音がしそうな程強く、小さな掌で手塚の服の裾を握り、薄い唇を震えながら小さく開くけれど、一度それをきゅ、と引き結んだ。
いつもは苛烈に相手を射抜く二つの眸も、どこか苦し気に揺らめいて地に落ち、たっぷりと間が置かれてから、こちらを見上げて来た。

一呼吸を更に置いて、振仰いでくるリョーマの口許が漸く言葉を発した。

















よみがえる言葉
















はあ、と手塚は深く息を吐き出した。
そんな手塚の懐にすっぽりと収まり乍ら、リョーマは読んでいた本から視線を上げて顎の下からのフレーミングで手塚を見上げた。勿論、今、リョーマが手にしている本は手塚がついさっきまで読んでいたもの。
ついさっき。それは手塚が過ごしていた一人での閑静な休日の時間のこと。
買ったまま、手を着けていなかった本に手を伸ばし黙々と読書を始めてから1時間か2時間か、僅かな時間が過ぎた頃、唐突の扉が開いた。ドアノブを握っていたのは勿論リョーマ。

オハヨウゴザイマス、とお座なりに挨拶の言葉を後ろ手にドアを閉め乍らリョーマは告げ、ベッドの縁に腰掛けて読書に勤しんでいた手塚の懐に潜り込み、手塚が手にしていた本をあっさりと奪った。
そして、手塚の代わりに黙々と読書を始めたのだった。

「なに?今のため息」

くるりと猫の眼は幼い顔の上で踊った。

「いや…」

どこか睨むようなその眼にもう一度吐息し、手塚は真下でふわふわと揺れる猫毛を撫でた。
子供を宥めるようなその仕草に、リョーマは苛立たし気に眼を細めた。険の色は多分だ。

「なに。なんなの?」

手にしていたベージュの上製本をぱたりと閉じて、愈々まじまじとリョーマは手塚を見上げる。
視線の先の2つ年上の恋人はどこか昔を懐かしむ顔をして遠い眼をしながらそれでもリョーマの頭をかいぐりかいぐりと撫でた。

はあ、と本日3度目の溜息。

「俺に好きだと言ってきた時の初々しさはどこに行ったんだろうな…」
「はあ?」

突然何言い出すの?とリョーマは怪訝に片眉を上げた。
顔の基本構造は変わっていないのに、あの時、胸の騒々しさをくれた男はどこへ消えたのか。遠い眼をしたままの手塚には、あの日のリョーマがぼんやりと映っていた。

緊張した二つの眼の中に、それでも色褪せない強い想いを抱いて、絞り出す様に小さな声でぽつりと漏らされた言葉。
胸を押し潰しながらも言ってくれた言葉だからこそ、あの時、手塚は首を縦に振ったというのに。

くるくると手塚の言動に不思議そうに、あの日の面影が無い双眸は回る。
それを抑揚の無い眼で見下ろし乍ら手塚はぽつりと零す。ふ、とリョーマの頭を撫でていた手を止めて。

「無遠慮」
「はい?」
「不躾」
「あの…?」
「我侭」
「それは知ってたことでしょ?」
「…ここまでとは思っていなかった」

一際、大きく長い嘆息が手塚の口から零れ落ち、がくりと手塚の首部は項垂れて、見上げてくるリョーマの肩に落ちた。
見上げていた視線を真横に移し、リョーマははてなと首を傾げる。

何が言いたいのか、リョーマにはさっぱり解らない。手塚国光という人間は、普段から言葉が少なく、しかもその言葉はリョーマには理解不能な小難しい日本語の羅列というパターンが多い。
今日はそうではないけれど、やっぱり意味は解らない。なんなんだろう、と疑問符ばかりが脳裏に飛び交うけれど、取り敢えず、相手から近付いてきたことだし、とリョーマは手塚の腹積りが解らぬままながらも髪の間から覗く顳かみへと唇を寄せる。

キスを落とした瞬間に、小さく音が鳴るのが楽しくてリョーマはそのまま耳朶の後ろに首筋、と鼻歌でも歌い出しそうに頬を緩めてキスを落とし続けて行く。
と、それを止める手塚の手。シャツの襟首を押し広げて顔を突っ込もうとしていたところで襟足を引っ張られた。
肩口から覗く少し赤い顔。

「お前、何してるんだ」
「何って…キス?」
「どうして尋ねてくるんだ」
「それ以外に何してるように見えるのかと思って」

けろり、と答えてくるリョーマに手塚は小さく眉間に皺を寄せた。

「ブサイクー」

そんな手塚の眉間をぐりぐりとリョーマは人差し指で押し潰してけらけらと笑い声を立てた。

「ま、冗談だけどさ」
「…お前、可愛くないぞ、その態度」
「そんなことないデショ?」
「可愛くない」
「かわいいって。それでもって男前。さあ、ご一緒に。ミスター?」
「可愛く、ない」

憮然とした顔で手塚は眉間に立てられていたリョーマの指を退けて、弾いた。
一人、ぷうぷうと頬を膨らませる手塚はどう見ても拗ねているようにしか見えなくて、そしてその原因があまりよく解らなくて、リョーマはまたかくりと首を傾げた。

「どうして欲しいの?」
「さあな…偶には自分で考えろ」

リョーマを未だ懐に抱えたまま、手塚はぷいと顔を背けた。
こんなに子供くさい顔ができる人だっただろうか。向こう側へと背けられたその手塚の横顔を繁々と眺め、そんな余計な考え事を間に挟みつつもリョーマは言われた通りに考えてみる。

まあ、兎に角、これまでの遣り取りから自分の外郭になっているこの人が懐古しているらしいことは解る。
今の自分がそんなに気に入らないのだろうか。然程、リョーマとしては手塚と付き合ってから変わったつもりはないけれど。寧ろ、変わったのは手塚の方だとすらリョーマは思うのだけれど。
ただ、リョーマが目の前の手塚の本質を知らなかっただけかもしれないけれど。てっきり、もっと取っ付き難い人なのだと初対面の時は思ったものだ。
勿論、それは本質を知った今では、ただの外面でしかない事を知ったのだけれど。

「今のオレがヤなの?」
「…………」

手塚は答えない。
そうではない、と取っていいのだと思う。今のリョーマが嫌ならばもう傍に置いてはいてくれないだろうし。

「んー……」

かくりかくりと傾げた頭を降下させて、下がった目線から手塚を見上げる。

「好きだって言ってほしいの?」

下げ続けていた頭をぴたりと止めて、ゆっくりとリョーマは手塚の首に腕を絡める。
手塚の顔はまだ向こうを向いたまま。

それでも、絡めた腕の先から生える掌で手塚の頭を動かぬ様に押さえつけて、リョーマは上背を伸ばして手塚の唇を翳め取った。

「大‥好き、だよ」

ぱっちりと開いたままの手塚の目と自分の目を見詰め合わせて、蕩けんばかりの柔らかい笑みで波々と想いを詰め込んで手塚に告げてみれば、不機嫌そうだった顔が俄に朱に染まり出す。

「…そうじゃないんだが………」
「えー?違うのー?」

真向かいで今度はリョーマが唇を尖らせた。
手塚としては、親しき仲にも礼儀有り、ということを説こうとしていたのだけれど、

「…まあ、いいか」
「なんなの?ホントに」

なんだか、もうどうでもいい気がしてきた。


















よみがえる言葉。
リョマさんからの一世一代の告白の言葉。
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