How the to walk it
長年生活を共にしてきた者からすると、横からそれをかっ攫われるというのは非常に気持ちが良くないものである、
たとえ攫う方に悪気が無くとも、攫われていった方からその誘拐犯を唆したのだとしても。
ただ家に居るだけの者がそんな外部事情など知る由もなく。
そんな彼の頭上ではいつもよりも幾らか早く起床した被害者であり実は加害者である人間がいそいそと部屋の片付けをしていて。
越前家の愛猫である彼の機嫌は果てしなく悪かった。
飼い主として自覚のあるリョーマは何気なく彼のそんな様子に気が付いて、頭や顎の裏など撫でて機嫌を取ろうとするが、触る度にふいと邪険に扱われた。
「カル、なんでそんなに機嫌悪いんだよ?」
背けた顔ごと両の手で掴まれて強引に頭を撫でられる。
いやいやをする様に何とかその腕を擦り抜ければ、後ろで困ったようにリョーマが溜め息を吐く気配がした。
「部長が今日来るっていうのに」
子の心親知らず。
それが原因で彼の機嫌が悪いということには流石の越前リョーマも気付いていないようである。
散らかした服をクローゼットにしまったり、散らかしたゲームや本を忙しなく片付けにかかる主人を気にかける事をせず、彼は窓辺に飛び乗った。
開かれた窓からは初夏特有の爽やかで清々しい匂いの風が吹き込んで彼の長い毛を揺らした。
外はこんなにも快晴で、普段ならば縁側で一眠りでもしたいというのに。
今にもふう、と溜め息を吐かんばかりの哀愁をその身に纏わせる彼の眼下、越前家の前に最早見なれた主人の客の姿がちらりと見えた。
彼からすれば降って湧いた誘拐犯の姿。
その姿を認めて、彼は窓辺を降りた。
そして、まだリョーマが片付けていなかったレモンイエローのテニスボールを一つ器用にも口に咥えてまた薄い窓辺の桟に飛び乗った。
誘拐犯の姿は少しずつ、玄関へと近付いてくる。
じりじり、とタイミングを図って彼は勢い良く首を振ってボールから口を離した。
2階の窓から玄関の方へと放られたボールは綺麗に弧を描いて飛んだ。
「っ!」
そしてその終着点は彼の独断と偏見で誘拐犯に決めつけられた手塚の頭上へクリーンヒット。
にやり、と解剖学的には笑う筈のない猫の彼は笑った――ように見えた。
軽いながらも突然頭に衝撃を受けた手塚は、辺りをきょろきょろと見回す。
何が起こったのかさっぱり判らない、きっとそんな境地だろう。
しかし、辺りを見回して手塚は庭にころころと転がるテニスボールを発見する。
「…おいたが過ぎるな…あのガキ…」
引き攣った笑いを顔に張り付かせ、転がるボールを回収してから手塚はインターホンを鳴らす。
それから間もなくして、ドアの向こうからバタバタと駆けてくる足音がして目の前が開けた。
「いらっしゃい」
満面の笑みで出迎えるリョーマに、手塚は無表情のまま手にしたボールを突き付けた。
当然、リョーマはそのボールの事なぞ露程も知らないからはてなと戸惑うばかりである。
「ボール持参?裏のコートでテニスする?」
「そうじゃない。お前、悪巫戯けが過ぎるぞ。いきなり人に向かってこんなもの投げ付けて」
「え、なにそれ。オレ知らないって」
「お前じゃなけりゃどうしてこの家でこんなものが上から降ってくるんだ」
「いや、本気で知らないから。濡衣濡衣」
「そうか、そこまでしてしらを切るか」
「待ってって!ほんとに知らないんだってば!」
そこで手塚は考える。
人の事は言えないが、リョーマは結構に嘘は下手だ。鈍いだ天然だと評判の手塚ですら見抜ける程に。
しかし、目の前のリョーマは嘘を吐いている様には見えない。かなり必死の本音モードである。
では、誰が?
熟考する手塚の足下にヒマラヤンが一匹、ほぁらと奇妙に鳴いて擦り寄ってくる。
「リョーマ?いつまでお友達玄関に立たせてるの?中に入ってもらったら?」
と、家の中からそう呼び声がかかって、手塚の思考は中断された。
わからないものはわからないのだ。
確かに少しばかり痛かったけれども、大事には至っていないしもうこの辺りが引き潮か、と手塚はリョーマを追い抜いて靴を脱いで玄関を上がる。
そのまま階段まで行こうとして、リョーマが後をついてきていないことに気付く。
不思議に思って振り返れば、まだ玄関先に居た。むう、と不機嫌そうな様子で。
「なんだ?早く行くぞ」
「冤罪だ…!」
「また難しい言葉を覚えたな。その調子で今日の国語の勉強も頑張ってもらおうか」
ほら行くぞ、と手塚はリョーマをまた促す。
これではどちらがこの家の住人なのだかさっぱり判らない。
未だ不貞腐れながらも、リョーマは手塚の後に続いた。そしてその後ろには足にじゃれ付くように飼い猫が続く。
距離を離さず、かと言って追い越すこともせず、的確に彼は最後尾として続いた。
それから十数分後、彼はベッドの上からこの日の為に設えられた部屋の中心に鎮座するローテーブルを見張った。
テーブルの上には何枚ものプリントと参考書。手塚用の赤ペンとリョーマ用のシャープペンシルがそれぞれ1本ずつ。
プリントと参考書を見比べながら彼には意味不明なことをああだこうだと言いながら何かを書き込んだり、書き直したり。ずっとそんな光景が続いている。
窓からは変わらず燦々と降り注ぐ陽気。彼が座する位置はふかふかの布団の上で思わず、大きな欠伸をひとつ。
「あーあ、カルピンはいいよな、勉強しなくていいし」
悪戯なのだろう、欠伸をした彼の口が閉じる前にリョーマがそこへ人さし指を挟んだ。
不意のその攻撃に一瞬、狼狽えるがそのままかぷりと噛んだ。
差し込んだのはあっちなのだから、こちらにはそれに報復する権利があると云えよう。
「いたいっ!痛い、カル!離せって!」
じたばたと藻掻いて、リョーマは何とか指を引き抜く。そこにはくっきりと噛まれた跡が残っている。
「越前」
そこへ重低音で手塚から声が飛ぶ。思わず、リョーマは居住いを正した。
「そもそも、俺がわざわざ今日ここへ来たのは何の為だ?」
「国語の抜き打ちテストの点が悪かったので、その追試の為の勉強を見てもらいに…」
「それを頼んだのはどこの誰だったかな?」
「…オレ、デス」
「判ればいい。真面目にやれ。ほら、また同じような所間違ってるぞ」
リョーマの前に一枚のプリントを差し出して、大きくバツを付けた箇所をコツコツとペンの先で小突く。
明から様に、リョーマが嫌そうな顔をすれば手塚からは溜息。
「だってさ…」
「なんだ、言い訳か?見苦しい」
「そうさ、言い訳さ。見苦しいさ。だからなんだ」
「…開き直るな」
プリントからペン先を持ち上げて、今度はリョーマの額を小突く。
決して強くは無い乍らもその反動でリョーマの頭は揺れる。
「だって、」
そしてそのまま、目の前にある手塚の手首をリョーマは掴んだ。
「目の前にこんな美味そうなモノ、置かれてたら集中できないって」
掴んだ手首を手繰って引き寄せて、ペンを掴むその細い指にふわりと唇を落とし、上目遣いで笑ってみせた。
その動きに手塚が頬を薄らと染めて動けないうちに、リョーマのもう一方の手は手塚の肩まで伸びて更にこちらへと手繰り寄せようと動く。
が。
「っう、わ!?」
ぼすん、と重い音と共にリョーマは座ったままで前につんのめる。
その背中にはベッドから飛びかかった愛猫の姿。
決して邪魔した訳ではないんだよ、とでも言うように彼は大層可愛らしく、けれどわざとらしく一つ鳴き声をあげた。
「〜〜っ!!!カールーピーンー!!!」
勢い良く身を起こせばつるりとその背中を軽やかに滑り降りて、今度はリョーマのすぐ近くで一鳴き。首まで緩く傾げてみせて。
「越前」
そこへ再び飛ぶ、手塚の重低音。
その手首はまだリョーマに握られたままだ。
「するぞ」
何を、と聞くまでもなく、リョーマの前に突き付けられる新たなプリントが一枚。
「ちぇ。折角、勉強も中断できて、アンタも召し上がれて、一石二鳥のいいとこだったのに」
「…そこで『召し上がる』は変だ。敬語のところも叩き込むか?範囲外だが」
プリントの山から片手ながらもごそごそと探し出そうとする手塚にリョーマは勢い良くかぶりを振った。
「じゃあ、まずはこれを解け。問5はさっきお前が間違えたのとよく似た問題だからな」
「はいはい」
嫌そうな顔をしつつ、リョーマは左手に持ったシャープペンシルを握り直す。
「ね、部長」
問1の問題を黙読しつつ、リョーマが口を開く。
無言乍らも、視線をリョーマに遣ることで返答に代える。
「手、離せって言わないんだね」
リョーマの右手で掴まれた手塚の左手。
「言ってほしいか?」
「まさか。手、握っててもいい?」
「部屋の中だぞ?」
「手首より掌のがいい」
どういう点で掌の方が良いのか、リョーマは述べないけれど。
手塚はふむ、と考える様なポーズをしてから、左手で握ったままだった赤ペンを引き抜いて手を開いてみせた。
「ほら」
「ごちそうさま」
一度、プリントから目を離して手塚へ。
そして開かれた手塚の手を指を絡めて握った。
まあ、これくらいは許してやるか、とばかりに彼はリョーマの麓からまたベッドへとのそりと上って、とぐろを巻いて寝息を立てはじめた。
How the to walk it。
itの歩き方。
越前家には一匹の小悪魔が棲んでおり。や、2匹?越前さんご本人も小悪魔さんかと。
カルは手塚に懐いてえちのライバルになるのも好きですけど、とりあえずちょっかい出すだけのこういう腹黒い彼の在り方というのも割と好きです。
猫なら何でも好きです。(発言に問題あり)
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