時軸の香り
















時間に軸などありはしない。飽く迄それは『時間』と名付けられただけの概念でしかなく、形も音も何も存在しない。
一秒、一分、一時間。全ては地球の支配者気取りの人間が定めたもの。
重さも匂いも何もない。


だというのに。

甘い時間、とこういう時の事を表現するのは何故なのだろうか、とリョーマはぼんやりと天井を眺めた。
只今、昼休みの生徒会室。据えられた革のソファの上。読書に没頭する恋人の膝枕のオプション付きの麗らかな午後の始まり。
部活だけでなく、生徒会でもトップに立つ恋人を持つというのは中々に利点が多い。生徒会長という肩書きを持つ恋人のお陰で数有る教室の中でも上等の設えが揃えられている上に、不意に誰かの邪魔が入ることもないこの空間は昼休みの様な時間は使いたい放題だ。

足の裏が向こうの縁に届くには後1年もあれば充分だろう。けれど、今はリョーマが足を伸ばして臥しても向こう側には足は付かない。
そんなリョーマの頭を太腿に乗せ、背凭れにたっぷりと身を沈めて手塚は活字をつらつらと追う。
窓から入ってくる南中した陽に玩ばれて透ける髪の先がどこかの宝石の用に綺麗だった。

匂いなどはしない時間の軸はそれでも、やはり甘く香る。
一人で過ごしては嗅ぎ取れない独特の香り。

寝返りをうって、体を丸め、くすくすと笑い出したリョーマを一瞥し、また手元の本に視線を移すとその左手はリョーマの髪を梳きだす。
そうやって読書に集中したいから黙っていてくれ、と言いた気な顔を振仰ぐと、リョーマの小さな笑い声はピッチが上がる。
そんなに読書がしたいのなら、手塚の教室まで出向いた自分の誘いを断れば良かったのに。

「アンタもさ、好きだよね」

滲み出てしまう嬉笑を何とか咽喉の奥に追いやって、リョーマは目を細めた。
すいすいと髪の中を泳ぐ細い指の感触が何とも言えずに心地がいい。幸いに睡眠を摂るには丁度良い室温。そして昼寝には適した枕。自分の体より大きいソファのお陰で足ものびのびと伸ばせる。

何よりも、今のこの時間が噎せ返りそうなくらいに甘くて腹が膨れる。

ページを手塚が繰る。
授業から一時解放された生徒達の昼休みの喧噪はここまで届いては来ない。

「本は暇潰しには持ってこいなんでな」
「そっちじゃなくて」

手塚が先ず先ずの本の虫だということはリョーマ以外にも周知の事実だ。雨で部活が中止の時の放課後には下校を促す放送が入るまで図書室に入り浸っている姿は、ある種、この学校の名物だ。
それ故に、普段、コートの外から手塚に黄色い声援を送る女生徒達で雨天時の図書室の席は埋まっている。

リョーマが差したのは、その暇つぶしの肴の方ではなくて。


お互いの顔の間にある本を広げる手塚の腕を横に押しやって、リョーマは両腕を擡げた。そしてそのまま手塚の項で交差させ、手塚の後頭に宛てがった両の掌をこちらに手繰り寄せる。
自らも腹筋に力をいれて上半身を起こし、小言を垂れようとする唇を塞いだ。

「オレのこと」

リョーマが差したのは嫌がりもせずに甘い時間を過ごしてくれる自分のこと。

に、と口角を吊上げて悪戯めいて笑ってみせれば、朱が差したレンズ向こうの目がどこか口惜しそうにこちらを睨んで来る。
その顔が、勝利を何よりも好物とする負けず嫌いのリョーマには楽しくて、つい、してやったり、と咽喉からまた小さい笑いがくつくつと出て来る。

しかし、負けず嫌いなのは手塚とて同じ。
普段はひた隠しにして、冷静沈着、平静ぶった皮を被っているだけで。
相手が自分を負かして悦に入っているこの事態は正直なところ面白くない。

読みかけの本のページを静かに閉じて、隣に置く。
足の上のリョーマはまだ身を屈ませたまま笑っていた。

目には目を。

「……わっ!」

唐突に上から額と首筋を押さえこまれ、短くリョーマの声があがる。
次の瞬間には手塚の顔が勢い良く降ってきた。

歯には歯を。
リョーマの唇は手塚からのキスで塞がれた。

「好きで、何か悪いか」

ゆっくりと顔を離して行く手塚の顔を呆気に取られ乍ら見上げるリョーマに憮然とした顔と口調で手塚はそう告げたのだった。


















時間軸の香り。
あまあまいちゃいちゃ。…書いた側的には、砂糖をもう一匙入れたいくらいですが。
どうも、手塚に主権を奪われる越前さんが近頃大好きみたいで。つか、あれですな、強い塚さんが好きなんですね、多分ね。

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