透明な祈り
















「せせせーーっっっ!!」

少し遅い帰り道の途中、隣で唐突に叫ばれて思わずびくりと手塚は肩を跳ねさせた。
その隣、つまりは大声の主であり手塚の帰路の供であるリョーマは夜空に向かって合掌した手を突き出していた。

「…驚くじゃないか」
「へ?何が」

掲げていた手を緩々と下ろし、リョーマはくるりと手塚を振り向く。

「意味のわからんことをいきなり叫ばれると驚く、と言っている」
「意味わかんない?なんで?すごいもっともな行為じゃない」

辺りに仄かに灯りを灯し出した民家ばかりが立ち並ぶこのアスファルトの何の変哲もない公道の上で、『せ』を三回唱えることのどこが『もっとも』な行為なのか。どう鑑みても奇天烈な行為にしか、大した変哲の無い生活を営んできた手塚の目には映りようがなかった。

「あっち」

リョーマの奇妙な行動の謂れを考え出した手塚の顔が奇妙に変形してきたのを見て、リョーマは真っ直ぐに続く道路の先、地平線を指し示した。
手塚もそこへと視線をやるが、そこには続いて行く舗装道路と夜空が一転透視で連なっているだけで、目新しいものは何も無い。

ますます、怪訝さを増す手塚の顔色。けれどリョーマはその一点を指し示したまま、ゆったりと口を開く。
「さっき、流れ星が落ちたじゃない、あそこに」
「…。………ああ、そうか、そういうことか」

それで、『せ』を3回か、と先程とは一変して納得した顔で手塚はひとつ頷く。そして、その隣でリョーマも、朗らかに笑んだ。

「流れ星にはオネガイゴト、が定番でしょ?」
「まあ、そうだが…。まさか、お前にもコンプレックスがあるとは思わなかったな」

いつでも、世界はみんな自分のもの、というような偉そうな顔をしているくせに。

手塚は眼下でひょこひょこと歩く度に上下するリョーマの頭を撫でた。
よりによって『背』だなんて。このサイズが中々に丁度良いと手塚としては思っているのだけれど。下から余裕綽々の色に満ちた目で見上げてくる様などは大層に快い。あの目で上から偉そうに見下ろされることは不快そう、という想いもあるけれど。
立ち向かってこられている立場としては、矢張り、リョーマの身長は低いに限る。

しかし、彼は彼なりに欲しがっているらしいけれど。身長、を。


まあ、いつかは伸びてしまうのだろうな、と妙に感慨深くリョーマの頭を撫でていれば、今度はリョーマが怪訝な顔で見上げてくる。

「コンプレックスじゃないよ。あればいいな、って思ってるだけ」
「別に無くとも構わんだろう」
「男の子としては健全なお願いじゃない。高身長、高学歴、高収入」

サンケー、って言うんでしょ?と幼い顔をしてリョーマは昔に滅びた単語を口にした。
いや、今でも充分、その3つが揃った男はもてはやされる傾向にあるから、死語とは言えないのだろうか。それでも、3Kなどという言葉は手塚は随分久しぶりに耳にしたものだけど。

『久しぶり』というところで手塚の年齢も今年15としては疑わしいところ。

「テニスするには小さくてもまだいいけどさ。リーチ分は足の早さで稼ぐし」
「もっと別の理由で身長が欲しいのか?」

てっきり、常日頃、乾が牛乳瓶片手に説教を垂れるように身長が適度に高い分にはテニスには有利に運ぶことから、その願い事はきているものだと思っていたけれど、「当たり前でしょ」とこちらを見上げてきたリョーマに一蹴された。
思えば、牛乳瓶片手に熱弁を奮う乾に向かってまともに取り合っているリョーマなど、一度も見たことがないのだから確かに『テニスの為に』背を伸ばしたいと彼が思っている筈などないのだ。
どうやら、誘い文句が悪かったらしいということを、明日にでもかの同輩に伝えておいてやる必要があるらしい。毎回毎回、最後には罵詈雑言(キモいだとかイモだとか)で叩かれている彼の姿は剰りにも不憫であったことだし。

部一高身長の先輩をいつも愉快そうに玩ぶ一年坊主は楽しそうに眼を細めた。

「じゃあ、ここでクイズ。オレってば何の為に生きてると思う?」

けろりとそんな人生の命題を、しかも自分のものではないものを尋ねられて、手塚は答えに窮する。
一般的に、この十代の始めから半ばは、それについて悶々と悩む時期なのではないだろうか。だから『春を思う』と書き表わす思春期、と言うのだと思っていたというのに、どうも目の前の今年13になる少年にはその人生の意義が見出せているらしい。
色々な意味を込めて、降参だな、と手塚が呆れ笑いに交えて答えれば、にっこりと笑ってからリョーマは手塚に指を突き付けた。

「アンタの為だよ」

突き付けられた指の腹を凝っと見詰め、それからゆっくりと笑顔のリョーマへと目線を移し、何やら興ざめた顔で手塚は溜息を零した。

「…お前、馬鹿だろう」
「バカじゃないよ。何いきなり失礼なこと言ってんの」
「いや、馬鹿だな…」
「バカじゃないったら。アンタの為に生きてあげてるのになんなの、それ」
「馬鹿だなあ…」

遠ーく、手塚は夜空を見上げた。その隣ではぎゃんぎゃんと吠えるリョーマ。
その二人の上を、また、流星がひとつ。

「背背背!!」
「…馬鹿がいる」


















透明な祈り。
純粋無垢な祈り、といいますかね。ほら。(何)無邪気な祈りーみたいな。
ぶちょぶちょぶちょ、は流れ星が消える間には言えんでしょう…?ね?
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