Spiral-sequence
今度の休みは暇?
昼休みに捕まえられた手塚は、リョーマにそう尋ねられ、少しばかり考える間を取ってから、
「跡部にスケートに誘われているから、予定は詰まっているな。良ければ、お前も行―――」
「行くに決まってるでしょ!」
リョーマの即答ぶりに、手塚はひとつ頷くだけに留め、何時になったらどこへ向かうだとかを、リョーマに告げた。
にゃろう…抜け駆けしようたってそうはいかないんだから……
跡部からの誘い文句は、部活も引退し、受験に向かって勉強の毎日だから、偶の息抜きにどうだ、というものだった。
受験生には『滑る』や『落ちる』などは禁句の筈なのだけれど、よりによって、スケート。
「受験、失敗したらどうするの」
跡部との待ち合わせである場所まで、手塚と居並びながら歩を進め、リョーマはそう訊いた。
「そんなもの、ただのゴロ合わせだろう。要は気構えの問題なんだ」
実にあっさりと、手塚はそう答える。
まあ、たしかにそうなのだけれど。
試合前にカツを食べたからと言って、必ず勝てる訳ではないし。ただ、前向きになれる験担ぎでしかないのは確か。
それでも、日本中でこの年の瀬も迫った時期にスケートをする15歳というのも、あまり大した数はいないだろう。
トンカツを連日食べている受験生の方が、確実に多そうだ。
「どうして、手塚を誘ったらこのチビがおまけで付いてくるんだ?ァあん?」
久しぶりに見た、その男は手塚の横にぴったりとくっ付いたリョーマを見下ろし乍ら、酷く不快そうに顔を顰めた。
「うっせーばーか」
「相…っ変わらずの口の悪さじゃねえの」
ひくり、と頬を引き攣らせる跡部に、べえ、とこれ見よがしにリョーマは舌を突き出してみせる。
これは、ある種、仲が良いんだろうな、とは思いつつも、手塚は適当に二人を宥めておいた。
リョーマと手塚が向かった、跡部に指定された待ち合わせ場所は、新設らしい巨大な平立ての建物。看板にでかでかとATOBEとあって、どこの家の所有物なのかは瞭然としていた。
跡部に話を訊けば、明日からオープンするスケートリンクらしい。
ウィンタースポーツと言えば、スノーボードが最近の流行の中、どうして今更こんなものを建てたのか、リョーマは不思議で堪らなかったけれど、所詮、他人の事だったし、放っておいた。
スケート靴を渡されて、リンクへと続く扉を開けば、無人の広大な氷の床がすぐに目の前に現れた。
「…無駄にでかいね」
「無駄は余計だ、ドちび」
「ちっちゃいなりの可愛さを持ってないからって僻まないでよ、そこの態度でかい人」
「越前…跡部も、大概にしないか……お前等、何しにここに来たんだ」
喧々囂々と言い争う二人を尻目に、手塚は一人、リンクへと降り立った。
スケートだなんて、随分と久し振りだ。幼少の砌に、両親と数回来た事があったような無かったような。
まあ、いいか。どちらでも。
あっさりと追憶は割り切って、ひとつの傷も無いリンクを、すい、と手塚は滑り出した。
自分一人だけのスケートリンクだなんて、そうそう経験できない。いい機会だと、手摺の間際を手塚は軽快に滑っていった。
「部長、うまーい」
オレもオレも、と、手摺を掴み乍ら、リョーマも手塚に続いてリンクへと下りる。
足下は、若干、覚束無いけれど、持ち前のバランス感覚と、運動のセンスとで、何とか前進できる。もう少し、氷上に慣れたら、スピードももっと出せるだろう。
視線で追いかける手塚は、実に軽快なスピードでリンクを滑って、今やリンクへと降り立った地点の向こう側に居る。
「………人もいないことだし、場所も広いし…できるかもしれないな」
リョーマが少しずつ手塚目がけて滑っていく中、手塚は一人、そう呟き、前後左右を確認してから、右足を矢庭に浮かせ、後ろ向きに身体の回転をかけた。
通っていく空気が、流石に冷たい。
「…ちょ、部長、何する気…?」
もうあと僅かで、辿り着けそうなところで、目の前の手塚が少しだけ腰を落として膝を柔りと曲げ、両手を振りかぶるような体勢を取っている姿を見て、リョーマは目を屡叩かせた。
それは、いつかのフィギュアスケートの中継でテレビ越しに見た、スケーターのポーズと全く同じで、そして、彼等と同じく、手塚も右足を振り上げ、氷から足を離して、空中でくるりと身を捩って飛び、鮮やかに着地した。
「ダブルサルコウ…?あいつ…経験者か?」
着氷した後も、余勢で滑るのみの手塚を見乍ら、跡部はリンクサイドで顔を顰めた。
多少なりは、スポーツの才のある奴だろうとは思っていたけれど、跡部自身だって、ジャンプはしたことがない。
それを、いつものあの淡々とした表情のまま、目の前でやってのけられた。
余勢のまま、手摺へと行き着いた手塚に、リョーマはやっと追い付いた。
「部長、今の、何て技?」
開口一番に、そう尋ねてきたリョーマに、手塚は一度、頭の中の記憶を巡ってみるが、テニスならばいざ知らず、フィギュアスケートには明るくない頭では、とんと技の名前なんて判らなかった。
その旨を、リョーマに伝えれば、飛んだくせに、と何故か恨みがましい顔付きで睨まれた。
「知らないものは知らないんだ。昨日、たまたまフィギュアをテレビでやっていたから、偶々覚えていただけだ」
「ふぅん。ねえ、アンタに飛べるんだったら、オレにだって飛べるよね?飛び方、教えてよ」
見下ろした目の中に、何やら燃え滾っている様に見受けられる。
ああ、そういえば、こいつも中々に負けず嫌いだったな、と手塚はぼんやりとリョーマの性格を思い出した。
手塚が出来るのならば――――。人が出来ることは全てやってみないと、気が済まない性分だったことも。
ひとつ、苦笑してから、手塚は手摺を離れた。その後を、リョーマも続く。
「まず、助走を付けるところからだな。エッジを利かせて、精一杯滑って―――」
言様、手塚はスピードを上げた。リョーマも、手塚に倣って、慣れた限りで出せるだけ、速度を上げた。
リョーマが後を付いてきているのを、肩越しに振り返って確認し、そのまま、手塚は体をターンさせて、後ろ向きのまま、滑り続けた。
先程と、ジャンプの体勢が違う。
「助走の勢いで、後ろ向きのまま、前進する」
「ちょ、え、さっきと、違くない??」
「…………違うかもな」
「オイ………?」
「そして……多分、このまま右足を後ろに持ってきて―――」
少しだけ右足を浮かせ、やや前傾姿勢を取ってから、バランスを保つ様に、前後に腕を広げ、手塚は背後――進行方向からすれば、フロント――を少しだけ見遣ってから、
「着氷しているエッジはやや外側に傾けその爪先で思いきり、踏み切る―――…!」
カツッ、という小気味良い、氷が削れる音と共に、手塚が宙に飛び、素早く何回か、回転した。
その様を、間近で見ていたリョーマも、そして遠いリンクサイドで見ていた跡部も、瞠目した。
「トリプルルッツ…!ありえねえ…!!」
興奮の余り、手摺を強く握り締めたまま、跡部は驚愕の表情でリンク内を見詰めた。
視線の先では、先程よりはややバランスを崩しつつも、転倒することもなく着氷した手塚が向こう側の手摺に辿り着いていた。
その口許が少しだけ吊り上がり、ただ氷上を滑っているだけのリョーマを挑戦的に見遣った。
手塚も、リョーマに負けず劣らずな負けず嫌いなのだ。
アンタに『できるなら』と言われたら、挑戦せずにはいられない。
「…にゃろう」
悠然と手摺に凭れ掛かり、顎先で「やってみろ」とばかりに指し示されて、リョーマはコーナーを曲がり乍ら、助走を精一杯つけた。
ぐんぐんと上がっていくスピード、頬を凪ぐ風の勢いも、今にも膚を切らんばかり。
それでも、リョーマはスピードを上げ、体を180度回転させて、後ろ向きに滑り出した。前が見えないものだから、どうにもバランスが不安定になる。
この背のどれくらい向こう側に、リンクの壁があるのか、という点も不安要素のひとつだ。
それならば、颯々と飛んでしまった方が、壁にはぶつからないだろう、と安易にリョーマの頭は結論付け、手塚がしていた様に、右足を早速浮かせてみた。
途端に、尻餅を付きそうになるけれど、そこは持ち前のセンスで何とかやり過ごす。
本当に、ジャンプの助走だけとっても、よくやったな、とつい、手塚に尊敬の念を抱いてしまう。
いやいや、敬意を抱いている場合ではなくて。
少しだけ首を捻って、リョーマは後ろを振り返る。壁はまだ遠い。
飛ぶなら今だ、と、脳が指令を送った。
浮かせた右足と、バランスを取る為の右手も、後ろに持って行けば、自然と顔も上半身も右側に捩じれる。
頭の中で録画した手塚の映像を再生し乍ら、その通りに、力一杯、踏み切った。
踏み切る音は、手塚と似たり寄ったりな、小気味の良い音。
けれど――――
「…………わっっ!!!!!」
宙に浮いた体を捻っているうちに、いつの間にか着氷しており、見事な程に着氷に失敗を喫し、俯せのまま、リョーマの体はリンクを滑って行った。
氷を擦っていく、腹が冷たい上に痛い。
5mは優にそのまま滑り切り、リンクの壁も間近、手塚のほぼ足下で、漸く止まった。
頭上から、噴き出す笑い声。
リンクの遥か彼方からも、大声での笑い声。
「ざっまあねえなあ、越前。アーン?」
凄く、楽しそうな声の調子が、酷く、ムカつく。
氷に預けていた顔を擡げて、リョーマは嘲笑した跡部を睨んだ。それでも、彼の盛大な笑い声は止む事を知らないけれど。
「…いや、見事な、転げっぷりだった」
くつくつと喉から笑いを零しつつ、足下で寝転がっているリョーマへと、手塚は手を差し出す。
その手を取り、何とか立ち上がるも、リョーマの顔色はこれ以上無いくらいに不機嫌そうで。
更なる笑いを手塚に提供する羽目となった。笑い過ぎなのか、将又、ただこの場の空気がひんやりと冷やされているからなのか、手塚の目尻は赤い。
「…‥笑い過ぎ」
「すまん………。潔いくらいに転げていたもので……つい」
言葉終わりは、くっくと漏らし続ける忍び笑いに消えた。
手塚の快心を誘えただけ、役得だと思うべきか、それとも、それ程に笑われることをやってのけてしまって、悔しく思うべきか、目許に涙が溜まるまでに笑った手塚を見上げながら、リョーマは複雑な境地に立たされたのだった。
Spiral-sequence
手塚がありえねえありえねえ(笑
46464のミラ番、ゲッツありがとうございました。イタクラさんへー
飛べるものなら飛んでみな、とばかりの余裕綽々の塚さん辺りがポイントです(笑
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