退屈な楽園
















「ずっと、何か物足りない気がしてた」

突然にリョーマはそう切り出した。
事後の閨の中、とろとろと落ちそうな目蓋を時折思い出した様に持ち上げる顔を間近に見つつ、手塚は黙してリョーマの話の先を待つ。

体力消耗は受け止める側のこちらの方が多い筈なのに、リョーマの方が決まって行為の後は先に眠りに就く。
本人曰くは、決して自分の体力の底が知れているのではなく、手塚相手だとどうにも歯止めが利かないらしい。あれだけ忙しなく動き大粒の汗を決まって毎回かいているのだから、手塚もそれとなく頷けはした。
自分相手だと歯止めが利かない、という部分には頬が熱をつい持ってしまったけれど。彼の特等席に腰を落ち着けているという優越感に似た想いよりもどこか擽ったい気がした。

「アンタと出会うまで、さ」

暗い室内で訥々とリョーマは言葉を紡ぎ出していく。

「テニスは思う存分できる家だったし、手強い相手も身近にいたし、試合にも幾らでも勝てた。我ながらいい環境だったと思うよ。だけど、全部が上手くいきすぎて逆に退屈してた。まだ10年ちょっとしか生きてないのに、全部わかったような顔して毎日過ごしてた。もう、その道しかないんだろうな、って思ってたんだと思う」

どうあがいたってダメなんだろうって、とリョーマは続ける。

「また、お前らしくないことも思っていたんだな」
「そう?オレだってそういうこと思ってた時もあったんだよ」
「宿命だとか運命だとかのレールは自分から脱線していく奴だとばかり」

くつくつと喉で手塚が笑ってみせれば、拗ねるようにリョーマは上目遣いで睨み上げた。
そんな表情が一番、リョーマの年齢に相応な気はしている。こういう顔のリョーマは『ちゃんと』12歳の一介の少年だ。

「産まれてすぐの時から親父にレール敷かれてるようなもんだったしね。気が付いたらいつもラケットかボール持ってるような子供だったし」
「確かに、テニスをやる分には恵まれてはいるな」

テニスに限ったことではないが、何かと経験値というものは物を言う。勿論、生まれついてもった才覚なども必要だろうけれど。

でも、とリョーマは落ちる目蓋をもう止めずに言い募る。

「それでも、退屈してた」
「夢中にはなりきれていなかった、ということか。随分と贅沢だな」

今のリョーマの家にも個人所有のコートが一面ある。きっと、以前の家にもコートはあったのだろう。そして、身近な強い相手。これはきっと実の父親のこと。父親以外にもその友人達だとか選りすぐりの猛者達を小さい時から相手にしていたのではないかと思う。
彼の父が、今も伝説に近い風情で謳われている元プロだという事は以前に聞き及んでいた。そんな人物から指導をずっと与えられていれば、周りに敵が居なくなることも必然だろう。
それがリョーマと同世代の子供達ともなれば猶の事。

手塚の少しばかり棘のある言様にリョーマは苦笑して、手塚に寄せていた身を更に寄せてその胸元に額を埋めた。

「周りから見ればそうだったんだよ。オレにとっちゃ、ハングリー精神を不足させるものでしかなかったけどね。楽しいことは楽しかったけど、何か物足りてなかった」

リョーマが喋る度にその息が膚を滑っていくのが擽ったい。
一人、眠れなくさせる気ででもいるのだろうか。この腕の中の子供は。

「それが、アンタに会って、負けて、胸が騒いだ」
「今まで、親父さんにも負けてたんだろう?」
「負けてたけど、何か、違ったの。親父とは。アンタが本気でぶつかってきてくれてたから、かな?」

そこのところは自分でもよくわかんない。リョーマは眼を伏せたままそう告げる。

「はっきりしないのか」

いよいよリョーマらしくない。と手塚は思う。
竹を割った様な、きっぱりさっぱりとした性分なのに。

そんな手塚に、少し考えるようにリョーマは小さく唸った。

「はっきりしないんだよ。とりあえず、インパクトだけはあって。あの時はただ親父同様にいつか倒してやる、ぐらいしか思ってなかったかも」
「そうなのか」

あれだけ、リョーマを覆っていた壁を打ち壊してやろうと思って挑んだというのに。
手塚が思っていた程、相手には伝わっていなかったらしいという真実に少しばかり悄気る想いを抱かずにはいられない。

「あの時…、アンタが負けた時」

段々とリョーマの声が聞き取り辛くなってきていた。恐らく、閉ざされた目蓋が眠気に拍車をかけたのだろう。

手塚が負けたのをリョーマが目撃した時。きっと、氷帝学園の跡部景吾との一戦のこと。
手塚が全てを賭けて挑んだあの一戦。

「肩まで壊して、この人なんてばかなんだろうって思ったけど、それよりも何もかもをかなぐり捨てて試合にのぞんでるアンタを見て、高架下でアンタが言ってたことが痛いくらい、すごくよく解った。応えなくちゃ、って焦るぐらいに思った」

そして、「あれからだよ」とリョーマは尚も続ける。
眠りの淵でふらふらしてるくせに、随分と今日はしぶとい。

「思う存分テニスできる環境を楽しいって思えたのは」
「そうか」
「あの時から、アンタの全部と、生きてるこの世界が、大好き」

言葉の途中から寝息が混じり、そして言葉の最後には寝息をすう、とリョーマは立てた。どうやら完全に意識はあちらへと飛んだらしい。
手塚の身に巻き付けれらた細い幼い腕も言葉終わりと同時に弛緩した。

「…まったく」

先に夢の世界へと旅立っていってしまった2つ下の恋人の髪へと愛おし気に唇を寄せ、手塚は愚痴にも近い語調で言葉を小さく漏らした。

退屈な楽園を脱したのは、何もリョーマだけではない。
リョーマの存在を見留めて、楽園からの逃亡の機会に眼を光らせたのは手塚の方だ。
日本の同世代達の中では群を抜いた強さ、それに見合った名声と地位。そして周囲からの色目。それに優越を感じて満喫したことはなかった。

退屈を感じていたのは、手塚も同じだった。

お互いの存在がお互いを囲いの外へと誘い出した。
手塚を退屈の楽園から抜け出させる手助けをしたのは他ならぬリョーマだということにリョーマは気付かぬまま、今日もこうしてリョーマは眠りに耽っている。

おやすみ、と既に聴覚を閉ざしているその耳に零して、手塚も静かに眼を伏せた。
本当の楽園が、今、此処にあった。


















退屈な楽園。
高架下直後って、強い奴だ強い奴だ!とリョマさんは眼を輝かせていただけじゃないかと思って、ま、す…。もごもご。
あの時はまだ南次郎パパのが強い奴ランキングでは上だったんじゃないかと。それが逆転したのは跡部戦かなあ、と。
こいつこそオレの倒すべき相手!みたいな。
強い相手に目を輝かせるリョマさんはすこぶる男前でありつつも可愛らしい…。ああ、生で越前の戦いを見たい…(帰ってきて!!
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