ブービートラップ
「風邪?越前が?」
朝のHRが始まる直前の、そのざわついた3ー1の教室にやってきた桃城の顔を手塚はまじまじと見た。
「…で、それを何故俺に?」
部長の座は既に引退して、目の前の後輩に譲った。
部員が風邪だからと報告される謂れはもうないのだ。
手塚にそう問われて、桃城は困ったように――実際困っていたのだろうけれど――頭を掻いた。
「さあ、ただ部長にも――や、手塚先輩にもそう伝えてくれって越前のお袋さんに言われたんスよ」
「お母さんから…?」
これは、また用意周到な…。
手塚は一つため息を吐いて、席から立ち上がった。
「判った。わざわざすまんな」
「いえ、じゃあ俺はこれで」
そして、桃城は去り、手塚はおもむろに鞄に引き出しに仕舞い込んだ教科書やらノートやらを詰め込んだ。
それに気付いて隣席の生徒は不思議そうに手塚を見た。
「急に頭が痛くなったから今日は早退する。先生に伝えておいてくれ」
「あ、ああ…」
困惑しながらもその生徒が首を縦に振ったのを見て、手塚は踵を返した。
その姿はどこをどう見ても颯々と帰るぐらいの頭痛を起こしているようには見えなかった。
まだまだ陽は高い。
高いどころか、まだ真上にも昇ってきてなどいない。
そんな時刻に手塚は越前家に到着した。
呼び鈴を鳴らしても誰も出て来る様子はない。
一人息子が風邪を引いて寝込んでいるというのに…?
その一人息子がここまでを準備したとしか考えられなかった。
手塚は本当に軽い頭痛がしてきたが、玄関の戸に手をかけた。
一切の抵抗も無く、扉は開く。
一言、お邪魔しますとだけ声をかけて手塚は玄関をあがった。
目的地はこの家の2階だ。もう何回と訪れたかを数えるのなんて馬鹿みたいなくらいに。
おかげでもうこの階段が何段あるかなんて覚えてしまった。
「越前」
目的地の扉を開けば、目の前のベッドで寝ていたらしいこの家の愛猫がひとつ鳴いてベッドを降りた。
そして、それに続いてベッドからもう一匹の猫が身を起こして顔を覗かせた。
「いらっしゃい」
「寝てろ。加減が悪いんだろう」
いつもその顔にはない妙な赤味がある。
風邪ということすらもよもや嘘ではないのかと思ったけれど、流石にそこは事実であったらしい。
「お前な…もし桃城が伝え忘れていたらだとか、伝わっていても俺が来なかったらどうするつもりだったんだ…?」
掛け布団の中にまた潜り込んでいくリョーマの脇、ベッドサイドに手塚は腰掛けた。
足下に一度床に下り立ったヒマラヤンが擦り寄ってくるから、頭を撫でてやった。
「桃先輩が伝え忘れてたら携帯にかけるよ。勿論、明日桃先輩はシめるし」
「これはまた穏やかじゃないな…」
「アンタが来ないなんて有り得ないからね」
でも、朝イチで来てくれたのにはちょっと驚いたけど。
とリョーマは小さく笑い乍ら付け足した。
手塚は苦笑しながら、リョーマの額に腕を伸ばした。
いつも子供らしく自分よりも体温が高いが、今日はそれよりももっと体温が高い。
「熱いな」
ぽつりと漏らして、そのままリョーマの髪を梳く。
その細い指の心地よさにリョーマは瞳を閉じた。
「心配してくれた?」
「当たり前だろう」
ふわりふわりと髪に触れてくれる。
このまま、瞳を閉じていればまた眠りに落ちることが出来るかもしれない。
リョーマが意識を手放しかけたその瞬間に、指は離れた。
その感触に不服そうに目蓋を持ち上げた。
開いた視界では手塚は立ち上がっていた。
「もうじき昼だろう、何か食べるか?粥ぐらいなら作れるぞ」
ぱっとリョーマの顔が輝いた。
「リンゴ。すりおろしたやつ」
「林檎…?あるのか?」
「今朝親父に言い付けて買ってこさせたからあるよ」
「…お前、自分の父親を何だと思ってるんだ…?」
普段見せる傲慢さが家でも有効なことは承知していたけれど。
ついつい、親の大切さだとかを説教しそうになった手塚の言葉の先をリョーマが遮った。
「風邪の時は周りは甘いから」
その周り、というのには自分も含まれているのだろうか、と手塚は思案したが、それを一番心得ているのは正に自身で自然に苦笑が口を突いた。
「王子様は人使いが荒くていらっしゃる」
「甘えられる時は甘えとかないと」
勿論、アンタにもね。
言外にそう滲ませて。
「いつも甘えられてると思うんだがな…」
「甘えさせてくれるからに決まってんじゃん」
ああ、そうか、俺のせいか?
「今後は少し考えさせてもらうか…」
そう言ってはみるものの、そんなこと当分出来そうにもないのだけれど。
その辺りをリョーマも心得ているのか、意に介さず、とばかりににっこりと笑った。
「今後は今後。今は存分に甘えさせてもらうからね?」
「風邪がこっちに移らんぐらいに頼みたいな。これでも受験生だからな」
「その受験生が今日の授業放り出して何してんの?」
「生憎、義務教育だからな。自動的に上に上らされるさ」
「いっそ留年してもう一年オレの傍にいてよ」
「できるなら俺だってそうしたいさ」
足下でほぁらと一つ鳴いた。
「あぁ、お前も昼飯にするか」
ブービートラップ。
越前作によるちゃちい罠。
真嶋いこさんよりリク頂きました。9449hit御礼でございます。
「風邪ひくリョマと看病する手塚」
…越前さん、全然元気じゃないですか……。
ゆめゆめ風邪を国光にうつされませぬように。
9449hitありがとうございました!
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