狩るモノ、駆られるモノ
















猛然と駆け抜けて行った手塚の小さな後ろ姿を見遣り乍ら、部室のドア近くで頭をぽりぽりと掻いて立ち尽くす乾の後ろに大石がそっと近付いた。

「どうかしたか?」
「いや、別に取り立ててどうということでは無いんだが」

首を傾げる大石を振り返って、手塚が変な感じだ、と苦笑いを浮かべ乍ら乾は続けた。






ダンダンダンダン、とやけに五月蝿い音が、階段を駆け上がる自分の足音だと気付くまで少しかかる。
何の為にこんなに急いでるんだろう、と自らに問いかけるも、知るか、と問いを投げかけた同じ自分が乱暴に吐き捨てた。
急いでいる理由は知らぬも、目的地は知っている。
職員室がある階。それはちょうどあと一階分駆け抜ければ着く場所だった。

次第に近付いてくる目的地。残り十数段がもどかしくて、手塚は上げ下げする足のピッチを上げ、二、三段纏めて上った。
目的の階へ辿り着いて、その踊り場で足をふと止めると一気に体中の汗腺から汗が吹き出し、肩が上下した。

荒い息、痛む脇腹。
本当に、何をやってるんだろう、と何度目になるか解らない自問をし乍らも廊下を歩き出す。
職員室は上ってきた階段のすぐ脇にあって、歩く距離はそう大したことなど無い。
けれど、愈々迫った終着点に僅か2、3メートルの距離が果てしない長さの様に感ぜられる。
心臓が強く跳ねるのは、駆けたせいだけでは無いだろう。

部活動も終わりを迎えるこの時刻、校舎内に残る生徒など居ないのかいつもは賑やかな声で溢れるこの場所が水を打ったように静かだった。
ただ手塚が呼吸を繰り返す音と、歩みを進めるぺたぺたという音だけが響く中、職員室の扉前に辿り着く。閑静な教室達とは裏腹に、職員室の中からは僅かに人の声がする。

扉に手をかけ、手塚はゆっくりとそれを引いた。

カラ、カラ、と扉がレールの上を走る音が小さく上がり、室内の風景が手塚の視界に映り込み始める。
数列に渡って並ぶ教師陣の机。ファイルやプリント、参考書などに埋没している様は彼等の職務が多忙なことを表す。
向こう側の壁には一面窓ガラスが嵌められ、遠くに居並ぶ街並の中へ赤く熟れた夕陽がじりじりと沈んで行っていた。
蜂蜜をぶちまけた様な黄金色に包まれる広い職員室。

机に向かう教師陣の姿がぽつぽつと見える中、手塚はテニス部顧問の隣に立つリョーマを見つけた。
開扉された音を耳聡く聞き付けたのか、リョーマはこちらを振り返っていて、その瞠目した目が手塚の視線と交錯する。

「ぶ、」

部長、と手塚が呼びかけるより早く、リョーマの方が先に動く。
素早い動作で身を翻し、そのまま――、

手塚が立つのとは別の扉からもの凄い勢いで逃げ出した。


他の教室に比べ広さのある職員室にはふたつ扉がある。それぞれ、部屋の端と端、という真逆に位置に。真逆とは云えど、廊下を辿ればふたつの入り口には当然辿り着けるが。

もう一方の扉から抜け出して行ったリョーマの行動に、その場で手塚は一時呆然とし、そのまた一瞬の後、弾かれた様にリョーマの後を追った。
開けた時とは裏腹に扉を勢い良く閉めたものだから、大きい音がピシャリと鳴る。それは恰もReadySteadyGoで打ち成される雷管の音に似ていた。


それまで静か一色だった廊下には計4本、2人分の足音。
バタバタ、パタパタ、と。ただそれだけ。
手塚の直線上には如何にも”闇雲”と云った風のがむしゃらに腕と足を上げ下げして逃げるリョーマの後ろ姿。
リョーマが職員室から脱走してからスタートが早かったのが幸いしたのか、何とか姿は捉えられる。けれど、両者の差にあるリーチの差と運動能力の差でその距離は縮むどころかじわじわと広がっていく一方。
幾つもの教室を通り過ぎ、幾つもの階段を上がったり下がったり。埋没を加速させる夕陽のせいで次第に視界は暗くなり、時に先を走るリョーマの姿が闇に紛れる。

走り乍らもぴりぴりと責めてくる苛立ちは歩を進める毎に募るばかり。
いつの間にか手塚の形相は人一人殺しかねない程、肚の中に渦巻く苛々で象られていた。

「………逃ッげんなこの野郎!」

一瞬、自分の口から出た言葉だと気が付かなかった。こんな粗野な口、今生で利いた覚えが無い。けれど、前方を走るリョーマが俄に振り返り、その目が驚きで瞠られていたものだから声の主は自分自身なのだと手塚は知った。
それ程、手塚は臨界点に達していたのだけれど、構っている暇なんて無い。
全速力で駆ける両脚を一瞬でも緩めれば、あっという間に姿を見失ってしまうだろうから。

突き当たった階段をリョーマが駆け降りるものだから、荒ぶる息を整える隙も無く手塚も駆け降りる。
急勾配、という訳でも無いのに階段を転げ落ちそうになる。リョーマも、手塚も。

「逃げんな、って、お前が追ってくるからだろ!?」
「部長が逃げるからでしょう!?」
「逃げてないっての!」
「じゃあ止まって下さいよ!」

脇腹も腿も痛くてかなわない。
喋れば喋る程、息が乱れる。

視線の先にいるリョーマは一階分駆け降りて、張巡らされた廊下へ逃げ込む前に首だけを捻って手塚を一瞬だけ振り返った。

「やだ!」

一瞬のうちに手塚への返答として、そう叫んで。そしてまた長い廊下をばたばたと逃げて行く。
リョーマが振り返り様に放ったそのたった一言でカッと頭に血が上った手塚は、加速に接ぐ加速で尚も追随を続けた。
広がる一方だった距離が俄に近付き出す。背後から響く足音のピッチが早まったせいでリョーマが頻りに後ろを振り返るものだから、距離の縮みは猶一層の事。

広い学園領に見合った広い校舎に張巡らされている廊下は長い。
なのに、リョーマと手塚が駆ける早さが異常なのか、ものの数秒で駆け抜けてしまっていた。
廊下を駆け抜ければ、行き着く階段へ曲がってまた同じ長さの廊下を駆け出す。
リョーマを追いかけ出してから手塚はもう何メートル走ったか知れない。そしてまた目の前でリョーマが先に廊下を走りきり、階段の方へと曲がった。

このままでは埒が明かない。今のところは校内に留まっているけれど、これが外へ出られては最早絶望的だろう。
リョーマを追って階段口に辿り着いた手塚は、数段を降り、不意に手摺から顔を覗かせた。
そこからは、先に踊り場を曲がり1段下の階段を降りきるリョーマの旋毛が見える。
尚も逃亡を図るリョーマの姿を確認してから僅かな間も置かず、

ひらりと手塚は手摺を飛び越した。

部活後に加え突如始まったこの長い鬼ごっこのせいで体力は見事に摩耗され、しかも沈んだ日のせいですっかり暗くなった校内では、着地としては流石に不安があった。けれど、なんとかバランスも崩さず階段の中腹に降り立った手塚が顔を上げると、踊り場を回り次の階段を下り始めたリョーマがいた。
背後で響いたどすん、という音に目は見開き、動きも一瞬も止めた格好で。
そんなリョーマを見留めるとすかさず手塚は立ち上がって、先程と同じ様に手摺を飛び越えればリョーマの目の前に辿り着いた。
腕を伸ばせば充分に捕獲可能な距離。

「…ちょっ、離せって!」
「離しません、よ」

肩を激しく上下させ乍らリョーマの手首を掴んだ手に力を込める。これ以上、逃げられない様に。これ以上追わなくて済む様に。
けれど、掴まれた腕を往生際悪くリョーマは振払おうと上下左右に振り回す。それでも手塚は手の力を緩めなかった。
それどころか、掴む手をもうひとつ増やし、リョーマの手首を両手でがっちりと握り込んだ。眦をきりきりと吊上げてリョーマを睨めば、諦めた様にリョーマが嘆息をひとつ吐く。

事の終わりを漸く確信し、リョーマの手首を握ったまま手塚はその場にへなりと腰を下ろした。
既にその頃には西烏は地平線に埋もれ、宵の明星に明かりが灯っていた。


















狩るモノ、駆られるモノ
96969ヒットゲッタのゆきみさんよりのリクで。
年齢逆で、校内で追う塚、追われる越。ちゃ、ちゃんとリク通りでっす。珍しく。笑
アクティブてづか。

96969hitありがとうございましたー!

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