南極大陸融解
















「明日の午後8時にうちに来て」

相対的に云えば今日の昨日、絶対的に云えば13日の晩に、リョーマは手塚へとそうテレフォンコールを飛ばした。
その後も少しばかり雑談を交わし合った後、通話を終え、少し間があってから手塚は13日の翌日が何の日かを思い出した。
そして訪れた今日、たっぷりと13日を満喫してから家を出た。20時からリョーマの家へ辿り着くまでのいつもの時間を引き算して、丁度の時間に。
家を出る際、母である彩菜には単純明快に「越前が8時に来いと言ったので行ってきます」と告げて。
息子が述べた外出理由に対し、

「今日はホワイトデーですものね」

気をつけて行ってらっしゃい、と、楽しんでらっしゃい、とを母は付け加えて手を振り、見送った。
暗い夜道を歩き乍ら、母の「楽しんでらっしゃい」の真意を考えていれば、然程、時間も感じないうちに越前邸へと辿り着いた。
何事も、思い詰めてはいけないのが世の理。











ドアベルを鳴らし、扉を開けてもらって手塚が越前邸に一歩入ったその瞬間、恐ろしいくらいの既視感に襲われた。
リビングがある廊下へと続く広い玄関、そこに、

「リョーマとー」

玄関を開けた責務を終え、走り戻ったらしき越前リョーマが最左に立ち、

「倫子とー」

越前倫子がリョーマの右に立ち、

「南次郎とー」

越前南次郎が倫子の右に立ち、

「菜々子のー」

越前菜々子が南次郎の右に立っていた。
4人は綺麗に横一列に並んでいる。

そして背丈による凹凸はありつつも、水平線上に並んだ上で、後ろで組んでいた手を万歳の要領で、ぱっと掲げてみせた。
もうここまで来るとデジャビュなんて言葉は振り切れた。ひく、と手塚の頬が引き攣る。

そんな手塚の前で一斉に腕を掲げた4人の手の中にあったものといえば、『あの日』と同じ銀色に輝く泡立て器とゴムベラをリョーマが、マンダリンカラーのボウルと木製麺棒を倫子が、砂糖が詰まった袋とキッチンスケールを南次郎が。そして菜々子は両手で彼等の愛猫を抱えていた。
何かの合図だと言わんばかりに、彼はミヤオウ、と一声鳴く。それはただ、抱え上げられた事に対する抗議の声だったかもしれないけれど、剰りにタイミングが宜し過ぎた。

猫の声が響いてから、揃いも揃えて、彼等はこう言った。


ワクワククッキングーゥ


微妙にハーモニーを奏でてることに成功している点だけは褒めてやってもいい。
けれど手塚はそこで賞賛の拍手を送る気には到底なれず、勢い良く身を翻そうとするが、ホイッパーとゴムベラとを投げ出して飛びかかってきたリョーマがその腰元を捕る。
外に出ていこうと踏んばる手塚と、内に引き戻そうとするリョーマで暫し、静かな戦いが勃発するが、それはすぐに終戦を迎えた。
その早期終戦の理由は越前の女組。リョーマの後ろに倫子が連なり、そのまた後ろに菜々子が連なって手塚を引っ張った。彼女らの持ち物は全て南次郎に預けられている。

どこかでこの状況とよく似た御伽話を聞いた覚えが手塚はある。
巨大な蕪を老若男女が力を合わせて引っこ抜く話だ。あの話の結末は、3人分の力任せな引力に耐えきれる訳もなく玄関に転がった手塚の様に、ごろりと蕪が抜けた。










どこまでも、何もかもが同じ。ただ、催された場所が違うことと、共謀する人間の数が2人と1匹ばかり多いだけ。1匹の彼は4人の人間よりは乗り気では無いらしいが。乗る気が有るも無いも、きっと彼は今日が何の日か、なんてことを知らないだけだろうけれど。

そして、手塚がリョーマの自室に詰め込まれるまでもが同じ。
リョーマの部屋に通され、手塚はもう一つ違うものを見つけた。部屋の中央で蜷局を巻くリボンの色だ。
滑らかなミルキーホワイト。
真っ赤な苺にかければ大層旨そうな、練乳の色のそれだった。
他の幅や、ベッドにかけられた透明なビニールの様相は同じ。色だけが違った。今日がホワイトデーと呼ばれていることに気でも遣ったのだろうか。

要らぬ気を…。

摘み上げたリボンの端を手離しつつ、手塚は笑顔で扉を閉めて行ったリョーマの顔を思い出し、小さく舌打った。
「今日こそは大人しく待っててね?」笑顔の彼はそう告げた。

こっそりと抜け出して自宅へと帰ろうかと思ったけれども、押し開けようとした扉はガツンと何かに直ぐにぶつかり、それ以上開くことは適わなかった。
隙間から向こう側を除けば、堆く積まれたダンボールの群れが見えた。

ほとほと呆れつつ、大人しく扉を閉めるしか、手塚に残された道は無かった。
そっと、扉を閉じる。

窓、という考えも浮かぶけれど、もうそこまでする気力は皆無に等しかった。それに此処は2階であったし、下手な危険をわざわざ被ることも無い。


アレは、もっと平穏に事を進められないのだろうか…

ビニールでくるりと覆われたベッドに身を預け、天井をぼんやりと眺め乍ら手塚はそう思った。
ただ普通に物を受け取り、普遍的な態度で返礼を渡す。たったそれだけのことなのに、と手塚は瞑目して溜息を吐く。
つるつるした寝床は奇妙な体感を手塚に与えた。

先月もこんな質感のベッドの上で目合されたものだけれど、馴染み様が無いと思う。こんなもの。
摩擦の少ない物質のせいで足が滑る。去月も、膝を立てさせられた後、リョーマが侵入り込んできた後に、足裏に力を込めて立てた足を支えようとしたら足が滑った。
こちらを貫いてくるリョーマもリョーマで、身を進めようとしては膝立ちの足が滑り、いつもより手塚が受け止めた衝撃の度合いも強くは無かった。

だから、あの時は達するのが遅くて―――……。

そこまでを回想して、はたと手塚は我に立ち戻った。
何を考えていたものかと、思わず頬が熱を持つ。ああ馬鹿な、と続けて己を叱咤しつつ身を起こした。
身を起こす際に突いた手も、またつるりと滑って、危うくバランスを崩しかけた。

別に、リョーマと繋がる行為は嫌いでは無い。広げられる痛みも、近頃では随分と慣れてきたものだし、第一、リョーマは抱き方が超絶技巧だ。
あの手腕で施されて、身を打ち震わさない者は居ないと思うし、あの指先が過去に他の者に向けられたことがあるのだろうかと思えば、一人前に妬みや嫉みも覚える。

貰えるものならば、リョーマからの愛情はこの身が飽和を越えても受け止めたいとも感じる。
こんな、近代発祥のしきたりにわざわざ託つけてくれなくて結構だ。

欲しいのなら欲しい時に、いつだってくれてやる。
彼が欲しい分だけ、満足する迄。いっそ、飽きるくらいに限りなど無く。


手塚は滑るしか能の無いベッドを下りて、リョーマの学習机に向かい、ペンを取ると机の上に転がっていたメモにさらさらと何かを書いた。
そしてその部分を引き千切り、またベッドへと戻ってそれを枕元に置き、眼鏡を外してそれも隣に置いた。

そしてゆっくりと、目を閉じた。







『勝手に食え』

凝固途中の半生なマシュマロが入ったタッパを小脇に抱えて、自室に戻ってきたリョーマは、手塚のすぐ脇にそう走り書きされたメモを見つけた。

















南極大陸融解。
エ○“ァのセカンドインパクトって南極の氷が解けたんでしたよね?
セカンドインパクト。レッツホワイトデー。
9232hitをどうもありがとうございました!琴子さんへ。2005ホワイトデー。

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