誰かが呼んでいる
















立ち止まれば誰かが呼びかける。
ただ歩んでいれば、誰かが声をかける。どんなに跫を静めていたとしても。
それは、走っていても休んでいても、座り込んでいても同じ事。

誰かがただの友情だけではない親好さを持って名を呼ぶ。
手塚さん、手塚くん、手塚。時には馴れ馴れしく国光、と。
手を取り、頬を寄せ、愛おし気に耳元へと甘美な旋律を持って呼ばれる。触れられる体温と言葉とに迂闊に背を何かが走っていく時もある。
ただの掌や指、そして幼い頃から家人や友人知人に容易く呼ばれていた名前でしかないのに。


自分の容姿、そして性分とが、周囲を引き付けてしまうのだと、随分と育ってから手塚自身は気付いた。
自惚れるつもりはない。それが単なる事の実態だっただけだ。
人を惹くことに、何か努力をした覚えはない。それでも、周囲は手塚を放ってはおかなかった。
気付けば誰かが情愛を込めて手塚の名を呼ぶ。
そしてそれについ振り返って名を呼んだ相手を振り返ってしまうのがいけない。決して、気持ちに応えてやるつもりなどないのに。

それでも、振り向いた手塚に相手はよもや、とある種の予感を抱いてしまう。
当の手塚はと言えば、呼ばれたから反射的に振り返ってしまうだけに過ぎないというのに。
そこには何の感情も想念も無く、無条件反射という長年の間に培われてしまった一介の反応があるばかり。
それなのに、相手の手は決まって手塚を捉え、熱っぽく目を見詰めてくる。手塚はただ辟易としたり、困惑したり、稀に頬に熱を持たせてしまったりする。手塚を照れさせる相手というのは、往々にして口が人並を遥かに越えた口達者な者。直ぐに手塚も冷静さを取り戻すけれど。
よくもそんな台詞を真顔で言えるな、と手塚が感心を小さく覚える程、どこかの脚本の様な胸焼けのする程のくどい口説き文句を垂れる人間が稀にいる。
言われて照れる、というよりも、その発言の字面に照れる、という方が適確だ。

口が達者だろうと、言葉足らずであろうと、最後に行き着くところは手塚のことを好きでいるのだ、という結論。

そこまで辿り着かせてから、漸く手塚は握られていた手を解くなり、摺り寄せられていた身を押しやったりする。
回顧すれば、想いを募らせるだけ募らさせるなど、なんとまあ酷い奴だろうかとも自身で思ったりもするけれど、そこまで行き着かない限り、明確に手塚には伝わらないのだから仕方が無い。
振られた途端の相手の様相は様々だ。己に確固たる自信を持っていた反動のせいで狐に摘まれたような顔になる者、手塚からの返答に項垂れ、肩を落とす者。
そんな人間達に笑みのひとつもくれてやらず、颯爽と手塚は踵を返す。それ以降は振り返ることもせず。

後はただ、

「部長」

今となっては懐かしいその名で呼んでくれる人物の声を待ち望むだけ。
まだ手塚より背の低い、すっかり幾多もの月日を連れ添ってしまった2つ下の恋人。

いつもどこか斜に構え、顔には不敵な笑みを飾って。こちらを、確りと見据えてくる。
恋人に向けるような顔ではない。けれど、強気な彼のそんな表情が好きだった。

ふわり、とつい顔を綻ばせて、

「越前」

機嫌が良い時は語尾上がりに彼の名を呼ぶ。
他の誰でもない、彼に呼ばれることが何よりも心地が良かった。


















誰かが呼んでいる。
それでも振り返らない越前に盲目な手塚。
散文ちっくで短文で申し訳…。もっと、行間に詰めたいですねーえ
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