どこまでも歩いていく
















最寄りの図書館からの帰り道、ボトムスのポケットに突っ込んでいた携帯がぶるると震えた。
公共の施設に居たから、と着信音が鳴らないように設定していたことを思い出し、服伝いに揺れを寄越してくるその小さな端末を取り出し、電波の糸口になるボタンを押した。

全てが小さな部品の中ではまだ大きな部類に入る液晶には、恋人の名前。
苦笑を噛殺しつつ、受話口でゆっくりと口を開いた。

「はい、手塚です」
「もしもし、手塚君?うちのリョーマ知らないかしら」

てっきり、向こう側から聞こえてくるのは年端も行かぬ2つ年下の恋人だと思えば、予想は見事に裏切られ、高い女性の声が聞こえてきて、思わず手塚は電話を握り締めたまま呆けた。この声の主は当の恋人の次によく知っている。彼の、母親の声だ。

「もしもーし、手塚くーん?」

呆けたきり返事をしてこない手塚へ不思議そうな声。こちらの姿など見えないことは百も承知なのだけれど、鋪装された歩道の上で手塚は慌てて背筋を正した。
思えば、彼の自宅も携帯電話も『越前リョーマ』の名目で入れている。恐らく、自宅からの電話なのだろう。そのせいで、相手がリョーマ本人でもないのに越前リョーマ名義で電話が架かってくるのだ。
機会を見て、この点については修正しておこう。

「はい。すみません。越前が…いえ、リョーマ君がどうかされましたか」

下の名前は呼び慣れない。呼び慣れないけれど、電話の相手も『越前』である訳で、今はこう呼ぶしかない。
呼び慣れない名前に内心で失笑を禁じ得ているのは手塚本人だ。

「今朝から家を出てったきり、まだ帰ってこないのよ」
「はあ…」

帰って来ないと言われても、生憎、今日は二人別行動なのだけれど。

「リョーマから手塚君の携帯が緊急連絡先だって前に聞いてたから架けてみたんだけど、」

世間一般的に、緊急連絡先を恋人の携帯にはしないと思う。普遍的な連絡先としては実家か、若しくは親類一円ではないだろうか。
緊急の連絡先にされたことは初耳だ。しかもその母親までもがそれに対して剰り大きな違和感を感じてはいなさそうな気配が声を聞く限り窺える。

「リョーマ、どこに行ったか知らないかしら?」
「……。すみません、存じません」

あら、そうなの、と残念そうな声は電話の向こうから見えない波に乗って。

そのまま、通話は終わり、再びポケットに携帯電話を捩じ込みながら、手塚は小さく苦笑した。リョーマの緊急連絡先として、自分ほど適役な人間はいないだろうと思えたからだ。
それが証拠に、図書館から真っ直ぐ帰宅しようとしていた爪先は別の方向へと向いた。

リョーマを、探しに行かねばならなかった。
















アキニレ、シラカシ、少し過ぎてモミジバフウにサルスベリ。シナノキ、シナノキ、スズカケノキ。
その向こうには街路樹よりもうんと高いビルの影。群れ。

「トーキョーめ、ごちゃごちゃすぎ」

ステップを軽快に鋪装道路に響かせ、上ばかりを見乍ら少年は道を行く。その少年の足を止める赤色の信号。
他の信号待ちの人々と共に白の縞の前に立ち止まり、目の前を流れていく車のテールランプを目で追った。すっかりそれが赤く灯って見える程、辺りの日は落ちていた。
少年を囲う信号待ちの人々も、既に帰路の様相だ。

信号は赤から青に変わり、車の代わりに人間達が歩き出す。少年も、その流れに乗って足を踏み出した。

「…それにしても、」

人波の中で、彼はぽつりと漏らす。酷く疲弊した様子で。

「見つからない……」
「何をお探しなのかな。越前リョーマ」

溜息混じりに吐き出した独り言に、頭上から声が降ってくる。こちらが何者なのか、その声の主は確実に知っているらしく、フルネームまで添え付けて。
しかし、生憎と、リョーマもその声の主が誰なのか知っている。横断歩道を渡りきった足をふと止めて、ゆっくりと首を後ろに倒す。

見慣れた厳格な顔をそこに見つけて、ぱっとリョーマは破顔した。

「見つけた」
「…俺が探しものなのか?」

倒していた首を元の位置に戻して、ダンスのステップの様にくるりと華麗に回ってみせて相手に正面を向ける。

「そ。家に行ったらいなかったからこうして探しに来てあげたの」

手塚が自宅に不在であったのは、きっと既に図書館へと向かって家を出た頃だったからだろう。
家を出る前に母親にはちゃんと行き先を告げて出た覚えもあるし、来訪したであろうリョーマにもきっと母親は手塚が告げた行き先を伝えてくれただろうと、思うのだが――……

「こんな休日の繁華街に俺がいると?」

何をどう謂れをもってして、図書館とは縁遠い、距離も遠い、こんな人の頭しか見えないようなところ迄行き着くのか、手塚としては甚だ疑問でしかない。
しかも、こういった込々した喧噪ばかりの土地に一人でふらりとやって来るような性分ではないと手塚は自覚している。リョーマもきっとそんな手塚の性格は知っている。
なのに――、

だというのに、手塚国光を探し歩いていた越前リョーマは暮れ行く大都市のど真ん中で発見された。

「探し歩いてたら着いちゃっただけだよ」

不可解に顔を歪める手塚はさらりと無視して、リョーマは手塚の手を取って意気揚々と歩き出した。
彼の実母から行方不明の報を受けて頼まれもしないのにわざわざ探してやっていたのは、寧ろこちらだというのに。手塚は気付かれない程度に小さく嘆息を吐きながらリョーマに手を引かれるままに足を動かした。

しかも見付け出したのはこちらなのに、楽しそうに都会の味気ない道を闊歩するリョーマの風情はどうにも自分が見付けてやったとばかりに悠然としていて。

「…どう探し歩いたらこんな所に着くものなのかな」
「どう…って、上」

外側に垂れ下がる手のうち、人差し指を真っ直ぐに立てて、リョーマは言葉通りに『上』を指した。
マテバシイ、マテバシイ、4、5本続いてからカロリナポプラ。アクセント代わりに次に控えるはヒトツバタゴ。
車道と歩道との間に申し訳程度にぽつぽつと植えられた様々な街路樹を、リョーマは指差し、それを手塚も見上げる。

「上…?」

俄にはリョーマが指す言葉の意味は解らない。そのまま理解しようとすれば、手塚を発見するべく上空を探し歩いていたら此処に辿り着いた、そんな所だろうか。
けれど、手塚は鳥でも蝶でも蝙蝠でも勿論無い訳で。上空を探されても見つかる筈などなく。
怪訝な顔をする手塚に、
「背が高いから」

上を探してたら見つかるでしょ?さらりとリョーマ。

「……見つかるか」
「見つかるよ。今もこうやって見つかったじゃない」

ね。と笑いかけてくる顔に勝つ術を手塚は未だ知らなかった。

「上を見てれば、アンタは絶対いつか見つかるんだよ」
「…凄い自信だな」
「そりゃ、『越前リョーマ』だからね」

苦笑と共に勝気に笑うリョーマの手を握り返して、帰るぞ、とだけ声をかけた。





















どこまでも歩いていく。
手塚を見つける為ならば越前はどこまででも。そして手塚も然り。
色々な意味も言外に込めまして。
30題へ戻る
indexへ