ロージズ
睡眠が浅くなってきて、一番に働き出した感覚は、嗅覚。
馨しい、の度を越えた些かきつい匂いに目蓋が開く。
「…バラ?」
むくり、とリョーマは躯を起こした。
動き出した視覚に午後に近付いていた太陽の光が眩しい。
母親が一度起こしに来たのか、カーテンが開けられていた。
やけに、天気のいい日だな。
問題にするべきは天気の話ではなくて。そんな高く昇った日の光が部屋に溢れる中に漂うこの香りは、間違うことなく薔薇の香りだ。
なんで、バラの匂いなんて…?
部屋を見渡してもその答えになるものはない。
不可解に思いながらも、部屋を出て階下へ下る。
居間への扉を寝ぼけ眼を擦りながらも、そこに従姉の姿を見つける。
そして、食卓の半分を埋める、紅の群れも共に。
「……」
リョーマがその光景に言葉を発せられずに入口で立ち呆けていると、リョーマに気が付いた従姉がこちらを振り返った。
「あら、リョーマさん。もうお昼ですよ」
「お、おはよう、菜々子さん。ねえ、これ、何事?」
真っ赤な薔薇の大群を指差すと彼女は少し困った様な顔になった。
「お隣さんがね、くださったの」
「くれた・・・って、こんなに?」
普通、薔薇は夕餉の惣菜が余って、作り過ぎちゃって、と隣家へお裾分けするものではない。
しかも、これほど大量に。
「お隣のお嬢さんがね、結婚式だったんですって。卓上の花を全部持って帰って来たらしいんですけどね。この匂いでしょ?家に持ち帰ってからちょっと耐えられなくなったんですって」
耐えられなくなったからと言って貰っても今度はこちらが耐えきれない番ではないか。
隣家はそんなにうちと仲違いでもしたいのだろうか、とリョーマは思う。
「でも、こんなにあったら今度はうちが困っちゃうよね」
「そうなんですよね。分けて飾るにしても量が量ですからね」
苦笑したままで従姉は何本かを束にして目線まで持ち上げた。
丁度花嫁が持つようなブーケ程度の量で、その光景を見たリョーマは何かを閃いた。
「ねえ、菜々子さん、オレ用のスーツってどこにしまってあったっけ?」
入口の呼び鈴が鳴って手塚は腰を上げ、玄関へと足を向けた。
何かの薄弱な匂いがする。
なんだろう、と不思議に思いながらも玄関の扉を開けた。
その瞬間に、
目の前に飛び込んでくる、
深い、深い赭。
一体何事か、状況が咄嗟に判断できずに硬直してその場に立ち尽くす手塚の前の紅の下から自分を呼ぶ声がする。
「部長」
薔薇が横に振られてそこからリョーマが非道く真面目な顔を出した。
リョーマの姿を認めて漸く手塚は我に立ち戻ったが彼の表情を見た途端に何事かと今度は別の意味で身を堅くする。
見れば、リョーマは上から下迄フォーマルのスーツで身を固めている。
「越前。どうした」
「もう、オレ、抑え切れなくて…。部長」
リョーマが片膝を折り、もう片膝を立ててその場に膝間付く。
そのリョーマの行動と同じくして薔薇の群れも少しばかり下降するが、すぐにリョーマが掲げる様に持ち上げて手塚の顔のやや下まで持ち上がってくる。
手塚の鼻腔を薔薇の薫りがくすぐる。
非道く強い匂いなのだけれど、どこか酔わされる様な蟲惑的な香り。
「オレと、結婚して下さい」
薔薇の影から真摯な表情そのままのリョーマの眸が見える。
その眸に更に手塚の身の堅さが増す。
…これぐらいでいいかな?
そう、あの時リョーマが思い付いたのは少しばかりタチの悪い児戯。
そう、今、手塚が遭っているのはリョーマのちょっとした悪戯。
今日は特に予定は無く退屈するのは目に見えていたし、手塚とも会いたかったし、リョーマにとっては一石二鳥だった訳だ。
こんな悪戯に物の見事に落ちて吃驚している顔を見られた手塚が見られたのは大成功の内に入る。
「なーん…」
なーんちゃって。
本来なら、それで終わらせて、手塚から小言を聞くはずだったリョーマの算段は自分の言葉を遮った手塚に見事に引っくり返されることになる。
「不束者だが、宜しく頼む」
笑いを作ろうとしていたリョーマの上で手塚が上半身を綺麗に90度折り曲げて一礼する。
その手塚の行動に、驚くのは悪戯を仕掛けたリョーマ自身の番だ。
吃驚した顔のまま、立ち上がる事も出来ないリョーマの前で手塚が折り曲げていた躯を起こした。
そんな手塚の眼下には先程の真摯な表情から驚きへ一変したリョーマのなんとも形容し難い顔。
「どうした?」
何か変な事を言ったかと、手塚が小首を傾げる。
負けた、とリョーマは呆けたまま手塚の小綺麗な顔を見上げ乍らぼんやりと思った。
ロージズ。
roses。薔薇達。
5656ヒットのマツモトさんへ!
リョマさんがしてやったり!なのだけれど、結局はしてやられたり!という。
こ、こんな感じで大丈夫でしょーか?はらはら。
毎回ですが、キリリク頂いたものを仕上げるというのはどきどきいたします。
5656ヒットありがとうございました!
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