strangeness
人を羨んだことは無く。
人を僻んだことは無く。
人を妬んだことも嫉んだことも無く。
所詮、人は人。己は己。
フィジカルでもメンタルでもそこには絶対的なラインが引かれていて、侵したところで意味など無い。
変わらぬ境界線。他人と自分。
羨んだところで、僻んだところで、妬んだり嫉んだりしたところで、
「どうにもならない筈なのにな…」
不二に連れ帰られてきたリョーマの後ろ姿を見遣り乍ら手塚はぽつりと漏らす。
彼の後ろ姿に、自分が彼へ告げた一言が呼び戻された。”嫉妬してる”だなんて。
自分が今迄持ち得ず、且つ、これから長い人生抱くこともないだろうと思っていた感情があんなことで植え付けられるなんて思いもしなかった。
遠くで不二に良い様に弄ばれているらしいリョーマに視線を向けたまま、手塚はふうと息を吐き出した。
「嫉妬、か」
「嫉妬ねー」
「嫉妬、ですよ」
「誰に?」
「部長にシュークリームあげた子です」
「じゃあ手塚も越前にあげればいいじゃん。シュークリーム」
「そういうことじゃないんですよ―――……………菊丸先輩」
ぐるり、と首を回して手塚は自分の背後を振り返り、両手を頭の後ろに回して立つ菊丸を見上げる。
健康的な白い歯を覗かせて、菊丸は笑ってみせた。
「独り言に割って入ってこないで下さい」
「自分世界に入り込んじゃって近付く俺に気付かない手塚が悪いんじゃない?」
「俺は悪くないです」
眉間に浅い縦皺を刻んで頭上の菊丸を睨めば、何がどういいのか「まあ、いいからいいから」そう笑顔で躱されて、隣に屈まれた。
ふいっと視線を背ける手塚の横顔を見つつ、菊丸は笑顔を引っ込めない。
「プンプンしてる手塚なんて珍しいなー、って思って見てたけど、今日不機嫌なのはソレのせいなの?」
「さあ」
「さあ、って、それは認めてるも同じじゃない?」
「そうですかね」
「そうだと思うよー、少なくとも俺は」
にやにやとした笑みは、菊丸の方を向いていないのにありありと判る。突き刺さってくる視線のせいか、すぐ傍で醸し出される雰囲気のせいか。
揶われるのは、正直気分が良くない。
手塚の中で、何かが神経質にぴりぴりと揺れた。
小さなストレスを自分のせいで貯えているのだとも知らず、菊丸は暢気に口を開く。
「珍しいって言えばさ、越前も今日は珍しいよね」
「………部長が、ですか?」
「うん。あいつ、部活始まってからお前のこと直視してないよ」
こちらの不機嫌さぶりを見ていたと言っていた筈なのに、リョーマの様子すら観察していたなんて、一体、彼には幾つ目がついているのだろうか。
いつもはべったり見てるのにさ。けたけたと声を上げて笑う菊丸に視線を戻せばその顔には一揃い、ふたつの目があるだけで。
剽軽な風を装いつつも観察眼に長けた面も持っているのだろうか、と心密かに手塚は感心し乍ら、菊丸の言葉を確認するかの様にリョーマを見た。
そこには、不二から解放されたらしいリョーマが一人で居た。こちらには、背中を向け乍ら。
視線の動きを聡く察知したのか、「ほらね?」と菊丸は言ってみせる。
けれど、この1シーンだけで決めつけてしまうには尚早では無いかと心中でだけ否定的な思いを抱き、手塚は今日一日、部活時間という多忙な時間の中で許す限り彼の動向を観察してみようと何となく決めた。
手塚は視力が低い。低いからこそ、それの補助としてフレームレスの眼鏡を随分と前からかけている。
だから、視界は人並み程度には見られる。そこに何があって、どこに何があるのか判別がつく。
つくからこそ、確信を得てしまったのだった。
菊丸の言葉通り、リョーマが頑なに自分を見ていないことを。
いつも、ふとすれば必ず視線を感じ、視線を巡らせれば必ずリョーマの双眸にぶつかった。
”必ずと言っていい程”では無く、”必ず”。
今日、日頃の自分がそうであるように、リョーマは視線を感じていた筈。手塚は熱心に視線でリョーマを追っていたのだから。
視線など実体は無いが、向ければそれがあるかの様に実感が宿る。
それなのに。
何かから逃げる様にリョーマはこちらを見なかった。視線を感じていたならば、合わせないようにするのも容易かっただろう。
想像の範疇を出ないが、リョーマが手塚を見ないのは意図的。いつも隙間無く寄越される視線が無いのだから、ほぼ確定的と言っても妥当かもしれないが本人に確認した訳では無いのだから、推し量るしかない。
どうして今日に限って見ないのだろう。
部活もコートの後始末も終わり、部室へと歩みを進め乍ら当然に手塚はそう思った。
そして直ぐに、部活前のやり取りのせいか、と思い浮かぶ。それしか、今日の手塚とリョーマの間に接点は無い。
そんなに、あの気持ちを抱えたことが気に食わなかったのか何なのか。
リョーマがどういう腹積りか、なんて手塚は知らない。考えようとしても、所詮、自分以外の人間が抱える気持ちなのだから見当のつけようが無い。
絶対のボーダーライン。
どうやったってそれは消し去れないのだから、最早、当人に尋ねるしかない。直情とも取れる思考しか、1日中苛々させられた手塚には思い浮かばなかった。
着替えや帰り支度を済ませて出ていく人間とまだ体操着姿の入る人間との量が多いものだから、自然と開け放たれたままのドアを手塚は潜る。
そして、室内をきょろきょろと見回してリョーマの姿を探してみるが、ロッカーの前にも、不二や大石達の輪の中にも無い。
思わず、あれ?と首を傾げれば、傍らにいた乾が親切に「どうしたの?」と声をかけてくる。
「乾先輩、部長はどちらに?」
「越前?越前なら珍しく自分から竜崎先生のところへ御用聞きさ。どういう風の吹き回しだろうね」
いつもなら面倒くさがった挙げ句、大石が行くのに。
リョーマの奇行を面白がっているのか、乾はくつりと小さく笑いながら言った。
素直な日も時にはあるのだろう、ぐらいにしか考えていないのかもしれない。
けれど、手塚にとっては笑い事では無くて。
部活終わり直後に顧問の元へ向かうだなんて、仕事熱心な部長の様に他の面子には映るかもしれないが、手塚からすれば敵前逃亡も甚だしい。
彼は、恐らく部室が空になるまで帰ってくるつもりは無いのだろう。少なくとも、手塚が部室を後にするまでは。
ぷつん、と何かが身の内で弾けたのが自分でも解った。
きっと堪忍袋の尾というやつだな、ということも。
それが理解できる程、手塚は冷静であったつもりだったのだけれど、親切心で声をかけてくれた乾に礼も述べず部室から駆け出した急な感情は自身で理解出来ずに居たのだった。
strangeness
次のリクでも逆年齢を頂いているので、それに繋がるような終わり方で。
逆年齢を久々に書いたので、色々と齟齬が無いか心配で御座います。
99999hitありがとうございましたカナタヒナタさんへ。
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