旅人たち
















あれ程、来るようにと言っていたのに。
答辞の任を委ねられ、全校生徒が見渡させる壇上へと上って眺めた光景の中に強さで満ち満ちたいつもの双眸が無くて、手塚は内心、溜息を吐いた。

在校生、共に巣立ちの日を迎えた生徒達から注視されているこの身では、颯々と割り振られた役割を全うせねばならない。
背筋を凛と正して、手塚は多数の来賓に恩師、そして送る言葉をくれた後輩達への答礼の文句をするべくゆっくりと口を開いた。

「答辞」

切り出した張りのある声は、キン、と人口密度の高い講堂に響く。
















何人もの後輩達、名前も知らない女生徒達、そして教師陣から、抱えきれない程の花束を受け取り、テニス部室でのささやかな送別会の後、手塚は帰路に着いた。
結局その日、校内でリョーマの姿を見ることはなかった。

学校の一大行事を無断欠席。
話題を掻っ攫い続けてきたルーキーの勝手気侭さは一年が経とうとするこの初春でも変化はなかった。


湯浴みも終え、ベッドに腰を下ろした頃に、手塚の携帯がメールの着信を教える機会音を鳴らした。
折り畳み式のそれを開いて、画面に目を落とせば、




たった一言だけが、よく見知ったアドレスから送信されていた。

「外…」

携帯電話の小さな画面を見たまま、ぽつりと手塚は漏らしてからゆっくりと部屋の扉から廊下へ出て、階段を下り、玄関から突っ掛けを引っ掛けて扉の把っ手を握った。
冬から春の季節の変わり目のせいか、日差しが暖かい昼間とは違って段々と開く扉の向こう側から侵入してくる夜気がじわじわと肌を差す。
なにか羽織ってくれば良かっただろうか、と身を縮めつつも扉を開ききれば、学生服に身を包んだままのリョーマがいつもの彼らしい強気な笑みを浮かべてそこに立っていた。

何故、今日登校もしていないリョーマがその格好なのか、不思議に感じるが、それ以上に手塚に疑問を抱かせるものをリョーマは手にしていて、結局、先の質問は手塚の口からは出てはこなかった。

「それは…?」

リョーマの手にあるもの。
背後にある闇夜からそれは一際ぽっかりと浮いていた。コントラストが強いせいだ。

濃紺の闇に、それは際立って白く、光でも放っているかのよう。

「ああ、これ?見た事無い?」

手塚に指摘を受け、リョーマは手塚の目の高さまで腕を掲げた。
上への動きの慣性で、ほわりとそれは揺れる。

勿論、手塚だとて目の前まで掲げられたそれを見た事はある。それは酷く普遍的なもの。
河原や道の端、学校の校庭に群れを成している姿は毎年目にする。

白い、蒲公英の綿毛。

ふわりと、まあるく形を執る綿毛はまたふわりと揺れた。

「今日、卒業式だったでしょ」

物体の名前や存在はわかるが、結局のところ、それがリョーマの手にある真意は解らなくて、ついいつもの癖で首を捻る手塚に、リョーマは小さく苦笑してからそう告げた。
こくり、と手塚はひとつ頷く。
「アンタとわざわざさよならする為の式になんて出たくない」とリョーマはそれを持ち出してごねていた。それは昨日のことだ。
不貞腐れた顔でむすりとそう言うものだから、そう言わずにちゃんと来い、と手塚が窘めたのも昨日のこと。
一緒にこの1年を過ごした手塚の同級、つまりはリョーマの先輩達ともさよならの日なのだから。
このままエレベーター式に高等部に進む者もいるが、中には外部の高校に進学する者もいる。そういった者達と、きちんと別れを分け合った方が良いと思ったのだ。
それはリョーマの為でもあるが、卒業して外に出て行く者達の為でもあった。手塚の様に恋情こそリョーマには抱かずとも、とてもリョーマのことを好いてくれている同級生達だったから。

そして、手塚も後者のうちの一人だった。
外へと旅立つ者。
深くなってきているこの春が盛りを迎える頃には、手塚は海を越える。

「お前は、来なかったな」

卒業式。
壇上から見たリョーマのクラスの座席の列に、彼の姿は無かった。

手塚が寂し気にぽつりと漏らした言葉に、ごめん、とリョーマも申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「ほんとはちゃんと行くつもりしてたんだけど、これ、探してて」

ふわふわと揺れ続けるダンデライオンの子供達。

「黄色い方は見かけたんだけど、こっちじゃないと意味なかったから探してたらお昼ぐらいになっちゃって。で、やっと河原で見つけて、なんか、達成感でつい、その場で…えーと、寝ちゃって…」

視線をリョーマはふらふらと泳がせる。きまりが悪かったのだろう。
眠りに落ちたのはどうも不可抗力らしい。

「それで、今日の式は欠席だったと?」
「うん…」

問い質す手塚に、リョーマを肩を窄めて上目がちに手塚の顔を見た。一拍置いてから、手塚はその顔の向こうに溜息を投げかければ、えへへ、と誤魔化す様にリョーマが笑い声を小さくあげた。
『らしい』といえば『らしい』欠席理由。今日、残念がっていた同輩達も理由を聞けば、苦笑しながら同じ想いを抱くだろう。

「他の奴らにはまた別の日に顔を見せにいってやれ。最後の日にお前に会えず仕舞いで残念がっていた」
「うん。そうする」
「…で?」
「うん?」
「わざわざ、式を休んでまでこれを探していた理由は?」

見下ろす視線で、手塚はまだリョーマの掌中にある綿毛を見遣った。
ああ、とさもその存在を思い出したかのようにリョーマも声をあげ、

「おまじない」

と、一言、続けた。

「綿毛みたいに風に乗って旅立って、大地に辿り着いたらちゃんと根を張れますように、っていう、おまじない」

目の前の綿毛が日本で一斉に大空に飛ぶ頃には手塚は海の向こう。リョーマの体温からは遠く離れた異国の地。
手塚はリョーマの目に焦点を合わせる。向こう側からもこちらを真摯に見詰めてくる双眸があった。
いつも通りに傲岸なくらいに強気で、何者をも恐れぬ、どこか不遜染みた、手塚が大好きだった、そしてこれからも愛し続けていくだろう眸。

「オレも、すぐ行くと思うから、あっちでちゃんと根付いて花咲かせて待ってて」

ずっと差し出されていた、リョーマの願いと想いとを込められたそれを手塚はやっと受け取った。

「ありがとう」
「どういたしまして」

受け取ってくれた手塚の手が完全に離れていく前に、リョーマはその手をとって、手の甲にそっとキスを落とした。








どうか、あの空へ。
旅立つ貴方の様にこの子達も鮮やかに旅立てます様に。




















旅人たち。
手塚と綿毛。
今の3年生達の卒業式の日。卒業式ネタはまたぽちぽち今後も書くかもしれないので、パターン1、という感じで。
綿毛は一息で全部吹き飛ばせたら願いが叶いますよ。

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