄色いたんぽぽが咲く部室の側面部を通り、リョーマは裏手へと足を進める。裏手に近付いていけばいくほど、草の丈も長くなっていて、どうもこちら側はあまり手入れはされていないらしいと気付く。
その新緑の中、リョーマを誘導する様に黄色いたんぽぽは風に揺れて、次第に数を増して行っていた。

部室の角を壁伝いに曲がれば、一息に緑の影が濃くなる。
前面に木立がずらりと居並んでいるせいで、春日があまり侵入してこないからだろうか。けれど、その割に鬱蒼としている雰囲気は無い。
木の若芽達の間から差す木漏れ日と、あたりにぽつぽつと咲くたんぽぽの柔らかい山吹色のお陰かもしれない。どこか、落ち着く景色。

その、光景の中に、

「………――あ」

すう、と小さく寝息を立てて眠る探し人の姿を見つけて、リョーマは思わず小さく声を上げた。
どこかの一つ上の先輩では無いが、諦めずに粘ることも時には良いらしい。


手塚は足下に数本の山吹色を侍らせて、部室の壁に背を預けて眠りに落ちていた。その胸の上にはページの途中で開かれたままの一冊の本と組まれた腕。
時折、通り抜けて行く風がさらりと俯いて顔にかかる手塚の髪を揺らしていった。その度に足もとの花達もゆらゆらと身を揺する。

サクリと小さく音を立てて、踝まで掛かる草の間を分け入ってリョーマはそちらへと足を進ませた。

寝顔という、初めて見る手塚の隙だらけの顔に、どうしても興味をそそられてしまう。
手塚へと近付いて、蹲って、その寝顔を同じ目線の高さで見詰めた。
どうやら、足音程度では目は覚まさなかったらしいことに安堵を覚える。閉じられた目蓋はぴくりと動くこともせず、ただ胸が呼吸と共に上下するだけ。

手塚の髪を揺らす微風の真似をするように、リョーマはその髪に触れて毛先を指で梳いた。
想像していたよりは柔らかいが、ぺたりと寝てしまう自分の猫毛よりは幾らかコシがある。その感触に、へえ、とリョーマは内心だけで感嘆の声を上げる。
そんなリョーマの髪とシャツの裾を、また通り抜ける風が揺らす。どうも風の通りが良い場所らしい。

風が通る度に、背後の木立は小雨が降るような音で鳴り、足下のたんぽぽは瞬く様に揺れる。
木陰ということもあって、涼しくて、居心地が良かった。

「ここ、部長のお気に入りの場所?」

手塚の毛先を指で玩びつつ、小声でリョーマは問う。夢の中の手塚からそれに対して返事は勿論無いけれど、リョーマはそれで構わなかった。
ただ、顔が見たいと思っただけだったのだし、手塚の姿を見つけられただけでもう満足していた。しかも、普段では絶対に拝めない寝姿とくれば、寧ろお釣りがくるぐらい。

くるくる、と何度か手塚の髪を指に巻き付けたり梳いたりして堪能し、それからじいっと目蓋に生え揃った睫を少しだけ眺めて、リョーマは曲げていた足を伸ばして腰を上げた。
手塚の髪から指を離した途端に、滑るようにそれらはさらさらと流れて僅かな陰影を持つ顔に戻って行った。

「じゃあ、ね。部長」

眠ったままの手塚に微笑み、腰を折ってその頬に唇を寄せる。少し名残惜しかったのかもしれない。
それなのに、触れることを躊躇う様に触れるか触れないか、ぎりぎりのライン。
しかし、やっぱりこんな絶好の機会なのだからと思い直して、結局リョーマは手塚の頬に唇を押し当てた。

触れた肌の滑らかさに、つい、どきりと胸が鳴ってしまう。

触覚が直ぐ下にある皮膚へと触れられたせいか、小さく手塚が身動ぐものだからそれ以上は触れず、唇を離して、リョーマはやっと踵を返した。

「…あ……、っと」

けれど、その足はすぐに前進を止め、そしてその身がくるりと手塚を、否、『手塚達』を振り返る。
それから、そっと左手の人差し指を立てて己の口許に寄せ、軽く片目を瞑ってみせた。

「さっきのは、ナイショ、ね?」

一部始終を盗み見ていた、山吹色の目撃者達へ。
今はまだ一方通行のこの想いを打ち明けるまでは、自分と彼女達だけの秘密。


















花の記憶。
たんぽぽ。
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