静かなたたかい
「ねー、不二ー」
すぐ傍で名前をのんびりと呼ばれ、不二は着替え終わった学生服の襟元のボタンを止め終わった手を下ろして気怠気に頭の後ろで腕を交差して立つ菊丸を振り返ると、菊丸は指で部室の一角を指し示した。
緩々と不二の目線もそちらへと動く。
「あいつらって、どーしてああも意味不明なことばっかするの?」
菊丸の指差す先には備え付けの簡易な机の上で手を組む手塚と、向い側に佇んで手塚の組まれたその手の更に上から両手で握り込む越前リョーマの姿。
確かに、菊丸が言う様に気が付けば周囲が首を傾げるような事ばかりを二人はしている。今も、握った手の上で顔を間近に迫り合わせながら、只々、見詰め合っている。
菊丸は不二が着替え終わるたった今、気付いた様だったけれど、不二はものの5分前程から気付いていた。つまりは、5分以上もあの二人は手を握り合って見詰め合っていた計算になる。
天才の考えは凡人には解らないというけれど、天才と謳われる不二にも正直なところ、あの才能に恵まれた二人組の考えは解らない。
人の心なんて、当人以外は確実には解らない領域なのだから詮方ない。
なんでだろうね、という本音のところは隠し、不二は怪訝な顔のまま、リョーマと手塚を見遣ったままの菊丸に、
「恋の病のせいだよ」
と、言ってやった。
途端に、「意味わかんねー」と菊丸から言葉が飛び出してくるけれど、そういう事にしておけば全て解決する気がするから、誤魔化す様に不二は、ははは、と曖昧に笑った。
「で、今日はあの二人は何してんの?」
「多分、睨めっこなんじゃないかな?」
「中学生にもなってにらめっこー?」
「偏見は良くないよ、英二。30になったってかくれんぼしたかったからするのも本人の自由でしょ?それと同じ事だよ」
本人間の自由なんだよ、と不二は笑顔のままで続けた。
机の上で見詰め合うだけのあの二人の今の行為は周囲にも迷惑はかかっていないのだし。これが入り口前でやられていたら蹴りのひとつでもくれてやるところだけれど。
「まあ、そうだけどさーあ……にらめっこするには手塚は敵無しじゃない?おちびももう少し相手を選べばいいのにねー」
「ああ…きっとね、笑ったら負けじゃないんだよ。あの二人」
「へ?」
素っ頓狂に声をあげる菊丸の横で不二は腹に一物を抱えた不敵な笑みで小さく笑った。
人の心の中は読めないけれど、現状で提示されている物的証拠から憶測はとばすことができる。第一、あんなに顔を近付けあった格好でする睨めっこという児戯など耳にした事等無い。
息がお互いの顔にかかる程のあの密接した距離でなんて。今から、キスでもしそうにどちらも顔を緩く傾げているし。
「見合って見合って、手を出した方が負け、というところかな?」
勝負がつくのは、きっとこの部室があの二人以外は空になった時だろう。
手塚は到底人前でのほほんとキスをする様な生き物では無いし、他に類を見ない負けず嫌いのリョーマは何が何でも先に手を出しはしないだろうけれど。
それでも、好物の手塚が手を好き放題に出せるあの状況で、今でもリョーマの理性は限界に近いようだけど。頬がひくひくと小さく痙攣に似た動きをさっきから続けていた。
これは、我慢と忍耐がお得意の手塚の勝ちかな、と不二は二人の光景を見乍ら思いを巡らせるけれど、手塚の喉が物欲しそうにひくついたのを見て、いや、勝負はわからないな、とすぐに考えを打ち消した。
正面を見据えたまま、いつもの様に真面目ぶった顔をしているのに、どうも頭の中はリョーマからのキスを考え巡らせて物欲の触手が動いているらしい。リョーマが入学してきてからの数カ月で見事な変貌ぶりである。
「この勝負、見物だね」
「えー?そう?じゃあ、勝負つくまで見とくー?」
菊丸としては勝負の行方にはあまり興味は無いらしい。楽しそうに頬を緩めた不二の隣で、胡乱気に目を細めた。
帰り道でスポーツショップを覗きたいと部活前に言っていたから、そちらの方に気がそぞろなのだろう。
不二としては、決着がどうつくか、非常に気にはなるところだったけれど、
「ううん。帰る」
さっぱりと首を横に振って、帰り支度の整ったテニスバッグを肩に担いで身を翻した。
観衆がいれば、決着はつけられないだろう。どれだけ期待を抱こうとも。
ならば、去った方が早い。そして、明日にでも手塚かリョーマのどちらかに聞けば良い。
ひょっとしたら、もう帰った筈の乾がどこからともなく勝負の決着のデータを仕入れているかもしれない。兎にも角にも、明日になれば自然と決着は判明するだろう。
ならば、友人の買い物に付き合った方がよっぽど時間の過ごし方としては有意義なもの。
そうして、不二がその場を辞し、他に残っていた者もリョーマと手塚の二人を残してぽつりぽつりと帰って行き、二人以外は無人の日の暮れた部室で、彼は相手の唇に噛み付いた。
静かなたたかい。
勝者はどっち。
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