優しい闇
















「部長、ここここ」

無邪気な顔をしてリョーマに袖を引かれて手塚が連れて来られた場所は音楽室。
時刻は完全下校の時刻をとうに過ぎ、教職員達も帰り始める逸脱しすぎた放課後。夜の帳は足下からじわじわと迫ってきていた。

防音の必要がある音楽室は扉を一枚潜っても、また扉があり、それを抜ければグランドピアノがひとつ置かれた薄暗い室内が露になる。
室内へとリョーマは足を踏み入れ、それに続いて手塚も足を進めた。

音楽室に限らないが、無人で且つ薄暗く、その上で学校という閉鎖的な空間の一室というのは酷く気味が悪い。
整然と並ぶ生徒用の椅子や机も、動いたりはしないのにそこに在るというだけで室内の気味悪さを掻立てていた。

薄い染みがぽつりぽつりと疎らに浮かぶ天井をゆっくりと見上げる手塚をリョーマは不意に振り返る。

「この部屋だけ鍵壊れてるの知ってた?」

そう問う顔は清々しい程に破顔していた。
リョーマから知らされた事実に手塚は首を横に振る。学校中の教室の扉という扉が施錠されているこの時刻に、易々と侵入が成功したのもなるほど道理だ。

「それで…どうするつもりだ?」

こんな時間にこんなところへ自分を連れてくるだなんて。
に、とリョーマは口角を吊上げる。

無人の教室、必要に迫られて設けられている防音設備、遅い時間。目の前の幾つものヒントに手塚も勘付いていないわけではないけれど。

「先週の土日、シなかったでしょ?それの、埋、め、合、わ、せ」

スタッカートを利かせて、リョーマは悪戯っぽく片目を瞑ってみせる。その様に呆れた溜息を漏らそうとした手塚の唇を溜息や後に続くだろう言葉諸共にきつく塞ぐ。
唇同士が音を立てる程に吸われて、手塚は呆れる気持ちを抱きつつも、リョーマに身を委ねた。
















カツン、と聞き逃しそうな小さい音が聞こえて、手塚の秘所を解すべく白濁の液を絡めたままの指を手塚の裡の入り口で蠢かせていたリョーマは徐ろに顔を擡げて後ろを振り返った。
すぐ真下には熟れ始めた恋人がいるというのに、どうも水を差された。
慎重に指を穿孔から引き抜けば、手塚の躯が跳ねて口許から柔らに高い嬌声があがった。

「えち、ぜん…?」

その躯の全てをリョーマの前に晒け出した手塚が愛撫の手の急停止を受けて、訝し気にリョーマの名を呼べば、あちらを向いていたリョーマの顔がゆっくりと戻ってくる。

「最後の見回り、来たみたい」
「……っ!?」

熱に浮かされた頭だと謂えども、ここが何処だか時刻がどのくらいだとかは辛うじて覚えている。当番の教師が帰宅直前に校内の施錠を確認しに来ることも。

自分達がこの室内へと安易に入れた様に、きっと見回りの教師も容易に扉を潜って来る。淫行に耽る自分達の姿をきっと見つけてしまう。
間近に迫った事の次第に、思わず身を起こそうと手塚は腹筋に力をいれるが、その肩をリョーマは上から押しやった。そして、己の口許に立てた人差し指を宛てがう。

「大丈夫だよ」
「だ、大丈夫、って、お前…!」

事が露見すれば、騒動が起こるのは火を見るよりも明らか。きっと、自分達と学校側だけの話の域は越えて、家人にも知られることになるだろう。
完全下校の時刻は随分と前に放送で流れたこんな時刻、しかもただ居残っているのとは訳が違う。男同士で、躯を繋げ合って。しかもそれは現在進行形の事態で、今この状況を目撃されれば言い逃れのしようがない。
犯されている自らの姿を発見されるだろうことも、手塚を焦らせる一因となっていた。生憎と下履きは愚か、正に一糸も纏わぬ姿で床に転がっているのだから。
身を横たえる場所が扉からはそれなりの距離はあるが、発見が少し遅い程度しか力を貸してくれないに違いない。

焦燥ばかりが増える手塚に対し、リョーマは何とも飄々とした顔で「大丈夫だから」と繰り返した。

「闇はオレ達の味方だよ?」
「え?」

手塚が疑問符を浮かべたその瞬間に、一枚目のドアが開く蝶番の軋む音が小さく聞こえて、手塚は身を硬くした。

「越前………」
「大丈夫。静かに、ね?」

そう言って、先程立てていた人差し指を今度は手塚の唇に押し当てた。

間を然程置かず、2枚目の扉、二人がいる部屋の直の出入り口である扉が微かな音を立てて開いた。
カツン、と見回りの教師だろう人間の靴音が扉向こうから響いて、手塚は思わず目蓋をきつく伏せた。
無意識に、呼吸も止まった。
見つかってしまいませんように、見つかってしまいませんように。どこかそう祈る気持ちで手塚は必死に目を瞑る。
壁にかけられた秒針はなかなか動く気配を感じさせない。それ程に、手塚には教師が扉を閉めるまでの数秒がこの世のものとは思えない程に長く感じられた。

パタン

と、扉が閉められる音がして、漸く手塚は伏せさせていた目蓋を持ち上げた。疲弊したかの様に大きく吐き出した呼気の向こうに、変わらず飄々としたままのリョーマの顔があった。

「ね、大丈夫だったでしょ?」

一枚目の扉も閉まる音をさせた途端に、リョーマはそう口を開いた。
どこか微笑んでいる様に見えるその面が少しばかり憎い。こちらは心臓が止まるかと思っていたのに、一人余裕綽々でやり過ごしたその様が。

「危ない橋を渡るのは金輪際、御免だな…」

スリリングなのは緊迫したテニスの試合だけで充分だ。こんな事態はいくつ体があっても足りそうにない。しかも、自分はリョーマが近付いてきた気配に気付くまで、見回りの教師の慣例を半ば失念していたのだ。
始めから念頭に置いていれば、流石にここまで動揺はしなかっただろうとは思う。

「そう?どうせ相手もこんな時間に人がいるだろうとは思ってないよ」

再度、重い溜息を漏らす手塚へリョーマはけろりと言ってのけ、それに、と言葉を続けた。

「ちゃんと、この部屋の中で一番影が濃いとこでやってるし?」

アンタとの事に関してはオレってかしこいんだよ?
自分達の姿を晒そうとする窓の外の月光や人工灯から守ってくれた闇を纏ったまま、リョーマは冗談めかして小さく笑った。


















優しい闇
でした。手塚さんがTPOを持ち出して事前抗議しなかったのは多分、彼もしたかったからなんだと思います。…多分。
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