Happiness ring
目の前を見なれた少年が駆けて行く。
肩近くまで伸びた柔らかな栗色を揺らして。
「不二」
どこか楽しそうに駆けて行く学友にリョーマは声をかけた。
そのリョーマの声に駆けていた足を止めて、不二はいつもの笑顔で振り向いた。
「なに?越前」
「どこ行くの?」
そう訊ねれば、不二は微笑みを深いものにして口を開いた。
「どこって、新入生見に昇降口」
ああ、そういえば、と今日が何の日だったかをリョーマは思い出した。
今日は、入学式。
自分達の後輩に新しくなる少年少女が入学してくる日。
今日はその為だけの日だから、普通は忘れるということはないのだろうけれど、リョーマにとってはどうでもいい日であった。
長い校長の祝辞も全校で歌う校歌も面倒くさいの一言に尽きる。
それ以上に、不二の様に一年生にこれといった興味もない。
「じゃ、エージ達が待ってるから、僕行くね?」
「んー」
そして、不二はまたパタパタと廊下を駆けて行き、階段へと曲がったところで姿が見えなくなった。
「入学式ね…………たるいかも」
どうせ、いつもの授業さながらに眠ってしまうこと請け合いなのだ。
そんなつまらない時間を過ごすぐらいなら、とリョーマは廊下の突き当たりから伸びる非常階段へと向かった。
そこから1階へ降りて、上履きのまま裏庭を歩く。
足の向く先は、テニスコート。
幸い、テニスコートと体育館は離れているからボールの跳ねる音などは届かないだろう。
退屈な時間を過ごすよりもリョーマはボールと戯れる事を選んだ。
まだ朝のHRもしていないから、サボリでなく、欠席扱いで済むだろう。
ポケットに忍ばせていた鍵で部室を開け、上履きからテニスシューズへ履き替える。
服までは流石に面倒くさいので学ランの上だけをロッカーへ投げ入れ、代わりにラケットを取り出してコートへ向かう。
まだ春先ということもあり、Tシャツ一枚は少し冷える。
冷えるけれど、制服を着たままでは腕を振払いにくいし、最後には汗を大量にかくのだ。
少しばかり春先の寒さに耐えればいいだけの話だ。
部室から出たところで、リョーマはコートを囲うフェンスを前に佇む一人の少年に気が付いた。
じっとコートを見ているようで、後ろから近付いていくリョーマには気が付いていないらしい。
「何の用?」
手を伸ばせば届くところまでリョーマは近付いてその少年に声をかけた。
突然かけられた声に驚いたのか、少年はビクリと肩を震わせてこちらを怖ず怖ずと言った様子で振り返った。
幼さはあるものの、非道く綺麗な顔をした少年だった。
眼鏡のフレームが春の陽を少し反射して光った。
「すいません」
「いや、見てるだけなら一向に構わないけど…」
そこでリョーマは彼の襟章が『I』である事に気が付く。
「新入生?」
「はい」
凛とした声が返ってくる。
「テニス、興味あるの?それかプレイしてる人?」
でなければ、真っ直ぐ教室に向かう一年生がこんなところで油を売っている訳はない。
「やってます」
「へえ。じゃあ丁度いいや。相手してよ」
ラケット貸すから、と部室へリョーマは踵を返す。
まだ式が始まるまでには時間がある筈だ。
一人で壁打ちをするよりは相手がいた方が楽しい。
部室へ向かうリョーマを呆気に取られるようにして見ていた少年は逡巡した後、リョーマの後へ続いて部室へと向かった。
「手の大きさどのくらい?」
部室に入ったところで思い出した様にリョーマは少年を振り返り、彼の返事を待つ前に手を握った。
「んー。背の割に結構でかいね。池田ので丁度いいかな」
「あの…」
2年、と書かれたロッカーをがさがさと漁るリョーマの背に少年がためらいがちに声をかけた。
「なに?」
目的のものを見つけだして、リョーマが振り返る。
「その、勝手にお借りしていいんでしょうか?」
「構わないよ。オレここの部長だから」
はい、とリョーマは手にしたラケットを少年に手渡した。
それを遠慮がちに少年は受け取った。
「じゃあ行こっか。…えーと、名前は?」
「手塚、といいます」
「手塚、ね。オレは越前。越前リョーマ。部活に入る気なら覚えといてね」
ポーン、とレモンイエローがリョーマの手からコートへ跳ねる。
何度かそれを繰り返して、天高く放り、ラケットで凪いだ。
鋭く風を切る音がした。
自分のコートへ跳ねてくるボールを確りと見据えて、手塚は打ち返す。
小気味良い音がする。
返って来たボールを打ち返しつつ、リョーマはちらりと手塚を見る。
ボールを捉えつつ動く眸は澄んでいて。
「へえ」
手塚がボールを凪ぎ払うのを見て、リョーマから感嘆の声が小さくあがる。
いい目をしている、と。
「手塚、って言ったっけ?テニスはどのくらいやってんの?」
跳ねてくるボールを打ち返しつつ、リョーマは訊ねる。
その声に一瞬ボールから眸を逸らしてしまい、手塚の腕の振りが一瞬遅れて、大きく弧を描いたロブがあがる。
それを見逃すことなくポーチまでリョーマは駆けて、綺麗にスマッシュを決める。
勢い良く自分のコートに叩き付けられたそれに手塚は追いつき損ない、ボールはフェンスまで跳ねて行った。
「5年、になります」
「へえ。年の割にいい目してるね。伸びるよ、お前」
に、と口角を上げるようにしてリョーマは朗笑した。
それに手塚は吃驚したように肩を竦め、そして少しの後、恥噛むようにうっすらと笑った。
「ありがとうございます」
あまりに綺麗に笑う。
微かに細められた瞳は先程とはまた違った意味でリョーマを惹き付ける何かがあって。
我知らず、リョーマの胸がどきりと鳴った。
「越前さん?」
「部長、でいいよ。手塚、必ずうちの部入れよ?」
ラケットを肩に担ぎつつ、リョーマは緩く俯いた。
いつも被っている帽子が無いことを少し悔やんだ。
こういう時――紅潮した顔を隠すのにはもってこいだというのに。
リョーマの内心など露程も感じ取っていない手塚が小首を傾げてみせつつ、不思議そうに、はい、とだけ答えた。
Happiness ring。
幸せな巡り合わせ。
手塚とリョマ出会い編、ランパラモード。
詩音さんから8778hitで「リョマが幸せな話」でリク頂きました。
えと、ですね、わたし、リョマはテニスしてる時、しかもそこそこの相手とテニスしてる時というのは幸せな時だと思うのですよ。
手塚に迫られてる時というのも大層幸せでしょうが(笑
しかも、不二は新入生見にその場にはおらず、校内で初めて手塚と会えた、というのはとてもラッキーな、とゆう、ね?(訊ねる様に言わない)
もっと、ハピハピしてる方が良かったのでは…と一抹の不安も残しつつ、8778hitありがとうございました〜!
textその他トップへ