逃げきれるものならば
今年のマフラを買ったら、何やら紙切れを店員が笑顔でくれて、指差された六角形の木箱をぐるりと回せば、ころりと赤い玉。
目の前のハッピを着た係の人が手に握った金色のベルをけたたましく鳴らした。
いそいそと支度をして、勝手に物欲しそうな顔で、シャツの裾を握ってきたリョーマを、手塚は思わず愛想の無い顔で見下ろした。
目がきらきらし過ぎている。
「ねえ、部長」
そして甘えてくる声。上目遣いはこういう時のリョーマの常套手段だ。
支度した手荷物は浴衣にバスタオル。何を強請って来ているのかは明白。
何しろ、手塚とリョーマがいるのはとある温泉宿。
買い物ついでの福引きで当たった小旅行だった。宿泊費だけが無料の、一泊二日の温泉旅行。
そして訪れた次の週末が、今日。
温泉宿で浴衣にバスタオル、そして強請ってくる目。
その姿がせがんできているものは、敢えて言及するまでもなく。
手塚は見下ろしていた視線を読みかけの本に戻した。
「……あとで一人で入る」
「なんで拒否るの。恋人同士で温泉って言ったら、お約束でしょ?こういう時は据え膳してくれるもんじゃないの?」
「誰が据えてやるか。それに、どこがお約束なんだ。ちっともお約束じゃない」
知らない知らない、と駄目押しとばかりに小さく手まで振られて、拒否の態度を示され、手塚のシャツの裾を掴んでいた手を不貞腐れ気味にリョーマは離した。
所詮、都会から電車で1時間とかからない程度の温泉だけれど、窓の外にはいつも生活している都市では到底お目にかかれないような雄大な山に過剰な自然。それらが折角取り巻くこの中で、どうしてこの人は本なんていつも通りに読んでいるんだろう。
福引きの景品という偶然の産物の割に、宿には露天風呂もあるというのだし、それらを見乍ら一風呂、というのが日本人としての人情じゃないのかと、アメリカ育ちのリョーマは字面を追うばかりの手塚の横顔に思うのだった。
「ねえー。ふろー」
「だから、先に入って来い。お前が上がったら俺も入るから」
「どうして一緒に旅行に来たのに別々に入んの?……あ、さては……」
意味深にそこで言葉を区切り、一人だけ楽しそうにリョーマはくすくすと忍び笑いを零した。
眉間に皺を作った、不愉快そうな手塚の顔がそちらへと向かう。
「…さては、なんなんだ?」
「別に?ただやらしいなあ、って思っただけ」
くすくすとリョーマはまた笑う。浅く閉じながら流してくる目線は、鄙俗らしさがふんだんにトッピングされている。
リョーマお得意の挑発に、手塚は容易く目尻を朱で染めた。
そんな手塚の顔を見て、「ほらやっぱり」とリョーマが嘯く。
「オレと二人きりで入浴、ってだけでイケナイこと考えてるんじゃないの?」
「だ…誰が…」
週末の都会から程近い温泉宿。そんな時期と場所を兼ね備えたものが到底二人のみで占拠される筈も無いことを、完全に手塚は失念していたらしい。
露天風呂にも、絶景を見乍ら浸かっている湯治客が少なくとも何人かはいる筈。
本来、論理の穴を追及すべきタイミングで、手塚はただ狼狽するばかり。ポーカーフェイスを気取って見ても、体は非常に正直だ。
「大自然の真っ直中で、オレと、アンタと、二人きりだけで、どっちも裸で。…いいと思わない?」
風呂なのだから裸なのは当たり前だろう。
たじろいでばかりいないで、突っ込みのひとつでも入れろ、手塚。
それでも、悲しいかな。15歳という身空は実に血気盛んで欲望に忠実なオトシゴロな訳で。
15年目の春までは、実直と潔癖とを絵に描いたかの様な生真面目な少年だった手塚も、冬を迎えた只今では、リョーマにあれよあれよという内に色恋沙汰に手慣らされ、襟元を自らの手で押し開けながら身を寄せてくる艶笑のリョーマに顔を火照らせるばかり。
「…そ、そんな事を考えてるのはお前だけだろう」
「そりゃ、考えるよ。当たり前でしょ。アンタはオレの好きな人で、その好きな人と一泊旅行。しかも場所は露天風呂付きのお宿とくれば、」
愉しむ他に何がある。
にやりと口許を歪め乍ら、リョーマはそう言った。今にも、舌嘗め擦りのひとつでもしそうな鄙俗らしい顔付きと声で。
「…いやだ」
じりじりと間合を詰めてくるリョーマへの防護策のつもりなのか、それまでは悠然と畳の上に伸ばしていた足を折り屈め、ぐっと顔へと近付けた本の縁から目だけを覗かせて、駄々をこねる子供にも似た素振りでリョーマを小さく睨んだ。
「どうしても?」
「どうしても」
「オレが、オ・レ・が、アンタと一緒に入りたい、って言っても?」
「…………いやだ」
「何もしないよ?」
「……。何かする気だったんだろう…」
「何もしないってば」
「…いやだ」
「わがままなんだからー…」
我儘なのはお前の方だ。それが、リョーマの長所でもあるから、憎めたりはしないのだけれど。
そんな奇怪な長所を持つリョーマは、気疲れた様に小さく溜息を零す。手塚はそんなリョーマを本の影から睨み付け乍ら、立てた膝を腹へと寄せる。
完全に警戒態勢に入られてしまった。
野生の獣を懐柔しようという時はきっと、こんな心持ちなんだろう。
今、目の前にいる獣は、過去何度も懐かせた筈だというのに。
何がいけなかったのかなあ、と思案する時点で、剰り学べていないと言っていいかもしれない。
「じゃあ、ひとつ提案ね」
壁に身を寄せたまま、小さく身を折り畳んでいる手塚の袂で、リョーマは頬に添えた手のうち、人差し指をぴっと立てた。
リョーマの腹積りを、このテの勝負事には未だ弱い頭で探ろうと、手塚は沈黙を守る。
「体が汚れたらお風呂に入らざるを得ないよねえ?」
「………」
「今、ここでべとべとに汚されて風呂に入るのと、このまますんなり風呂場に行って爽快に露天風呂に浸かるのと、どっちがいい?」
リョーマの問いの後、手塚の目が訝し気に細められる。
「……べとべと?」
「そ。べとべと」
「べとべと?」
「べとべとでぐちゃぐちゃ」
「……」
「普通にお風呂入れる方が幸せだと思わない?」
にこり。
周囲に可憐な花々でも飛び散らんばかりに、リョーマは可愛らしく笑ってみせる。まだまだ幼さが全体部を占める少年の顔は、そうやってほっこりと笑ってみせれば、きちんと可愛らしく映る。
考えていることは、酷くドス黒いけれど。
その笑顔に、リョーマの言葉の意味を理解しようと目紛しく演算処理を続けていた手塚の頭は唯一の選択肢を選ばせた。
選ばざるを得なかったと言った方が正しいかもしれない。
「……………」
そうして、選び出した筈の回答にも、すんなりと手塚の口が従えることはできず、あちら、こちら、と目が泳いだ。
その間中も、リョーマは麗らかな笑顔で手塚を見詰めるばかり。
泳ぎ彷徨った手塚の双眸は、結局、恨みがましそうにリョーマを見据え、そして声帯がやむを得ず感を逼迫させて、最初のリョーマのお誘いに肯定する返事を零した。
国光少年が、無事にまたこの部屋へと帰ってこられる事を切に願う。
逃げきれるものならば。
逃げてみたまえ、手塚くん。
41914ありがとうございましたー。ふみふみしてくださったはるみさんへ。
温泉旅行で迫る越前君に手塚君、というわけで。直球な出来と相成りました。
攻め気あふるる受け子ばかりを書いてたので、はじらいはじらいの塚が非常に新鮮でした。書き乍ら(笑
41914hit、ありがとうございましたv
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